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2009/1/31 ククリ・ラムの怪谷川昌幸(C) ひそかに敬愛する「けぇがるね?」を,ひそかに見たら,ククリ・ラムの事件が出ていた。 これは一大事,ククリ・ラムは昔から愛飲・痛飲している。最近,視力減退,顔の識別すらあやしくなった。(知らぬ顔で通り過ぎても,決して悪意ではありません。見えないだけです。) もしククリ・ラムに「目散るアルコール」が混入している恐れがあれば,これはたいへん,さっそくネットで確認してみた。たしかに,これらの酒で1人死亡,4人失明と報道されている(ekantipur & nepalnews.com,Jan.27)。事実かどうか。事実とすれば,混入は故意か事故か。はっきりしないと,愛すべきククリ・ラムを飲めない。 こうした事件は,鳥インフルエンザよりも恐ろしい。鳥インフルエンザは自然相手だが,こちらは人間相手。疑心暗鬼になる。 社会不安が拡大すると,こうした事件が起こりやすい。社会不安拡大目的で,意図的に事件を起こす場合もある。徹底的に捜査し,事実を確認し,正確に報道しないと,非常に危険である。 2009/1/30 共産革命と対日「人民」輸出谷川昌幸(C) 1.UCPN-Mの共産主義革命路線 これは,UCPN-Mのイデオロギーからして当然の選択であって,「独裁」抜きの共産党は「歌を忘れたカナリヤ」のようなものだ。 2.対日「人民」輸出 今日の朝日記事「外国人にも解雇の波」(1/30)によると,いま日本企業はブラジル人などの外国人労働者をバッサバッサと切り捨てている。そして,その穴を埋めるのが外国人研修生。 「直前までブラジル人が担っていたラインが,中国人研修生たちで占められていた。/ブラジル人の時給は1300円以上。一方,労働基準法の対象外となる中国人研修生は,時給が最低賃金を大きく下回る300~500円のところもある。工場がより低賃金の働き手に入れ替えを進めていたようだった。」(朝日1/30) 時給300円とすれば,10時間労働で1日3000円。生活費を引くと,何も残らない。しかもその研修生ですら,採用キャンセルや中途解雇が急増している。 こんな状態で解雇されれば,過酷な長時間労働をさせられたあげく,無一文で帰国せざるをえない。あるいは,もし研修生採用の「仲介手数料」をぼられたりしていると,借金の山だけ残るといった悲惨なことになる。 これまでネパールの人々はたいへん親日的だった。日本人は,少なくともネパールに対しては,あまり悪いことはしてこなかったからだ。しかし,もしネパール人研修生を「安価な労働力」として輸入し,酷使し,不要となればポィッと捨て去るようなことをすれば,ネパールの対日感情は一気に悪化するであろう。 UCPN-Mは人民の党だ。まさか,「人民」を「現代の奴隷」として売り払ったりはしないだろう。 ●外国人研修・技能実習制度(朝日1/30) 2009/1/29 20万アクセス御礼谷川昌幸(C)
このブログのアクセス数が20万回に達した。2005年9月開設から3年余,小心ブロガーにとっては夢のような数字だ。
普通の市民が情報発信をするのはこれまで非常に難しかった。本や論文を発表できる大学教員であっても,本は1000部も印刷できれば御の字,たいていは実売数百部程度。大学から発行されている無数の雑誌(紀要)にいたっては,読者は1人だけ,つまり執筆者本人だけ,と噂されている(これは事実らしい)。
それが,ネットの普及で誰でも情報発信でき,しかも,いつでもどこでも読んでもらえる。これは革命的なことで,この流れは,お隣の某超大国政府を含め,もはや誰にも止められないだろう。
ネパールについても,つい10数年前までは極端な情報不足に悩まされていたが,いまは全く逆の情報洪水。愛用のハテナで収集すると,一日何百件も新しいネパール情報が入る。ネパールはもはや神秘の国でも何でもない。ごく普通の国になってしまった。
しかし,用心しないと,ここに落とし穴がある。いくら情報量が増えても,異文化は異文化であって,理解はできない。このことを肝に銘じ,次は50万アクセスを目標に頑張りたい。
ロボットの皆さんを含め,引き続きご愛読をお願いします。
2009/1/28 憲法専門家,民族連邦制に反対意見開陳谷川昌幸(C)
制憲議会の憲法委員会で,憲法草案作成のための審議が始まっている。
ネパリタイムズ(No.435)によれば,1990年憲法制定時は「政治」問題が中心であったのに対し,現在は「社会」や「民族」問題が中心になっている。そこで大切なのは,「連邦制」や「世俗主義」の意味をネパールの文脈においてよく吟味し,整理することだ。
この観点から,ネパリタイムズは「アイデンティティ政治」の問題性を特に指摘している。この指摘は正しい。私は当初から,ネパールは「アイデンティティ政治」に陥ってはならない,と警告してきた。民族別連邦制など止めるべきだ。
26日の憲法委員会に出席した1990年憲法起草委員たちも,「民族連邦制は国民分裂の種をまく」とのべ,連邦制に反対の意見を開陳した(nepalnews.com, Jan.26)。これはもっともな意見だ。
私は,ネパールの中央権力はいまの100倍以上,強力であるべきだと考えている。強力無比の主権的国家権力を確立しつつ,明確なルール(法)に則り機能分権・地域分権を促進する。それが民主主義だ。
無責任なお雇い外人は,流行に乗って,ネパールにアイデンティティ政治をけしかけ,民族連邦制を実験しようとしている。しかし,実験が失敗しそうになったら,彼らはさっさと逃げ出し,次の哀れな実験国に移動するに決まっている。
そのようなお雇い外人に依存するのは危ない。いかに困難であろうと,ネパールはネパール人自身でつくって行くべきなのだ。 2009/1/26 オバマ大統領と国益と南アジア谷川昌幸(C)
1.佐藤優氏のオバマ評
佐藤優氏がサンデープロジェクト(1/25)に出演し,鋭く,恐ろしいオバマ分析をしていた。 ・オバマは「戦う平和主義者」で,ブッシュ前大統領と同程度に「戦闘的」だ。
・オバマは,タリバン穏健派との妥協がならなければ,力でタリバンを叩きつぶす。 ・オバマは,対アフガン作戦にインドを巻き込もうとしている。 これは,先の私のオバマ評価とほぼ同じだ。(オバマ大統領の新軍国主義と朝日の海自派遣扇動)
オバマ大統領は,国家理性に従う現実主義者であり,今後は「人権」や「平和」や「民主主義」がアメリカ「国益」のために合理的に利用されることになる。
理想主義者のブッシュ前大統領は,現実を見ず観念的に単独でアメリカ国益を実現しようとしたが,オバマ大統領はそんな不合理なことはせず,日本などを引き込み,最大限他国に協力させ,アメリカ国益を実現しようとする。必要なら,戦争も躊躇しない。佐藤氏が言うように,オバマ大統領は「戦闘的」であり,「戦う平和主義者」なのだ。
2.大統領就任演説と国家理性
(1)悪いのは「テロリスト」か? オバマ大統領の就任演説は,秀才ゴーストライターが頭をひねった割には,非米世界から見ると,できがよくない。とくにひどいのが,次の部分(以下,引用はyomiuri online,1月21日より)。 「我々は、我々の生き方について謝らないし、それを守ることを躊躇しない。テロを引き起こし、罪のない人を殺すことで目的の推進を図る人々よ、我々は言う。我々の精神は今、より強固であり、壊すことはできないと。あなたたちは、我々より長く生きることはできない。我々は、あなたたちを打ち破るだろう。We will not apologize for our way of life, nor will we waver in its defense, and for those who seek to advance their aims by inducing terror and slaughtering innocents, we say to you now that our spirit is stronger and cannot be broken; you cannot outlast us, and we will defeat you.」
「紛争の種をまいたり、自分たちの社会の問題を西洋のせいにしたりする世界各地の指導者よ、国民は、あなた方が何を築けるかで判断するのであって、何を破壊するかで判断するのではないことを知るべきだ。腐敗や欺き、さらには異議を唱える人を黙らせることで、権力にしがみつく者よ、あなたたちは、歴史の誤った側にいる。To those leaders around the globe who seek to sow conflict, or blame their society's ills on the West - know that your people will judge you on what you can build, not what you destroy. To those who cling to power through corruption and deceit and the silencing of dissent, know that you are on the wrong side of history.」
ぬけぬけと,よく言うよ(!)という感じ。途上国にそのような「指導者」がいることは事実だが,しかし,長年にわたって植民地支配し,いままたグローバル資本主義で途上国を搾取し「紛争の種」を蒔き,育ててきたのは,米国をはじめ先進諸国ではないか。
「腐敗や謀略 corruption and deceit」,「反対者の抑圧silencing of dissent」に加担し,あるいは時には自ら策謀し,不当な利益を得てきたのは,先進国自身ではないか。
あるいは,結婚祝賀会場や集会場を爆撃し「罪もない人々を虐殺slaughtering innocents」し,平然と「誤爆でした」と言い放ち,恬として恥じないのは,アメリカ軍ではないか?
にもかかわらず,オバマ大統領は「我々の生き方について謝らないWe will not apologize for our way of life」と断言し,「あなたたちを打ち破るdefeat you」と宣言している。途上国に貧困と汚職・腐敗と独裁と,そしてテロをもたらしたのは,いったい誰なのだ!
(2)アメリカは被害者か?
オバマ大統領の演説を読むと,アメリカがまるで被害者のように思えてくる。彼自身,こういっている。 「我々が危機の最中にいることは、現在では明白だ。我々の国家は、暴力と憎悪の広範なネットワークを相手に戦争を行っている。That we are in the midst of crisis is now well understood. Our nation is at war, against a far-reaching network of violence and hatred.」
世界最強国家たるアメリカが「暴力と憎悪」の被害者だなどと堂々といわれると,つい本当かなぁ~と思ってしまうが,これは真っ赤なウソだ。小さなウソはすぐ分かる。しかし,大きなウソになると,多くの人がコロッと騙されてしまう。
じじつ,世界中の人々がアメリカの怪しげな金融錬金術に騙され,いまや世界は大恐慌の瀬戸際にある。アメリカはいまの経済危機を引き起こした加害者だ。同じく,世界の政治危機についても,アメリカの責任は大きい。オバマ大統領は,それを隠し,あたかも被害者であるかのように見せようとしている。オバマ大統領の政治的トリックに騙されてはならない。
(3)国家理性の呪縛
オバマ大統領は,その出自からしても,またその明晰な頭脳からしても,非米世界に対しアメリカが加害者であること,そして自分たちがテロの種をまき育ててきたことは,よく分かっているはずだ。 にもかかわらず,彼が大統領就任演説でそのことに全く言及しないのは,世界最強国家の大統領としては,国家理性の命令に服さざるをえないからだ。
非米世界の人々は,いまこそ連帯し,もはや「国家理性」の維持は難しいことを倦むことなくオバマ大統領に訴えていかなければならない。オバマ大統領なら,世界が変わりつつあることをきっと理解してくれるはずだ。
もしオバマ大統領が,近代の宿痾,国家理性の呪縛からアメリカを解放する方向に向かって一歩前進するなら,彼はリンカーン大統領と並び称されるほどの偉大な大統領になるであろう。
3.オバマ大統領のインド利用
しかし,それは先のこと。目下,オバマ大統領は強力な国家理性の呪縛下にあり,しかも危険なことに,ポピュリズムの上げ潮に乗って大統領に当選した。オバマ大統領は,アメリカの偉大のために,成功を求めざるをえないのだ。 それは,ずばり,アフガンでの成功だ。タリバン穏健派の取り込みに成功すればよいが,もしそうならなければ,佐藤優氏がいうように,アメリカは本格的に軍事介入する。3万人ではすまない。そして,このシナリオに絶対必要なのが,インドの協力だ。
アメリカは,すでにインドを特別扱いしている。インドは「核不拡散条約(NPT)」非加盟であるにもかかわらず,アメリカは「米印原子力協力協定」(2007)を締結し,核技術・核燃料などの協力を進めようとしている。オバマ大統領は,この米印関係をさらに前進させるだろう。 就任演説でも,オバマ大統領はアメリカが「ヒンズー教徒」の国でもあることを宣言した。仏教徒は入っていない。インド,とくにそのヒンズー教徒を意識していることは明白だ。こうした対印接近が,アフガンやパキスタンのイスラム教徒を刺激することはいうまでもない。
オバマ大統領は,22日の国務省演説でも,パキスタン・アフガニスタン国境付近の重要性を強調し,「われわれだけでは問題を解決できない」と述べた。そして,AFPによれば,オバマ大統領はこういった――アメリカはNATO諸国およびこの地域の他の国々,すなわち中央アジア諸国と,パキスタンの最大のライバルであるインドの協力を仰ぐことになる(AFP, Jan.22)。
もしアメリカ政府がこのような形で南アジアに介入してくると,紛争がさらに複雑化し,制御できなくなる恐れがある。そして,そうなれば,ネパールも必然的に紛争に巻き込まれる。
ネパールの立場からも,オバマ大統領の対南アジア政策は,要注意なのである。
2009/1/24 オバマ大統領の新軍国主義と朝日の海自派遣扇動谷川昌幸(C)
オバマ大統領が傑出した政治家で,新しい時代を切り開きつつあることは事実だが,その一方,アメリカ・ポピュリズムの矛先がどこに向かうか,大いに不安である。
とくに日本は,「オバマ感謝祭」などといった脳天気なことをやるお国柄,よくよく警戒していないと危ない。たとえば,朝日新聞。オバマ大統領と朝日新聞は同じような体質をもつ。朝日はおそらく,とききたり,と喜び,オバマ新軍国主義に煽られ,日本軍(=自衛隊)の海外派兵促進に向かうだろう。
1.オバマ大統領の新軍国主義
オバマ大統領は1月22日の演説で,ガザ攻撃したイスラエルの「自衛権」ないし「生存権」を支持した。イスラエルのガザ攻撃は,国際人道法違反であり,戦争犯罪だ。世界中で差別迫害されナチスによる大虐殺を経験したその民族が,どうして同じような虐殺攻撃をなしうるのか信じがたいことだが,それをオバマ大統領は支持したのだ。
また,オバマ大統領は,「適正手続きの基準と合衆国憲法の中心的価値観を再生させる」と明言し,米国はいかなるときも「適法手続き」を守るとも宣言した。 "restore the standards of due process and the core constitutional values that have made this country great even in the midst of war, even in dealing with terrorism." (CNN Politics)
では,尋ねる。イスラエルのガザ攻撃のどこに「適正手続き」があるのか? 「合衆国憲法の中心的価値」のどれに合致しているのか?
あるいは,オバマ大統領は,アフガン攻撃強化を公約したが,ブッシュ大統領のアフガン攻撃開始のどこに「適正手続き」があったのか? アフガン攻撃強化がどの「アメリカ合衆国憲法の中心的価値観を再生させる」のか?
イラク撤退,グアンタナモ基地閉鎖をいいつつ,ガザ攻撃,アフガン攻撃を正当化する。戦場を変えただけで,アメリカ政府が戦争を欲していることにかわりはない。アメリカの繁栄には,戦争が必要なのだ。
ここで危ないのは,日本。これから先,日本軍(=自衛隊)の海外派兵を強要されることは間違いない。日本人民にとって,オバマ大統領は,ブッシュ大統領よりも危険な大統領になる可能性が高い。
2.朝日社説のソマリア沖海自派遣論
これは,24日の朝日社説「海賊対策――新法での派遣が筋だが」をみれば,決して杞憂でないことが分かる。社説はこう述べている。
「アデン湾はアジアと欧州をつなぐ要路だ。.... 1日平均6隻もの商船が航行している日本も何もしないではすまされない。 これを言い換えると,海外権益(国益)を守るためには軍派遣はやむを得ず,これは例外措置であり,見切り発車だ,ということになる。どこかで聞いた台詞だ。そう,大日本帝国が,海外権益を理由に出兵,戦争を開始し,拡大していったときの理屈そのものだ。 「適正手続き」はこうした例外措置を認めないことを本質とし,日本国憲法もむろんこんな例外措置や見切り発車を認めていない。日本の代表的な言論機関が,このような法治否定の海外派兵を扇動をしてよいのだろうか? 【参考】 自衛艦をソマリア沖に派遣せよ,朝日社説 2009/1/22 朝日の「性生活」商品広告2009/1/21 無節操なオバマあやかりイベント谷川昌幸(C) オバマ大統領就任はおめでたいが,日本での無節操なバカ騒ぎはいかがなものか? 長崎の小浜温泉でも,「オバマ感謝祭」を開催,「オバマみこし」が練り歩き,「オバマ法被」が領事館に届けられた。 福井県小浜市のような軽~いノリならそれなりに楽しめるが,小浜温泉のように二番煎じをまじめにやられると,どうしようもない「悲哀」を感じざるをえない。あまりに芸がない。こんなことではせっかくの由緒ある温泉が寂れるばかりだ。 そもそもアメリカは原爆を投下しながら謝罪もしない国だ。いや,それは過去のこと,というのであれば,いまオバマ大統領はアフガン攻撃強化を公言しており,日本にも参戦を強要する可能性が高い。これをどう考えるのか? のんきに「オバマみこし」なんか,担いではいられないのではないか? 2009/1/20 JICA長崎 説明会2009/1/19 対日ネパール人輸出,あるいは新三角貿易谷川昌幸(C) こんなことを書くと,ネパール人や親ネ邦人にボコボコに叩かれるだろうが,玉砕を恐れていては,新帝国主義戦争は戦えない。いざ出撃! 1.輸出商品としての「ネパール人」 もちろん都合良く労働力だけを切り取って売るわけにはいかないから,生身の人間を家族や故郷から切り離し,その身体ごと外国に売り渡す。極論すれば,これは「現代の奴隷貿易」だ。 2.労働者輸出で,贅沢品輸入 あるいは,不動産投資となり,都市バブルをふくらませる。外国に売り飛ばされた同胞の汗と涙が,金に化け,彼らとは無縁の高級マンション,高級分譲地,高級ブランド店となっている。 中東バブルは,石油価格暴落で,はじけた。ネパール・バブルは,輸出向け労働者の枯渇か価格低下で破裂する。これは必然。 3.労働者の対日輸出 1月17日,レクラジ・バッタ労働大臣(マオイスト)が,ある会合(詳細不明)に出席し,ネパール人労働者の対日輸出の促進を訴えた。カンチプル(1/17)によれば,バッタ大臣はこういっている。 「研修労働者を日本に送る準備はほぼできた。」 これはマオイスト大臣が言っているのだ。コングレスのボスではない。 このネパール人労働者の輸出・輸入に関わっているのが「ネパール商工会議所(FNCCI)」と「日本国際研修協力機構(JITCO)」。いずれの組織のこともよく知らないし,善意は疑わないが,この労働者貿易が要注意であることは間違いない。 非居住ネパール人会のカピル・タパ副会長もこういっている。 「日本は,ネパール人労働者の輸入(import)を待ちこがれている。」 4.研修労働の実態 外国人研修制度は,もともと日本の高度な技術を働きながら学ぶという趣旨。その趣旨通り運用しているところもあるにはあろうが,資本主義の倫理と論理からして,そんなことがどこでも実行されているとはとうてい思えない。 いま無慈悲に解雇されているのは,外国人労働者や非正規労働者。外国人研修生は,その彼らよりも下,使い捨て自由の半強制労働,資本家にとっては最も好都合な最下層労働者である。 5.ネパール・日本・中国の新三角貿易 ネパールは日本に「人間資源」を輸出し,その代金で中国から中・低度工業製品(衣料・雑貨・家電など)を輸入する。中国は,その代金で日本から高度工業製品や資本を輸入する。日本はその代金で,ネパールから労働者(人間資源)を輸入する。 こうして,美しい新帝国主義の聖なる三角形ができあがる 2009/1/18 メディアに叩かれ,まぁーるくなるか?谷川昌幸(C) ジャーナリストはみな百戦錬磨,温室生活のしがない教師がその世界に首をつっこむと,ひどい目に遭う。それでも,ちょっとでもメディアに注目されると,嬉しくなってしまうのが,平教師の悲しい性。 この「日刊ベリタ」については,何の知識もないが,わがブログも読んでくださっているのか,時々,紹介の栄誉にあずかる。ここで紹介されると,さすが本職,一気にアクセス急増,よし頑張るぞ,と途端に元気になる。 感心させられるのは,こんな破れかぶれブログなのに,きちんと読み,比較的ましな文章を拾って紹介してくださることだ。多謝しきり。 17日も,「現代の失業と不幸,前近代の無失業と幸福」を紹介してくださった。実は,問題意識ばかり過剰で,あまり詰めていないので,穴だらけの文章なのだが,誤りがあれば潔く謝ればよい,と覚悟している。 ガツン,ゴツンと叩かれても,割れてしまうことなく,まぁーるくなるよう,心がけている。何事も修行。 2009/1/17 現代の失業と不幸,前近代の無失業と幸福谷川昌幸(C) 1.大阪で失業,餓死 餓死そのものは,以前からあったが,どちらかというと別の理由での救済拒否が大半だった。しかし,最近のそれは違う。現代社会が失業を構造化し,人々を追い詰め,餓死へと追いやっているのだ。 2.「暗黒の中世」の無失業 中世にも,もちろん不幸,悲惨そして餓死はあった。しかし,それらは社会が人々を無能,無用な落伍者として社会外に放棄したからではなかった。(村八分,「楢山節考」,カースト追放などもあるが,ここは単純化して議論する。) たとえば,中世には「魔女」がいたが,中世の魔女は社会的役割をちゃんと認められており,決して不幸ではなかった。魔女が社会から糾弾され,裁判で拷問・虐殺されたのは,むしろ近代に入ってからだ。 中世はケシカラン身分社会だが,すべての人に社会的役割を与え,一人として失業者を出さなかったのは,エライ。魔女ですら,「箒で空を飛ぶ」という,立派な仕事を割り振られていた。 3.無失業相互扶助の村落共同体 たとえば,高度成長期以前のわが村は,百戸余の小さな集落だったが,この村には失業者は一人もいなかった。そして,全員がそれなりの生活をしていた。 当時,村には障害者の方がいたが,彼にも村が仕事を割り振り,生活を支えていた。また,あるとき,ある人が破産したが,そのときは,村人がすべて協力して最低限度の生活は維持できるように支援した。 村共同体には,因習的,閉鎖的など,現代人には耐え難い問題があるが,その反面,無失業,相互扶助など,学ぶ点も多い。 4.光が「子供」をつくり,殺す この点でまず注目すべきは,子供だ。じつは,驚くべきことに,中世には「子供」はいなかった。人は,オムツがとれると,すぐ仕事を与えられ,大人と一緒に働き始めたからだ。 しかし,近代はそれを許さない。近代社会は光=理性を持たない者を受け入れないからだ。むろん,赤ちゃんがすぐ理性を持つはずがない。そこで,理性を獲得するまでの猶予期間として「子供」時代が発見されたのである。 だから,子供たちは,学校に行き勉強をする限りにおいて,その存在意義を認められるが,勉強ができなかったり学校に行かなかったりすると,存在意義を否定され,結局,自殺に追い込まれてしまう。光が子供をつくり,追い詰め,不幸にし,そして殺すのだ。 ネパールの教育支援も,この教育の二面性を考慮しなければならない。伝統的な農村社会の子供労働は,厳しく苦しいものではあるが,精神的には決して不幸なものではなかった。子供たちはみな何らかの役割(仕事)を与えられていたからだ。 ここに教育支援で光を持ち込むと,近代的な「子供」が規範化され,学校に行かない子,行けない子は「落伍者」のレッテルを貼られ,存在意義を根底から否定され,生きられなくなる。 勉強ができないこと,学校に行かないことが,本当に悪なのか? 学校教育なんか受けなくても,前近代社会の人々は社会の中で自然に学び,成長し,それなりに幸福に暮らしていたではないか。 学校教育なんかに,命をかけるほどの意味はない。いやになったら,学校を捨て,自然に帰ろう。 5.光が賃労働をつくり,失業と餓死を生む 近代の光は,中世の生命有機体としての社会を個人に分解し,その個人を人と市民,人と労働者(労働力)に分解した。 この光は倫理的にはキリスト教(プロテスタント)の神の光であり,これは人間に「労働」を命令する。人は神の声=光に従うなら,勤勉に労働し神の栄光に寄与しなければならない。この「労働」はその結果として「財産」を生むから,人がどの程度神の光を受けているかは「財産」の量により科学的に測定され,評価される。 逆に言うなら,財産なき者は,神の命令に反し,まじめに働かなかった理性なき怠け者であり,したがって「市民」には値しない。 こうして,蓄財が神の命令となり,資本主義がキリスト教により正当化され,推進されることになる。そして,やがて蓄財の方法も全面解禁され,他人を賃労働者として雇用して儲けることも,金に金を生ませ(利子で)儲けることも,すべて神を喜ばせることとなった。 だから,資本家が利潤極大化のため,労働者をその労働能力だけにより選別し,できるだけ有能な者を安く雇用しようとするのは,当然である。 その結果,当然,能力(理性)不足で雇用されない者,つまり失業者も発生する。しかし,それは理性なき労働者の自己責任であり,資本家にとっては,失業者が多ければ多いほど,それだけ安く労働者を雇用できるのだから,失業はむしろ望ましいことになる。 こうして近代の神の光が,資本主義を生み出し,資本主義が失業を生み出したのだ。 ここで恐ろしいのは,近代の光の下では,失業は理性なき本人の自己責任となることだ。失業者は,神の命に背く怠け者であり,社会の落伍者であり,市民失格,人間失格だ。失業者には,賃金引き下げ効果はあるが,それ以外の存在意義はない。 現代社会の失業は,たんに貧困をもたらすだけではない。飽食の現代,食うだけなら誰にでもできる。失業がつらいのは,それが人間性否定,人間としての存在意義の否定となり,生きる意味を失ってしまうからだ。だから,たとえ食えても,自殺や覚悟の餓死を選ぶことになる。 6.福祉国家の崩壊 教育現場の惨状は前回紹介した。卒業生100人のうち,正規教員採用2名,非常勤教員採用43名の国立大学教育学部さえある。 中央省庁の職員も,4万人のうち1万3千人が非常勤(朝日1/17)で,使い捨て。民間の派遣解雇は,なだれ状態,もはやなすすべもない。 国民年金納付率は約64%(2007年度,朝日8/7),国民健康保険納付率も約80%(朝日1/17)。最後の頼みの綱である生活安全保障も,あちこちでほころび,もはや崩壊寸前だ。 セーフティネットを失った現代社会と,近代的自由なき前近代社会。それぞれの功罪を,先入観なしに学んでみる秋であろう。 2009/1/15 劣化する日本社会谷川昌幸(C) 1.お年玉で買える会社 株価(日経平均,ダウなど)は,国力,とくにその国の将来性の評価であり,大局的にはかなり正確である。この株価の点で,日本の国力低下は,欧米よりも大きい。 いまの日本には,数万円くらいの子供のお小遣いで買える会社がたくさんある。日本の小中学校では,アメリカ金融資本にそそのかされ,株式投資ゲームを授業でやっているが,そんなままごとではなく,お年玉をつかって本物の会社の株を買った方がよい。小学校が,株屋さんになるなんて,いかにも世紀末的で,面白い。 2.非正規雇用を助長する教育学部 その結果,日本の小中高校は,いまや2,3割が非常勤教員。小中高校は,非正規雇用を常態化し,そのような労働形態を子供たちに刷り込んでいる。 これは,おそらく世界最悪の権利無視教育現場の一つだろう。戦前の日本よりも悪い。無停電・無スト・飽食日本が,どうしてこんな惨憺たる有様になってしまったのか? 3.ネパールから学ぶ 1.2か月学校が休みになっても,どうということはない。 2008年3月卒業者 大学別就職状況(文科省)
NHK「ムスタン王国」の真実・再説谷川昌幸(C)
1.「ムスタン王国」ヤラセ事件
かつてNHKの辣腕プロデューサーが「禁断の王国・ムスタン」(1992)を制作し放映した。傑作ドキュメンタリーで,日本中が感動した。(ユーチューブではまだ未公開) ところが,誰かにねたまれたのか,このドキュメンタリーはヤラセであり,ネパール王国と日本視聴者を愚弄するものだと,攻撃の火の手が上がった。問題にされたのは主に次の点:
・ムスタンは「王国」ではない。 ・流砂はスタッフが流したもので,ヤラセ。 ・高山病は仮病で,ヤラセ。 この他にも,多くのヤラセや誤りが糾弾され,やむなくNHKも調査委員会を設置し,制作過程を調査した。その結果,問題にされたことの多くが事実と認定され,特別番組でそれが詳しく説明された。そして,NHK会長らが,皆様のNHKが善良な視聴者を騙したとして,平身低頭,沈痛な面持ちで平謝りを繰り返した。このとき辣腕プロデューサー氏らがどのような弁明機会を与えられたのか,またヤラセ判定・懲戒処分後,どうなったのかは分からない。
この経緯を見て,私は唖然とした。そして,断固,番組を擁護すべく授業で何回も取り上げ,「ムスタン王国」の「真実」を力説した。
2.「事実」は語らない
写真にせよドキュメンタリーにせよ,生の「事実」をあるがままに写すものではない。撮影者,制作者の意図に従い,生の現実のある部分を切り取り,写真やドキュメンタリーとして表現する。学術論文にしても絵画,文学作品にしても同じこと。 「事実をして語らしめる」という客観主義の常套句があるが,これは真っ赤な嘘であり,生の事実は何も語りはしない。撮影者・制作者が,一定の意図に従い「語らしめる」ことによって,つまり事実を「加工」することによって,事実は何事かを語り始める。
3.ドキュメンタリーと演出
この制作者の意図(意思)による事実の加工が,「演出」である。写真にせよドキュメンタリーにせよ,いや学術論文ですら,およそ作品は「演出」なしには,ありえない。 4.「真実」を伝えた「ムスタン王国」
では,「ムスタン王国」の場合はどうか? ムスタンが高山の厳しい自然環境の中にあり,そこへの経路が険しく,流砂があり,ときには高山病になることは,事実だ。制作者は,そのムスタンの「真実」を伝えることを目標に,番組を制作した。 ところが,取材中には,あいにく流砂も高山病も発生しなかった。もっと手間暇をかければ,いずれそれらは発生するだろうが,取材班にはその余裕はなかった。そこで,流砂を人為的に流し,高山病の振りをし,撮影した。
「流砂」も「高山病」も,そのとき,そこで起こった「生の事実」ではない。しかし,そこでは,それらはしばしば発生することであり,番組がその「真実」を伝えることを目標とするのであれば,「ムスタン王国」は大筋では視聴者を騙したことにはならない。(いくつか事実誤認や誤りがあったことはたしかだが,こうした海外取材ではある程度はやむを得ない。)
むしろ,あえていうならば,ドキュメンタリーは「生の事実」を伝えるものだという誤った情報をセンセーショナルに流し,善良な人民をヒステリックな制作者糾弾に誘導したことの方が,ヤラセとして批判されるべきである。
5.演出の許容範囲
しかし,そうはいっても,演出が無制限に許されるわけではない。演出がすぎると,文字通り「絵空事」となり,「事実」が何か分からなくなってしまう。演出がどこまで許されるかは,一方における「真実」を伝えようとする制作者の誠意と表現能力,他方における「真実」を見ようとする視聴者の成熟度により,つまり制作者と視聴者の「真実」をめぐる格闘を通して,自ずと妥当な範囲に収まっていくだろう。それが表現の自由の醍醐味だ。 「ムスタン王国」の場合,過剰演出かどうか,たしかに微妙なところではある。安全第一であるべきなら,番組最後の字幕部分に,「王国は通称,流砂と高山病は再現映像」と一筆入れておけば,よかった。そうすれば,この番組がこれほど糾弾されることはなかったであろう。
6.「事実」はつくられる
実は,このことは,大学が新入生に,まず第一に教える,ごく初歩的な事柄だ。新入生は,教科書の記述を「事実」そのものと信じて疑わない。小中高校で,文科省やその支配下の教員に,そう洗脳されているからだ。 そんな新入生に対し,大学はまずガツンと一発,すべての「事実」は誰かにより「つくられた事実」だ,とぶちかまし,新入生どもの心地よい独断の眠りを覚ましてやる。大学教育は,国家への反逆から始まる。それをしない大学は「大学」の名に値しない。
だから,写真やドキュメンタリーを見て「生の事実」だなどと脳天気なことをいう大学卒業生は,日本には1人もいないはずだ。それは基本中の基本で,口にするのも恥ずかしいくらいのことだ。
6.解釈と「事実の堅い芯」
しかし,「事実」はすべて解釈によりつくられるかというと,決してそうではない。もし「事実」はすべてつくられるものなら,ノンフィクションとフィクション,歴史と歴史小説の区別がつかなくなってしまう。「事実」はつくられるが,しかしすべてがつくられるわけではない。ここに,科学(学問)や文学・芸術の難しさがある。 この問題を鮮やかに分析し,大学生にもよく分かるように易しく面白く叙述したのが,E.H.カー『歴史とは何か』(岩波新書)だ。大学新入生の必読文献であり,日本の大学生はみな読んでいる。ここに書いてあることの概略でも理解していないと,独断の微睡みから目覚めない大人子供と見られ,大学を卒業させてもらえない。
しかし,碩学カー先生の本は,完全に理解しようとすると,これは難しい。本当に「事実の堅い芯」など,あるのか? あるとすれば,どのようにしてそれを認識するのか?
カー先生は,「歴史は現在と過去との対話である」と力説される。それは,「真実」をめぐる制作者と視聴者,作者と読者の間の対話と言い換えてもよい。難しいことだが,こうした大人の対話を続けていくしか,「事実=真実」へは接近できないのだろう。
2009/1/14 「統一ネパール共産党・マオイスト」誕生谷川昌幸(C)
ネパール共産党・マオイスト(CPN-M)とネパール共産党統一センター・マサルが,1月13日,統一し,「統一ネパール共産党・マオイスト」となった。うろ覚えだが,もともとMashalとMasalであり,「h」の有無だけだから,イデオロギー的には大差ない(間違いであればあとで訂正します)。
1.マオイスト政権の死守
この統一の目的は,政権死守。統一共産党(CPN-UML)や他の政党が政府与党から離脱しても,マオイスト政権を維持していくための布石である。 新生「統一マオイスト」のプラチャンダ議長は,その統一の目的を,「帝国主義」からの国民(民族)主権の防衛と宣言した。つまり,マオイスト政府に反対する者はすべて「帝国主義者」か「その手先」とされ,「人民」ないし「民族」の名で弾圧されることになる。
2.「プラチャンダの道」から人民独裁へ
「統一マオイスト」は,党綱領から「プラチャンダの道」を外し,「人民民主主義(人民独裁)」をより明確化する。 新党のナラヤン・カジ・シュレスタ中央委員は,帝国主義「Big Brother」の介入は許さないと宣言し,人民共和制を「街頭,政府,議会」を通して実現していく,と明言した。「街頭」が第一であることに注目!
3.実力闘争で政権死守
プラチャンダ議長も,クラマンチでの統一マオイスト結成大会(1/13)で,マオイスト政府を倒そうとする動きがあれば,「人民叛乱」でたたきつぶす,と宣言した。 「マオイスト政府は,過去の政府[90年代のブルジョアがらくた政府]の失敗を繰り返しはしない。もし政府を倒すなら,わが党は直ちに人民叛乱を展開し,権力を掌握する。・・・・世界の何者もわれらを阻止しえない。」(KOL, Jan.13)
4.プラチャンダ帽の大波
いま巷では,黒色のプラチャンダ帽(トピー)が流行っているという。われらが英雄プラチャンダ首相にあやかろうと,ミーハーも実利派もプラチャンダ帽を買い求め,着用し始めたようだ。 しかし,「黒」は,すべての色を吸収してしまう。アナーキーであり,逆転して,ブラック・ホールともなる。
「幾百の花からなる我ら」(国歌)
プラチャンダ帽は,本当に,この国歌=国家理念を象徴するのだろうか? あれほど百花斉放だった連邦制の話を,最近はとんと聞かないが,いったいどうなったのだろう?
停電で真っ暗のネパールは,暗闇に紛れ,黒色人民共和国に向かうのだろうか?
* Kathmandu Post, Jan.12-13; nepalnews.com, Jan.12-13. 2009/1/12 古き良きネパールの桜田淳子さん谷川昌幸(C) いさんで停電革命論を書いたら,秘かに敬愛するM氏から「けぇがるね?」と,軽~く一蹴されてしまった。敵もさるもの,本場仕込みは,さすが,しぶとい。 1.偽善のススメ 私自身,秘境丹後の山奥で暮らしていた頃,ハイカラな都会人から,しばしば「丹後は自然いっぱいでいいなぁ~!」と声をかけられた。いちいち反論はしなかったが,「それなら,ここに来て住んでみよ,偽善者め!」と,暗~い怒りをフツフツと煮えたぎらせていたものだ。だから――
都会人の自然礼賛は,偽善である。 それは,その通りだ。が,それにもかかわらず,偽善は偽悪よりもよい。自然破壊にしても戦争にしても,どうせ人間は強欲だから仕方ない,と偽悪に走ると,悪に取り込まれてしまう。 善には独善の悪が伴う。偽悪は,この独善の解熱剤,解毒剤だ。だから必要ではあるが,薬(毒=悪)が健康(善)に取って代わることはできない。 偽善ははなもちならないが,いくら偽善に見えようと,一人こっそり教会で罪を告白したり人知れず神仏に懺悔したりする一片の良心さえあれば,それは,断然,偽悪よりもよい。 2.NGOも偽善者たれ 3.「古き良きネパール」の偽善 しかし,「古き良きネパール」を偽善的にせよ語るのは,私たち日本人が守るべき価値あるものを失ってしまい,もはや取り返しがつかないところに来てしまっているからだ。私たちは失敗した。が,ネパールならまだ間に合う。どうか,日本のような失敗はしないでほしい,とそう哀願しているのだ。哀れなルサンチマンの発露といってもよい。 4.桜田淳子さんのネパール ウツウツしながらネットをのぞいていると,なんとそこに,わが青春時代のアイドル,桜田淳子さんのネパール訪問ビデオが,ユーチューブで世界公開されていた。1986年とあるから,私がはじめてネパールに行った頃だ。ひょっとすると,ネパールで一緒だったかもしれない。
桜田淳子さんがいまどうされているか知らないが,その頃の彼女は天真爛漫で,実にかわいかった。そして,ネパールもまだまだ「古き良き時代」だった。 この20年余で,ネパールは,桜田淳子さん以上に大きく変わり,多くのものを失ってしまった。停電16時間でそれらが回復されるはずもないが,少なくとも,失ったものは何かを思い起こすきっかけぐらいにはなるだろう。 5.ユーチューブの功罪 そもそも著作権については,私自身,ますますアンビバレントな感情に引き裂かれつつある。文明化を先導する光明(啓蒙)思想によれば,知識・情報は万人のものであり,いずれ著作権はなくなる。これは間違いない。 しかし,そうなったとき,人は本当に創造の暗~い欲望――悪徳の悦び――を維持し続けることができるだろうか? 真っ昼間,万人監視の下で,人は子づくりできるか? 創世記が言うように,人間は光から身を隠すことによって初めて,自分の財産と子をもち,ここから歴史を始めた。Propertyとは,自分固有の心身と,それが外化された子や作品を意味するが,そうしたpropertyは光から身を隠すことをもって始まったのだ。 ところが,21世紀の神となりつつあるインターネットは,人々の生活の隅々までその光を及ぼし始めている。これがさらに進行すれば,万物は万人の前に明らかとなり,誰かに固有のもの(property)は無くなってしまう。逆に言えば,万物が万人のものとなったとき,隠されてあるべき悪徳の悦びは失われ,人は創造への意欲を維持できなくなってしまうのではないか? 光は文化を破壊する。暗闇こそが,文化を育む。だから停電は・・・・ ネパールの停電16時間から,こんな議論をするのは,いささか飛躍がすぎる。が,少なくとも,無停電とし,あまねく光を及ぼせば,人は幸福になるというものでもなさそうである。 2009/1/11 停電16時間の革命的意義谷川昌幸(C) カトマンズは明日からパワーカット16時間,1日の2/3が停電だ。これはスゴイことであり,それに耐えうるネパール社会の「強さ」,「健全さ」は賞賛に値する。 1 日本は,近現代化で贅沢三昧,肥満虚弱社会と化し,このような試練にはとうてい耐えられない。 わが大学では,ほんの数分の停電であっても,半月前に予告し準備するが,それでも文句たらたら。あるいは,水道の断水でも大騒ぎ。先日も,東北地方で,1,2日断水したら,なんと全国ニュースとなり,水道局が平謝りしていた。 電気や水道が数日止まろうが,たいしたことはない。いざとなれば,川の水を薪で煮沸して飲めば済む。ただ,それだけのこと。死にはしない。 この肥満虚弱日本社会では,いまやストライキですらできない。1日や2日,電車やバスが止まろうが,学校が休みになろうが,本来なら,どうということはない。それなのに,ストでもしようものなら,まるで極悪非道の反社会的行為であるかのように世間やマスコミに糾弾される。 こんな不健全な肥満虚弱社会を誰が,何のためにつくったのか? だれが,こんな社会から利益を得ているのか? 2 部外者の無責任を承知で言うのだが,ネパールの16時間停電突入で困るのは,外国人や都市富裕層だ。低所得層や地方農民などは,もともと電力依存度が低いので,あまり困らない。都市であっても,バグマティ川岸のスラム住民は平気だ。 いま電力カットにたらたら文句を言っているのは,ネパールの特権階級であり,電力不足解消要求は,彼らの特権回復・維持のためなのだ。 極論すれば,電力不足,化石燃料不足は,近現代化で格差拡大し肥満化の兆しが見え始めたネパール社会を,地方農民・都市下層住民の立場からいったんリセットし平準化するチャンスといってよい。それらがなくなってしまえば,都市も農村も生活条件はほぼ同じになり,格差は解消し,失業者は一人もいなくなる。 3 暴論だと非難されるかもしれないが,これは格差社会日本の現状を鋭く批判し,話題となった赤木智弘「『丸山真男』をひっぱたきたい。31歳フリーター。希望は,戦争」(『論座』2007年1月号)と同趣旨の議論である。 赤木氏は,バブル崩壊により就職機会を失い挽回の希望すら持てなくなってしまった「負け組」にとっては,格差社会の「平和」の現状を耐え忍ぶよりも,むしろ戦争による根底からの現状否定,社会のリセットの方が望ましい,と主張した。 乱暴な議論であり,政財界はおろか労組や「進歩的」知識人からも激しい非難を浴びたが,しかし,赤木氏の議論は危険ではあるが,決して的外れではない。格差拡大し,それが固定化し,「負け組」には復活の希望すら持てなくなったとき,「負け組」がそうした格差社会の平和的改善ではなく,それを根底から否定(リセット)し,いわば自然状態に戻って,そこからやり直そうと考えるようになるのは,至極当然のことだ。 そもそも,いまの資本主義社会も,市民戦争(革命)により中世封建社会を根底から覆し,既成秩序なき自然状態に戻ってから,改めて創り出された社会に他ならない。 だから,社会で格差が拡大し,それが固定化してきたら,右か左からの「革命=戦争」が唱えられ,社会の下層多数派から支持を集めるようになるのは当然なのである。 4 しかし,革命であれ反革命であれ,そして戦争はむろんのこと,あまりにも犠牲が多い。できれば,それは避けたい。 そのためには,自由放任にすれば格差の拡大・固定化に向かう社会を,つねに揺り動かし,平等化する努力をすることが絶対に必要となる。 人は,裸の状態(自然状態)ではみな自由・平等であり,これが正義であることは自明の理だ。 ところが,皮肉なことに,平等な人が自由を行使すれば競争となり,格差が生じる。この格差は,平等の理念からすれば,悪だ。しかも,それが固定化すれば,自由の自己否定にすらなってしまう。 だから,人間社会はつねに平等と自由の理念により批判され,格差が固定化しないように修正され続けなければならないのだ。 5 この観点から見ると,日本は肥満虚弱化が進行し,もはや揺り動かすことすら難しい危篤状態に陥りつつある。労組や「進歩的」知識人ですら赤木論文の問題提起を理解できず,既存格差社会の擁護に回ってしまった。 これに対し,ネパールはまだ健全といえる。ストもバンダも,停電も断水も,日常茶飯事だ。 たしかに,バンダも停電も困りはする。しかし,困るのは自分が特権的生活をしているからであり,バンダや停電はその悪しき生活を反省させてくれる必要不可欠の機会なのだ。 24時間365日停電となれば,ネパールの人々は都市も農村もなくほぼ平等になる--逆説的ではあるが。 2009/1/10 マオイスト文化大革命にグローバル危機の追い風谷川昌幸(C)
1.世界を導くネパール革命
アメリカ発グローバル危機で,ネパール・マオイストが世界的に注目され始めた。Bill Templer, "Ferment in Nepal: A dynamic vortex of revolutionary change"(6 Jan. 2009)は,こう絶賛している。 「ネパールは,地理的にいかに僻地であろうと,社会的・政治的変革実験の中心地の一つである・・・・。ネパールにおける議論と実践の進展は,国境をはるかに越え,社会主義左翼の立場に立つあらゆる人々のところへ波及するであろう。サミール・アミンも,反グローバル化蜂起が起こると考えている。
[引用略] ネパールの変革は,『新しい社会的ヘゲモニー』がまさしく世界の最高峰に現れ出る前兆となるであろう。」 2.社会民主主義の可能性?
もちろん,テンプラー氏は,公平のため,FES(Friedrich-Ebert-Stiftung)代表Dev Raj Dahal氏の次のような社会民主主義的見解も紹介している。 ――ネパールの公共領域(市民社会)では,いま様々な主張や意見が活発に表明されており,「多面的移行期(multiple transition)」にあるといってよい。現在,様々な勢力が対立しているが,いずれその対立を乗り越え,根源的(急進的)な民主的綜合の秘蹟(alchemy of radical democratic synergy)が実現するであろう。
alchemyは字義的には「錬金術」だから,テンプラー氏が社会民主主義をどこまで評価しているかは疑問である。目指すは,やはりマオイスト革命であろう。
3.人民民主主義革命の再確認
(1)人民共和国 むろん,マオイストの中にも革命路線の違いはある。テンプラー氏が与するのは,どうやら急進派のようだ。彼は,マオイスト中央委員会ネトラビクラム・チャンド(Biplap)委員の見解を紹介し,次のように述べている。 「彼は,党指導者の革命路線に異を唱えている。もしCPN(M)がプラチャンダ提案に従うなら,『わが党は修正主義の泥沼の中に頭から引き込まれることになるだろう』と,彼は危惧している。」
さらにインドラモハン・シグデル(パサンタ)によれば,2008年11月のマオイスト全国大会は,「人民連邦民主国民共和国」を党の目標として確認した。そして――
「三つの闘争方法[制憲議会,政府,街頭活動]」のうちの「街頭行動が最も重要である」とのべ,実力革命継続を強調したという。
もしこれが事実であれば,マオイストは革命による人民民主主義の樹立を依然として目標としているということになる。
(2)前衛としてのYCL
この実力革命の前衛が,YCL(青年共産同盟)である。勢力は約50万人。様々な逸脱を批判されているが,失業対策,農村開発,腐敗・犯罪対策,教育改革など,多くの分野で社会改善の成果を上げているという。 (3)私学廃止
教育については,バブラム・バッタライ蔵相(マオイスト)が,2008年11月,私学全廃の方針を示した。ネパールの学校の1/3は金持ち優遇の私学であり,これを全廃し,教育の機会均等を実現するという。 (4)文化大革命の再評価
さらに,テンプラー氏は文化大革命についても好意的に紹介している。マオイスト中央委員会ダルメンドラ・バストラ委員によれば,2008年11月のマオイスト全国大会は,「プロレタリア文化大革命」の実践であり,大衆を革命の中に引き戻すものだと評価される。 また,Dongping Han教授(Warren Wilson College)によれば,「マオの文化大革命は,人類の2000年の歴史の中で,人間の能力を高めた最大の事業であるにちがいない」。
2008年11月のマオイスト全国大会が,文化大革命の実践だとすると,これは興味深い。
4.ネパールは「ダイナマイト」
マオイストの目指す人民共和国は,ゴパル・キランティ文化・国家再建大臣によると,宿痾の岩石を粉砕するダイナマイトとなる。 Gopal Kirati, "Perspectives on new state restructuring in Nepal"(2008)によれば,ネパールは,シェルパ自治州など800の郡からなる人民共和国となる。そして――
「『二つの岩の間のヤム芋』という反人民的定義を放棄し,ネパール共和国の諸民族は,強力な国民定義を確立する。その定義は,ヤム芋ではなく,21世紀の二つの岩の間の『ダイナマイト』となるであろう。これは,『プロレタリア・インターナショナリズム』の基礎の上に立つものだ。」
5.パワーカットで文化大革命
ビル・テンプラー氏のことは全く知らないが,このレポートを読むと,ネパール・マオイスト急進派はなお意気軒昂で,いまにも文化大革命に突入しそうだ。 紅衛兵は,もちろんYCL(青年共産同盟)だが,では,走資派は誰だろうか? 哀れなネパールの「劉少奇」となるのは誰だろう?
折も折,カトマンズは革命前夜的パワーカット停電16時間に突入。ブルジョアを太らせるだけの電力をパワーカットすれば,人民のパワーは自ずとアップする。
グローバル危機に停電16時間。ネパールはまさに再革命前夜。マオイスト文化大革命の好機到来,といってよいかもしれない。
- * Bill Templer, "Ferment in Nepal: A dynamic vortex of revolutionary change," http://communistwombat.blogspot.com/2009/01/ferment-in-nepal-dynamic-vortex-of.html 2009/1/8 BJPに屈したプラチャンダ首相谷川昌幸(C)
プラチャンダ首相が1月7日,BJPの圧力に屈し,ネパール人僧侶任命の決定を反故にし,インド人僧侶に宗教儀礼の続行を要請した。最高裁の裁決に従うという条件付きで,この先どうなるかまだ分からないが,今のところ全面降伏といってよい。政教分離の世俗原理を無視して宗教に介入したことへの「神罰」である。
昨日も書いたように,パシュパティ寺院の統治の詳細は私には分からないが,新聞報道によると,おおよそ次のようになっているようだ。
国家元首(首相)=PADT守護者
→パシュパティ地域開発基金(PADT)運営委員会 →パシュパティ寺院 この統治構造は,ネパールがヒンズー教国であり,国王がヒンズー教の守護者(パトロン)であったときは,原理的に,何の問題もなかった。ヒンズー教が王権(国家)を聖化し,そのかわり国王(国家)がヒンズー教を守護する。したがって,寺院人事にも,国王は当然介入できる。
ところが,国家世俗化により,ネパール国家元首には,もはやそのような宗教への介入は,原理的に,できないことになった。プラチャンダ首相は,宗教に介入する憲法上の権限を持たないのである。
ところが,7日の議会でも,プラチャンダ首相は,この政教分離原則を一顧だにせず,次のような趣旨の発言をした。
・パシュパティ寺院の新僧侶任命に当たって,PADT運営委員会に対し,適任者をPATD守護者たる首相に推薦するように依頼し,この推薦に従いネパール人僧侶を任命したのだから,この間の手続は完全に合法的であった。
・(しかし混乱を招いたので)インド人僧侶の辞任承認を取り消し,職務継続を要請した。 ・2人のネパール人僧侶の任命は取り消す。 ・ネパール人僧侶の辞任を承認する。 政教分離原則からすれば,このような宗教事項への介入自体が違憲だ。プラチャンダ首相は,自分を国王と同様の宗教の守護者と勘違いしているのではないか。世俗国家の(実質的)元首たる首相は,どのような宗教活動もしてはならないのである。
(補足) 寺院も変わらざるをえない
プラチャンダ首相のパシュパティ寺院人事介入は,拙速だったが,方向性は間違ってはいない。世俗国家では,宗教は内面的信仰の自由と引き替えに,世俗的なものは国家に返却しなければならない。パシュパティ寺院のように,慈善事業や福祉事業をするのであれば,世俗的な部分については国家規制を受けざるをえない。世俗化で国家が変わると同時に,宗教も変わらざるをえない。 「カイザルのものはカイザルに,神のものは神に返しなさい。」(マルコ福音書12・17)
* nepalnews.com, Jan.7; Kantipur, Jan.7; Kathmandu Post, Jan.6
2009/1/7 パシュパティ寺院と世俗国家の分離を谷川昌幸(C)
1
パシュパティ寺院の僧正(mul bhatta)任命問題で,ネパールが混乱している。
ネパールがヒンズー教王国であったときは,宗教と政治は一体であり,国王政府が宗教儀式を執行したり聖職者を任命しても,原理的には何ら問題はなかった。ところが,国家世俗化で状況は一変,国家は宗教の領域に,原理的には,介入できないことになった。
この国家世俗化の状況下で,マオイスト主導政府が,3世紀に及ぶ伝統を否定する形でパシュパティ寺院僧正人事を断行,従来の南インドのバッタ・ブラーマンではなく,ネパール人であるビシュヌ・プラサド・ダハール博士とサリグラム・ダカール氏を僧正に任命した。
この革命人事に対し,インドBJPや国内保守派(バンダリ一族など)が猛反発,両派の衝突となった。
両派は,最高裁に提訴し,来週には裁決が出されることになっているが,どのような裁決であれ,一件落着とは行かず,紛争は継続する可能性が高い。
2
それは,これまで祭政一致であったネパール国家が世俗化され,政教分離の原則により,政治の領域と宗教の領域を分離せざるをえなくなったことに,根本的な原因があるからである。
どこまでが政治で,どこからが宗教なのか? どれが内面的信仰にかかわる宗教活動であり,どれが社会習俗・社会儀礼なのか? 寺院の活動のうち,国家規制に服すべき経済活動や社会福祉事業・教育活動・慈善事業は,どれとどれか?
これは,日本の靖国神社や地鎮祭,あるいは寺社の様々な副業を見れば分かるように,非常に複雑な難しい問題であり,下手をすると,社会を分断する深刻な宗教紛争に発展しかねない。
3
パシュパティ寺院の運営がこれまでどうなっていたのか,詳しいことはわからない。寺院統治の任にあるのは「パシュパティ地域開発基金(PADT=Pashupati Area Development Trust)」らしい。あまり有難味のない世俗的な名称だが,「けぇがるね?」(1/5)によると,「政府系公社」で,総裁は以前は王妃だったそうだ。「政府系公社」であれば,国粋主義者マオイストの意を受け,ネパール人僧正を任命するのは,よく分かる。
この僧正人事について,プラチャンダ首相は,特別の意図はなく,単なる偶然にすぎない,と説明している。16年間在職したインド人のムル・バッタが3ヶ月半前,強引に辞任したので,PADTの要請により2人のネパール人僧正を任命したのだという。しかし,この説明には説得力はほとんどない。
これに対し,2日後,KB.マハラ情報通信相(マオイスト)が,あっけらかんと,こう説明した。ネパール人僧正を任命したのは,政府(PADT)が寺への「奉納金(Bheti)」を管理するためだ。つまり,寺への巨額の奉納金を透明化し,きちんと管理し,社会福祉事業のために使うようにする,ということのようだ。
4
プラチャンダ首相の説明は政治的ごまかしであり,本当のねらいはマハラ情報通信相のいうとおりであろう。
パシュパティ寺院がインド支配下にある限り,ネパールの真の独立は叶わない。イギリス国家国民の独立がイギリス教会のローマ教会からの分離独立を要求したように,ネパールの真の独立のためには,パシュパティ寺院のインドからの分離独立が必要となってきたのだろう。国粋主義者マオイストらしい考え方だ。しかも,マオイストの勢力拡大にもなる。
5
今回のパシュパティ寺院問題は,国際的なインドからの分離独立(ナショナリズム)問題と国内的な政教分離問題とが絡んでおり,解決は容易ではない。
しかし,ネパールは,世俗国家化した以上,もはやこの問題を避けて通ることはできない。できるだけ犠牲の少ない形での軟着陸を願っている。
* Kantipur, Jan.5; Nepalnews.com, Jan.3,4,5,6; The Himalayan, Jan.5. |
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