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2008/10/31 ネパール歯科医療協力20周年記念シンポジウム2008/10/27 オム・マニ・ペメ・フムとネパール国歌谷川昌幸(C) この夏1か月,タメルのチベットゲストハウスに滞在し,毎朝,1階レストランで朝食をとった。そのとき流れていたのが,「オム・マニ・ペメ・フン」。
これは不思議な音楽だ。日本の歌謡曲そっくりの長い導入部分があり,つぎに「オム・マニ・ペメ・フン」のマントラ(祈り)が延々と繰り返され,そして再び歌謡曲そっくりの導入部分に戻って,いつとはなく終わっている。 実に長~い。毎朝,朝食をとりながら,新聞3紙を読み,ブログ記事を書き,ノートを整理して,1時間はレストランにいたが,その間,ずぅ~と,このチベットのありがたいマントラ音楽が流れていた。 そうすると,あ~ら不思議,不信心でバチあたりの私でも,日一日と心が浄化され,一週間もすると,門前の小僧くらいの悟りの境地には達した。げに,マントラはありがたいものだ。 ホテル HP ロビー天井の装飾(クリック拡大)
1階レストランの「オム・マニ・ペメ・フン」で癒され,天空浮遊気分で6階の部屋に戻ると,これも休日以外のほぼ毎日,近くの小学校から子供たちの歌声が聞こえてくる。新国歌の練習をさせられているのだ。 子供は天真爛漫,天使のように無邪気だし,国歌は国家の尊厳を表すものだから,はなはだ言いにくいのだが,「オム・マニ・ペメ・フン」の後で聞く子供たちの国歌練習は,どうもいただけない。天空浮遊から,世俗国家の俗世に引き戻されてしまう。 国歌は近代ナショナリズムの下婢。人殺しを職業とする軍隊が,殺し殺される恐怖をごまかすため歌わせる軍歌と同類だ。フーコー流にいえば,近代国家=軍隊=学校,つまり国歌=軍歌=校歌なのだ。 歌は,歌うものであり,歌わされるものではない。 陰鬱な「君が代」を練習させられる日本の小学生もかわいそうだが,いまいちぱっとしない「百花斉放(意訳)」を毎朝歌わされるネパールの子供たちもかわいそうだ。特に,最後の部分は見事に盛り下がって終わる(編曲で最近かなり改善されたが)。朝っぱらからこれでは,元気が出ないだろう。 2008/10/22 共産党のシッポ切り:マルクス・レーニン・毛沢東谷川昌幸(C) ネパールの共産党には、進化の名残のシッポがついている。
【本体】 【シッポ】 ネパール共産党―毛沢東主義派
ネパール共産党―統一マルクス・レーニン主義派 ネパール共産党―統一センター(マシャル) 先の選挙で大勝し権力についてみると、どうやらこのシッポが邪魔になり始めたようだ。こんなシッポは進化の名残だ、切ってしまえ。というわけで、マオイストもUMLも統一センターも、シッポ切りに向かって動き始めた。 シッポを切れば、みな「ネパール共産党」。めでたく大政翼賛共産党が生まれ、人民民主主義の実現も夢ではない。 しかし、シッポにも血は流れている。切ると痛いだろうなぁ。自然に退化し、短くなり、やがて消えていくのを待った方がよいのではないかな? Communist Party of Nepal (Maoist) नेपाल कम्युनिष्ट पार्टी (माओवादी) Communist Party of Nepal (Unified Marxist-Leninist) नेपाल कम्युनिष्ट पार्टी (एकिकृत मार्क्सवादी-लेनिनवादी) * nepalnews.com, Oct.17,21; KOL, Oct.17,18; Telegraph, Oct.10 2008/10/19 軍派遣で安保理入り:朝日の反動化谷川昌幸(C)
このところ,朝日は本当に変だ。10月19日付社説は「安保理入り,核軍縮と平和構築に力を」。
「日本はPKO予算の16.6%を負担して2位だが,要員の派遣では82位にとどまっている。これではいけない。できる分野や領域で,もっと積極的に参加することが可能なはずだ。/テロや紛争を絶つためには,非軍事分野での平和構築の努力も欠かせない。」(社説10/19)
要するに,安保理入りのためには,自衛隊をPKO要員としてもっと派兵せよ,と要求しているのだ。その一方,非軍事的貢献は「努力も欠かせない」と,「も」扱いだ。
本末転倒。憲法前文,9条を持ちながら,どうしてこんなことができるのか? 朝日は,改憲派に転向し,進軍ラッパを吹き鳴らしはじめたのだ。
(参照)
2008/10/16 血液型優生学を粉砕せよ谷川昌幸(C) ネパールで仕事に忙殺されていて気づかなかったのだが、この夏、東京新聞にトンデモナイ血液型政治家論が掲載されていた。御瀧政子氏(心理研究家)と清水孝幸氏(東京新聞記者)の対談「即興政治論」(8月12日)。
あまりにも低俗で相手にするのもはばかられるが、やはりこれは看過しえない。こんなものは出たらすぐ叩くべきだ。ナチスも、当初は、皆がバカにしていたため、ひどいしっぺ返しを受けた。ひどい目にあいたくなかったら、こうした荒唐無稽だが、危険きわまりない記事は完膚無きまでに粉砕してしまうべきなのだ。 どんな「心理研究」の成果か知らないが、御瀧氏の分析によると、こうなるそうだ。 O型:狩猟民族。行動的、リーダー。 お見事! 血液型優生学のお手本だ。ナチスも草葉の陰で喜んでいるだろう。 なぜ東京新聞がこんなばかげた記事を掲載したのか? 推測だが、おそらくそれは朝日もやっているからだろう。日本の良心、天下の朝日がやっているのだから、血液型優生学は科学にちがいない、と思いこんでしまったのだ。 朝日は一日も早く血液型政治家記事を取消すべきだ。 (参照) 2008/10/15 マオイストとナショナリズムと国辱的グリーンカード宣伝谷川昌幸(C) ネパールの政党はみなナショナリストだ。「万国の労働者、団結せよ!」と叫んでいる共産党もナショナリストだ。土着農民の味方、マオイストは最右翼ナショナリストだ。 そのマオイスト主導政府のヤダブ大統領は、世俗国家となったにもかかわらず、憲法の政教分離原則を無視し、14日午後、国家元首としてダサイン祭フィナーレを祝うためバクタプルのナラドゥルガ寺院に出かける(下図記事参照)。 ナラドゥルガ寺院でのプジャ(礼拝)儀式への国家元首出席は、ビレンドラ国王が1988年に始めたもので、ヒンズー教国家ナショナリズム強化が目的であることは明白だ。 それなのに、世俗国家となった後も、国家元首としてコイララ首相が出席し、そして14日にはヤダブ大統領が出席するという。 その点、プラチャンダ首相は、公人としての宗教儀式参加を潔癖に拒否しており、偉い。尊敬に値する。しかし、首相は国政の最高責任者であり、大統領の憲法違反を止めさせる責任がある。政治的判断で、大統領をスケープゴートとして利用しているのかもしれないが、そんな姑息な手段は危険であり、止めた方がよい。 いずれにせよ、マオイストは最右翼世俗ナショナリストであり、伝統的なヒンズー教国家ナショナリストを泳がせ、利用しようとしている。にもかかわらず、こんな広告を出されて、恥ずかしくないのか? 米グリーカード宣伝。ブッシュ大統領写真付。2008.10.14
ネパールなんか早く見限り、アメリカへ行こう、とこの広告は訴えかけている。祖国愛なんか足蹴にし、国外脱出を呼びかけている。 ネパール・ナショナリスト、特に最右翼のマオイストは、こんな広告を出されて、恥ずかしくないのか? マオイストは、某国右翼顔負けの街宣車を多数もっている。マーカンタイルや広告主(米政府?そのエイジェント?)のところに押しかけ、即刻広告中止の要求をすべきではないか。 検閲、言論弾圧、それとも営業妨害? そうかもしれないが、これはあまりにもひどい。ヤダブ大統領が、憲法を無視し、ヒンズー教国家ナショナリズム鼓舞のためヒンズー教寺院でのプジャに出かけるという記事をあざ笑うかのように、ブッシュ大統領お墨付きの派手な大広告が、上から、右から、国外脱出を呼びかけている。 恥ずかしくない? な~んも感じない? だったら、エベレストに赤旗を立てるなどといった大言壮語は止めた方がよい。 2008/10/13 カトマンズポストにみる神々の争い2008/10/12 ネパールに義務教育なし? 堺平和貢献賞をめぐって谷川昌幸(C) ネパール教育支援団体が、栄誉ある「堺平和貢献賞」を受賞されたことは大変めでたいが、受賞記事を見て「あれ、本当かな?」と、いささか気になった。
ネパールには「義務教育制度」あるいは「義務教育」がない、というのは本当だろうか? たしかに、ネパールの教育制度には曖昧なところがある。しかし、ネパール政府が署名・批准した教育関係国際諸条約には「義務教育」が明記されているし、現行憲法にも政府の諸文書にも「義務教育」を規定していると解しうる規定がいくつかある。 したがって、国連諸機関は、「ネパールの義務教育は5年」と明記している。この義務教育は、2012年までに中等教育レベルまで延長される予定である。 (初等教育純就学率、約90%) 制度通り実行されないことは、どこの国にもある。また、地域レベルで実施されていても、全国化していないということもある。ネパールの場合は、どうなのだろう。 ネパール政府あるいはネパール教育関係者は、ネパールには「義務教育」はない、と認めているのだろうか? 定義次第でどちらともいえることだろうが、気になるので、機会をみつけ尋ねてみたいと思う。 (補足)ネパール暫定憲法第17条によれば、「すべての市民は、法の定めるところにより、中等教育レベルまで国家により無償教育を受ける権利を有する」。この規定については、それは権利の保障であり義務教育規定ではない、という議論はあり得る。しかし、義務教育において教育を義務づけられるのは、子供自身ではなく、国家や保護者である。もしそうなら、それは第17条の権利規定と同じことである。すべての子供に中等教育までの無償教育を受ける権利が保障されるなら、その権利を保障する義務は国家と保護者にある。未成年者たる子供には自分の権利を放棄する自由はない。「無償義務教育(free and compulsory education)」と書いた方が明確だが、たとえそう書かなくても、子供の教育権の保障は義務教育といってよいであろう。乳幼児の生存権の保障が、両親や国家を義務づけるのと同じことだ。乳幼児に自己の生存権を放棄する自由はない。 2008/10/11 ネパールとホリエモンに学ぶ恐慌時代の生き方谷川昌幸(C) 金儲けなど、古代・中世の人々が信じていたように、非人間的な卑俗な活動だ。現代最大の哲学者の一人、ハナ・アーレントによれば、金儲け労働は、消費の必然への隷従であり、エサを求める動物と同じこと、人間の尊厳に値しない。
ちょっと言いすぎでは、と思わないではなかったが、「時は金なり」の低俗資本主義思想を広めたベンジャミン・フランクリンを建国の父とし、100ドル紙幣に刷り込み、その思想をドル札とともに世界中に広め刷り込んだアメリカが、「時」と「金」を「情報」と読み替え、バーチャル資本主義化し、世界をいかさま賭博に引き込み、バブルをふくらませ、そして破滅させるに及び、やはり哲学者は偉いと改めて感心した。 100ドル札は「紙切れ」であり、ましてや「電子化マネー」は「電子のバブル(泡)」にすぎない。それらは、だまされ、信用している限りで、価値を持つ。が、誰かが、それは「紙切れ」だよ、「電子記号」だよ、と言ったとたん、化けの皮がはがれ、無価値となる。世界でもっとも信用ならない経済専門家たちが、株暴落を「信用収縮」などと物知り顔で解説しているが、そんなことは自明の理だ。 この恐慌時代においてもっとも参考になるのは、「ネパール的生活」か「ホリエモン的生活」である。下記参照。 ●ホリエモン的生活 ●ネパール的生活 2008/10/10 世俗化とダサインとサイエントロジー教会谷川昌幸(C) ダサインを祝う善男善女の皆さんは、ネット版カトマンズポスト(図1)をみて、ギョッとされたに違いない。仏教徒の私ですら、ビックリした。
ネット版カトマンズポスト画面のど真ん中に「十字架」が現れ(図2)、これはイカンとページを閉じまた開くと、今度は画面中央の2/3が「愛」と「真理」のビデオ画面(図3)になる。いずれもサイエントロジー教会の宣伝だ。 サイエントロジー教会については、全く知識がない。なんでも、1954年にアメリカで設立された新宗教とのこと。「サイエントロジー」「scientology」でネット検索すると、出てくるかもしれない。 ネパールは世俗国家になったのであり、どのような宗教であれ、布教の自由を持つ。しかし、よりによって、ダサインのど真ん中に「十字架」を見せつけることはあるまい。 これが世俗化ということなのだ。いずれ世界統一教会なども宣伝を始めるだろう。 ネパールの善男善女に、この神々の争いが堪えられるだろうか。世俗政党の権力争いよりも、私には神々のこの熾烈な覇権争いの方が心配だ。 図1 ネット版カトマンズポスト(2008.10.7) 図2 初回アクセスで十字架表示 図3 再度アクセスでビデオ表示 2008/10/9 wikiでkumariで金儲け谷川昌幸(C) wikiはスゴイ。2,3日前からアクセス急増。ハテナ?と思ってリンク元を見ると、wiki。誰かが、wikiの「クマリ」記事の隅に小さく、わがブログへのリンクを張ってくれていたのだ。 (わがブログは不評だが、クマリは人気者。)
大人気の新クマリ(参考写真。本文とは無関係。nepalnews.com, 2008.10.7)
常々、欧米学界の権威を笠に着て、wikiは使用厳禁、もし使用したら0点と申し渡しているが、こんなにありがたいものなら、こっそり利用してみようと思う。 wikiに記事を書き、わがブログをそれとなく宣伝するのだ。こうすれば、アクセス急増は間違いない。それがどうした、と笑われるかもしれないが、なかなかどうして、アクセス増は絶好のチャンスなのだ。 わたしはかねてよりホリエモンを大いに尊敬しており、ネット商売で億万長者になることを夢見てきた。そして、ついに某社から「金1500円也」の広告仲介料が入ったのだ。 しかも、いまや大学は全教員に対し、研究の社会への還元を名目に、ベンチャー起業を奨励している。要するに、冒険的金儲けをやれということ。 常識で考えれば、まったくもってバカげている。武士の商法丸出し。大学の世間知らずの先生方がベンチャー起業に手を出して成功するはずがない。しかし、米ギャンブル資本主義に目がくらんだ大学当局は、ベンチャー起業で社会貢献せよと強要してくる。 というわけで、私も起業家精神を大いに鼓舞され、楽して金を儲けることを考えた。そして、ついに金1500円也を儲けたのだ! これでギャンブル資本主義世界での成功の秘訣を会得した。アナーキー・ネット世界で情報操作すればよいのだ。旧資本主義時代は「時は金なり」であくせく働いたが、いまは「ネット情報は金なり」で濡れ手に粟である。スゴイ時代になった。グーグル万歳! 2008/10/7 三百代言的司法か迅速安価な人民裁判か谷川昌幸(C) 1.唯物論的権威主義
バイラワのルパンデヒ郡裁判所は巨大な建物で、本当にこんなばかでかいものが必要かどうか、疑問だ。 そもそも官公庁の建物の豪華さは、権威主義と比例し、民主主義と反比例する。一般に、独裁者は、本物の精神的権威の不足を補うため建物を巨大化し、その見せかけの権威により人民を威圧しようとする。そして、建物が巨大化すればするほど組織も巨大化し、官僚主義となり、組織維持が自己目的化する。ラナ将軍家時代、シャハ復古王朝時代の建物はみな立派だ。このバイラワの郡裁判所も、その典型だ。 こうした唯物論的権威主義は、マオイスト政権になっても変わっていない。制憲議会会議場は、マオイスト本家の人民会堂には及ばないものの、議会制民主主義国では最大級であり、後方議員は双眼鏡がなければ演壇がよく見えないほどだ。 外務省も、ナラヤンヒティ王宮をぶんどることにしたらしいが、これでも狭すぎると贅沢を言っている。そのせいか、共和制成立後博物館となるはずの王宮がまだ公開されていない。外務省が「私物化」するつもりかもしれない。民よりも官優先なのだ。 2.迅速安価な人民法廷 むろん「人民裁判」が糾弾・リンチ裁判や魔女裁判となりやすいことも事実だ。刑事にせよ民事にせよ、人民裁判では手続法(訴訟法)が無いに等しく、被告の人権が守られないからだ。 しかし、ネパールの既存裁判所が「人民法廷」以上に民主的に機能しているかというと、決してそうではない。ネパールの三権の中でもっとも腐敗しているのは、司法ではないか。憲法には被疑者、被告人の諸権利が麗々しく並べ立てられているが、実際にはそれらは空文化し、ほとんど無視されている。しばしば報道されるように、裁判は汚職腐敗の魔界巣窟であり、庶民は三百代言的司法の食い物にされている。 この腐敗した既成の裁判所に比べたら、危険ではあるが、「人民法廷」の方がまだましだ。少なくとも金と時間がかからない。マオイスト自治政府が各地に設置した人民法廷が住民に大好評だったのは、当然だ。相続でも離婚でも、住民は「人民法廷」に駆け込み、国家の裁判所は開店休業になっていた。 ばかでかい裁判所を建て、組織を肥大化させ、秘教的な法解釈・司法手続を判事、検事、弁護士、司法職員らに独占させておけば、いずれ司法分野もマオイストに取って代わられるだろう。 2008/10/5 悠久のタライとリキシャのある風景谷川昌幸(C) タライは平地だから、リキシャ(リクシャ)が多い。ビックリするほど多い。
カトマンズのリキシャは、時々、地元の人や荷物を載せているものの、メインは観光客向けだ。 タライのリキシャは、完全に日常生活用。車体もカトマンズのものより一回り大きく、暑いので幌も大きい。これがうだるように暑い日向のたんぼ道を、遠くからゆらゆらやってくる。悠久の時の流れを実感する。 タライは、カトマンズのような醜悪な化石燃料依存社会にならないでほしい。もうしばらく、自然環境に優しい(車夫には厳しい)リキシャで雇用を確保しつつ頑張れば、タライに優しいマオイスト開発至上主義政府が発電所を造りまくり、電力は余り、やがて電気自動車の時代となる。 ネパールは、有線電話を飛び越えて一気に携帯電話の時代となった。タライには、リキシャから電気自動車への「革命的飛躍」が望ましく、また現実的だ。マオイスト革命飛躍政権も、きっと応援してくれると思う。 パラシの農村(2008.9.12)
リキシャでパラシFESセミナー参加。右は家具屋さん(2008.9.12)
パラシの町の屋台前で客待ちするリキシャ(2008.9.13)
バイラワの国道。この数キロ先はインド(2008.9.13) 2008/10/4 ティカ廃止の英断谷川昌幸(C) マオイスト主導政府を見直した。カトマンズポスト(10/2)によると、ヤダブ大統領は、国家元首として人民に祝福のティカを与えることを止めることにしたらしい。世俗国家だから当然とはいえ、よくやった。非難に負けず、政教分離を貫徹してほしい。
王制時代には、国王はビシュヌの化身として人民に祝福のティカを与えていた。これはこれで一貫しており、何ら矛盾はない。しかし、ネパール人民は世俗国家を選択したのだから、国家は宗教儀式としてのティカへの関与を廃止して当然だ。(ティカを習俗とみると、違憲ではないが、現状では明らかに宗教儀式。) ティカについては、1958年、B.P.コイララ首相が国王からの祝福ティカを止めさせようとしたが、このときは失敗した。偉大なBPにできなかったことを、断固実行するとは、マオイストは偉い。(ヤダブ大統領はマオイストではないが。) カトマンズポスト社説は、「ティカの習慣を正式に廃止することにより、ネパールは真に世俗的となる」と述べているが、まさにその通りだ。 しかし、最後の結論がいただけない。「Eid-ul-Fitrとクリスマスがダサインやティハールと同等に尊重される国家――それが真に世俗的だ。」 なぜそんなことになるのだ。もしそうなら、新嘗祭も世界統一教会合同結婚式も国家祝日にしなければならない。政教分離とは、国家が諸宗教を公認するということではない。そんなことをしたら、ネパールの祝日は年800日以上になるだろう。 政教分離とは、国家(政治)と宗教を分離するということなのだ。 2008/10/3 タライのイスラム教徒谷川昌幸(C) パラシ-バイラワ-ルンビニ付近をトヨタ四駆で走り回っていると、イスラム教徒が多いことを実感する。村のあちこちに小さなモスクやムスリム学校があり、学校には子供たちがたくさんきている。いま手元に統計はないが、かなりの比率のようだ。
これまで、他の多くの国々とちがって、この地域でヒンドゥー教、仏教、イスラム教が比較的平和に共存してきたのは、なぜだろう? いまカトマンズでは、西洋直伝の包摂・参加民主主義がもてはやされているが、これは各人のアイデンティティ確認を強要するものであり、コミュナリズムを覚醒させ、こうした諸宗教のゆるやかな(おおらかな)平和共存を危うくするのではないだろうか? Bhairahawa, 2008.9.13 2008/10/1 新時代の雑誌創刊 |
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