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日志


2009/9/30

UNMIN派遣隊員がCRF報道官に

谷川昌幸(C)
やはり,そうだったのか! UNMIN派遣陸自隊長(第1次隊)をつとめた石橋克伸1佐が,中央即応集団(CRF)司令部の報道官になっていた。
 
 1.自衛隊とNGOとUNMIN派遣隊員
以前に紹介した田鈴香氏の記事の続編「続・ただ今,陸上自衛隊国際活動教育隊に滞在中! 集中模擬訓練「指揮所演習」始まる」(日経ビジネス,9月30日)によると,NGOのいくつかは,どうやら自衛隊に取り込まれつつあるようだ。
 
そして,そのNGOと自衛隊の媒介役の一人が,UNMIN派遣経験を持つ石橋1佐なのだ。吉田氏は,CRF「指揮所演習」についてこう説明している。
 
 「次のスケジュールにあったNGOの訪問では、実際のNGO、難民支援協会の事務局次長が仮想の現場を訪れた。そして、自衛官を相手に、実際にNGOの活動との調整をするロールプレイを行った。
  評価役の教官や他の隊員など衆人が見守る中できっと緊張したのだろう。NGOが繰り出す事情説明と協力の要請に、渉外担当の担当官は、「答えず拒否せず」の感じが否めない。お役所的な対応に感じられる。
 日常的に人に慣れているNGO職員の方が、「では、こうすればいいのでしょうか」と、口調は滑らかだ。筆者は、隊員はNGOに助けられているな、とすら感じた。
 ここは、さすがに、ロールプレイ後、先輩でネパールの国際連合ネパール支援団(UNMIN)で軍事監視員の経験を経てきた石橋克伸1佐が積極性を持って接するようにと、助言をした。」
 
見事な「民軍協力」だ。ネパールは「NGOの総合デパート」といってよく,そこで実地訓練をしてきた石橋1佐がNGOの扱いになれているのは当然である。
 
2.自衛隊に取り込まれるNGO
 しかし,NGOは「民軍協力」のつもりでも,実際には丸腰NGOは,権限と金と武器を持つ自衛隊の対等パートナーではありえない。必ず,いつしか「軍民協力」になり,NGOは軍に利用されることになる。
 
 3.米軍ー自衛隊ーNGO
この自衛隊=NGO「軍民協力」が恐ろしいのは,その自衛隊も米軍の下働きをさせられているからだ。吉田氏はこう説明している。
 
武器だけでなく、計画書作成でも米国様式を共有 ・・・・なるほど、米軍様式は武器だけではなく、計画書作成というソフトにおいても共有されているのか、と気付いた。」 (ゴシック原文)
 
米軍は世界展開しており,しかもオバマ政権は米単独主義から国際協調主義へと戦略転換した。自衛隊はその米軍に魂(ソフト)も身体(武器)も握られ,米国が要求すれば,米軍補完のため自衛隊の世界展開を進めざるをえない。しかも,米国はソフトパワー重視に転換したから,自衛隊の世界展開は必然的に民生支援重視の「軍民協力」となる。米軍が自衛隊を利用し,自衛隊がNGOを取り込み,利用する。あまりに単純明快で,にわかには信じられないほどだ。
 
そして――自衛隊ネパール派遣こそが,その広告塔なのだ。
 
参照
2009/9/25

ミスネパール2009を容認したマオイスト

谷川昌幸(C)
Fem Hidden Treasureの「ミスネパール2009」が9月24日,開催された。マオイストもなめられたものだ。女の力で人民戦争に勝利したくせに,もうインド系企業の金に目がくらみ,「気の抜けた」(ニューケララ),「形だけ」(警察談)のデモで少し抵抗しただけで,下劣な女品評会を容認してしまった。
 
会場の「トリブバン軍会館」がどのようなものか,私にはまったく知識がないが,女品評会の会場が軍会館とは,出来すぎた話だ。
 
そもそも,多民族多文化国家ネパールでミスコンをやること自体が,無神経だ。今回の「ミスネパール2009」は,タマン民族の女性で,おそらく仏教徒,身長168センチ,体重56キロ。たいへん魅力的な女性であることはいうまでもない。
(Republica, 25 Sep)
 
しかし,最終審査に残った他の15人の中には,ネワール民族,ブラーマン,チェットリ,タライ系民族もいる。また宗教も,仏教,ヒンズー教だけでなく,ひょっとするとキリスト教や無宗教の人もいるかもしれない。その中から,どんな基準でタマン民族の女性を選んだのか。
 
いまのネパールでミスコンをやれば,民族や宗教や言語や学歴の順位づけになる。栄光を夢見て応募する女性たちを責めることは出来ない。ケシカランのは,そのような乙女心をを利用し,つまり,マオイスト風にいえば,女性を搾取し,金儲けをたくらむ強欲資本家どもだ。
 
マオイスト幹部たちは,あらかた利権にありつき,もはや革命を進める気はないらしい。真正ネオ・マオイスの出現は時間の問題であろう。
2009/9/23

国旗論争ではマオイスト劣勢

谷川昌幸(C)
 国旗問題では,今のところ,マオイストの新国旗案は劣勢だ。カンチプールのネット調査では,国旗変更賛成14%,反対80%(9/23現在)。
 
 
 
カタック・マッラ博士も,「国旗ではなく党名を変えよ」(Nepalnews.com, 23Sep)と主張している。博士の議論そのものはかなり怪しいが,現在の政治状況をよく反映してはいる。
 
博士によれば,ネパール国旗の祖型は,13世紀以来のデンマーク国旗よりも古く,世界最古の旗の1つだ。太陽と月がシャハ王家とラナ将軍家を象徴しているというマオイストらの批判には,全く根拠がない。
 
三角形の旗は4千年前の「マハバーラタ」に出てくる。また,国旗としては,民主主義的なゴータマ・ブッダの時代に使用され始めた。ブッダの父は,国王ではなく,シャカ共和国の選挙された代表だった。
 
仏教思想によれば,国旗の赤は意欲を,青は誠実と勇気を,そして白は知恵を表す。仏教は世俗思想であり,宗教の形をとったのは後のことだ。だから,仏教思想をシンボライズした旗は,宗教的な人も世俗的な人も無宗教の人も,ともに共感できるものである。
 
あるいは,青は平和,赤は革命と勝利を象徴する。
 
もしそうであるなら,なぜ共産党は国旗を変えようとするのか? 共産党は,国旗を変えるのではなく,自分たちの党名の方を変えるべきだ。「マルキスト・レーニニスト」とか「マオイスト」は,残虐きわまりない全体主義的弾圧のシンボルだからだ。
 
 ――以上のようなカタック・マッラ博士の国旗擁護論は,先述のように,いまのネパールのイデオロギー状況をよく表している。
 
マオイストは,革命思想だから,「古いもの」は「古い」というだけで破壊されて当然だし,「伝統」は切断されてしかるべきだ。それが革命というものである。
 
これに対し,博士のような保守主義者は,「古いもの」や「伝統」を守れと反論する。保守主義者だから,国旗などの制度は古ければ古いほど正統で価値があり,だから守られなければならない。この理屈もよく分かる。
 
しかし,仏教を使って国旗を正当化するのはいかがなものか? 仏教は立派な宗教だが,仏教が世俗思想だとか民主主義思想だというのは,いくらなんでもひいきの引き倒し,ムチャクチャだ。
 
仏教の政治的利用は,博士だけではない。西欧の某有名平和学者を筆頭に,ネパール人学者,政治家,官僚などが,流行に便乗し,さかんに仏教を政治的に利用している。こんなばかげたことは,直ちにやめるべきだ。
 
なお,ネパール共産主義諸政党に対し,スターリン批判をやれ,という博士の主張は,もっともである。ネパールの共産主義者たちは,自分たちの全体主義的傾向への警戒が著しく欠如しているからである。


2009/9/22

自衛隊海外派遣:「民軍協力」から「軍民協力」へ

谷川昌幸(C)
1.UNMIN派遣隊員がCRF教官に
吉田鈴香著「ただ今,陸上自衛隊国際活動教育隊に滞在中!」(日経ビジネスOnline,2009.9.16)によると,UNMIN派遣陸上自衛隊員(氏名不明)が,帰国後,その経験を評価され,中央即応集団(CRF)国際活動教育隊の教官に任命され大活躍されているという。

これは,当然,予想されていたことだ。ネパールに陸自隊員6名を派遣しても,ネパールにとっては,象徴的意味はあっても,実質的にはほとんど無意味だ。

しかし,自衛隊にとっては,UNMIN派遣は大きな意味を持つ。寺院とヒマラヤ,素朴な村人と子どもたちを背景に,ほとんど危険のないネパールで崇高な国際協力活動をする。その様子をPRし,またその経験を教えるなら,ネパール好きの日本人たちは自衛隊の国際協力活動を絶賛,自衛隊入隊希望者が激増し,隊員は競ってCRFを志願するに違いない。UNMIN派遣は,自衛隊の海外活動拡大への先兵なのだ。

自衛隊にとって,海外活動,特に国際協力活動は,無限に活動領域を拡大しうる未開の新天地だ。大勝で政権を握った民主党も,この方面への自衛隊活用を考えており,自衛隊にとっては念願の好機到来といったところである。

そして,その中心にあるのが,CRF(中央即応集団)である。山口浄秀CRF司令官(当時)によれば,CRFは「地球規模の対応」を任務に,「所命必遂,世界最強を目指す」という(『小原台だより』H20.1.1)。地域無限定,任務実質無限定,その気になれば,自衛隊はどこまでも拡大できる。「世界最強を目指す」と公言しているのだから,まちがいはない。
陸自・駒内駐屯地(グーグルより)

2.自衛隊違憲論の凋落
自衛隊をめぐる状況は,この数年で劇的に変化した。朝日新聞の自衛隊容認・積極活用への変節以降,自衛隊違憲論は凋落し,違憲を唱えても神学論争と嘲笑され,相手にもされなくなった。いまでは自衛隊の存在は当然のものとされ,それを前提に,いかに活用するかがもっぱら議論されるようになった。

自衛隊の海外派遣についても,以前であれば,合憲違憲の議論は避けられなかったのに,いまではそのような原則的な議論は棚上げにされ,あるいは海外派遣の合憲性は当然のものとされ,もっぱら具体的な国際協力活動において自衛隊をどのように活用するかが議論の中心になっている。

3.民軍協力
自衛隊の国際協力活動を認めるなら,当然,軍隊(自衛隊)と非軍事組織との関係が問題になってくる。自衛隊は,派遣先で,非軍事組織の人々と様々な形で協力し活動せざるをえない。これが「民軍協力(Civil-Military Cooperation)」である。この「民軍協力」については,たとえば次のように説明されている。

「民軍協力(CIMIC)=国際的な人道援助や平和活動において文民組織と軍事組織とが共通の目的や個別の目的の実現のために、互いが連携を図って協力することを指す場合に用いる。単なる民軍間の意思疎通、情報共有、調整といったレベルではなく、文民組織と軍事組織が共同で活動を展開する場合を想定している。・・・・なお、陸上自衛隊中央即応集団ではNATOのCIMICにあたる言葉に「民生協力活動」を用いており、その目的として「現地政府機関や地域住民等の信頼と協力を得て任務遂行を容易にする」ことを掲げている。」(上杉勇司「序章」,上杉ほか編『国家建設における軍民関係』2008,p25)

この「民軍協力」あるいはそれよりやや広義の「民軍関係(Civil-Military Relationship)」の行動指針は,文民組織側がつくったものであるが,最も標準的とされている「複合緊急事態での国連人道活動のための軍隊と民間防衛資産の使用に関する行動指針(MCDA)」(2003)によれば,次のようなものだという。

「①軍事的資産の使用要請は、政治的な当局からではなく、人道・現地調整官が人道的基準のみにもとづいて決定する。

②軍事的資産は、最後の手段として人道支援組織に利用される。つまり、軍事的資産は、文民の側に代替措置がない場合に、緊急の人道的ニーズを満たすために活用される。

③たとえ軍事的資産を活用したとしても、人道活動は文民の性格と特徴を保つ。軍事的資産は軍の統制下に残るものの、人道活動の全般的な権限と統制は人道支援組織が保持しなくてはならない。このことは、軍事的資産が文民の指揮統制下に入ることを意味しない。

④人道活動は人道支援組織が実施しなくてはならない。軍事組織は人道活動を支援する役割はあるが、本来業務での人道支援組織と軍事組織の役割と任務を明確に差別化するため、可能な限り、直に人道援助を施してはならない。

⑤軍事的資産を活用する際には、予め期限と規模を明確にし、今後どのように文民への移譲を進めていくのかを明らかにする。

⑥人道活動を支援するために軍事要員を派遣している各国は、国連行為規範(UN Codes of Conduct)と人道原則を遵守しなくてはならない。」(上杉,上掲書,p31)

4.軍事活動の本来的消極性と日本の役割
途上国支援活動においては,文民組織(政府,民間)が軍隊の支援を受けざるをえない場合があることは,もちろん否定できない。支援が必要な事態であればあるほど,紛争や内戦で治安が乱れており,文民組織だけでは安全の確保が難しい場合は確かにある。

しかし,ここで注意すべきは,上記MCDAも規定するように,一般に,軍隊による支援活動はあくまでも非常時,緊急時に限られるのであり,軍民の関係は分離を原則としなければならない。実力組織としての軍隊の活動は,本質的に消極的(negative)なものであり,他に手段がない場合の最後の手段として許容されるにすぎない。

ところが,日本の場合,もともと,この限定された国際協力でさえも許されていない。日本国憲法をきちんと読めば,軍隊(戦力)保持の禁止は明白であり,したがって違憲の軍隊を海外に派遣し国際協力活動をすることは,論外であり,憲法上それは到底許されない。

他国から何を言われようとも,日本は憲法上,非軍事的国際協力に徹せざるをえないし,また,現代史の流れをみると,それこそが今後の世界の進むべき方向であることも明かである。日本は非軍事的平和貢献を選択したのだから,率先してその課題に取り組むべきである。

5.「民軍協力」から「軍民協力」へ
日本は非軍事的国際協力に徹すべきだと考えるのは,憲法により禁止されていることと,歴史がそれを要請していることに加え,軍隊の持つ本質的危険性を恐れるからである。いったん自衛隊(軍隊)を海外に出し,「民軍協力」を始めてしまうと,おそらく「民軍協力」はいつしか「軍民協力」に変質してしまうであろう。特に日本においては,その危険性が高い。

軍隊は最強実力集団であり,秘密主義(軍機)と自己増殖本能を持つ。特に日本は,軍部独走の苦い経験を持つ。アメリカですら,産軍複合体は制御不能ともいわれている。そのような本質をもつ軍隊(自衛隊)を監視が困難な海外に出し,国際協力に参加させると,民主的統制(文民統制)が利かず,冒険主義と自己増殖に陥る恐れが強い。「民軍協力」のつもりで始めたら,いつの間にか「軍民協力」になっていた――そのような恐れのある危険な冒険は,始めるべきではない。

6.「軍の必要性に目覚めた」吉田氏
冒頭で紹介した国際ジャーナリスト吉田鈴香氏の場合も,「民軍協力」が「軍民協力」に変質してしまいそうな危惧を感じざるをえない。

吉田氏には,『アマチュアはイラクに入るな』(2004),『紛争から平和構築へ』(2003),『NGOが世界を拓く』(1995)などの著作がある。私は,いずれもまだ読んではいないが,書名だけからも,途上国援助や平和構築に関する広い知見をお持ちの方だということがよくわかる。

ところが,先述の記事「ただ今,陸上自衛隊国際活動教育隊に滞在中!」を読むと,本当にこれで大丈夫かな,「民軍」のつもりが「軍民」になり始めたのではないか,と疑問に思うような部分が少なくない。

吉田氏は,紛争やPKOの取材を通して「軍の必要性に目覚めたことが契機で自衛隊に関心を持ち始めた」。この記事は,その吉田氏が中央即応集団(CRF)国際活動教育隊(陸上自衛隊駒内駐屯地)に,講師,聴講生,取材者として滞在し見聞したことの報告である。

記事によれば,CRF国際活動教育隊には教官が約80名いて,その一人がUNMIN派遣経験者(氏名不明)である。

まず秘密について。「教育の内容には,秘密情報に触れる講義があるからと,全課程を体験入学することは許されず・・・・」と記されているように,著者も自衛隊が講義ですら秘密にする組織であることを認めている。(軍に秘密は当然だと反論されるかもしれないが,私には,何をしているのか分からないような実力組織を無力な文民がコントロールできるとは,どうしても思えない。)

その自衛隊について,著者が関心を持ったのは,「昨今重要な概念・手法として注目を浴びる『民軍協力』『地域復興チーム(PRT)』だった」。そして,すでに「研究の世界でも軍と民の交流は行われているのだから」,講義の内容は「文民がとらえるそれと同じであった」という。

しかし,これはつい数行前の記述とは矛盾する。著者は「秘密情報に触れる講義」には参加を許されなかった。軍隊には,文民組織では考えられないほど多くの秘密情報がある。講義の内容が文民組織と同じであるはずがない。特にNGOの中には,「民軍協力」そのものに否定的なものも少なくない。

著者も,教官たちへの取材を通して,中央即応集団では「任務全般における『民軍協力』『地域復興チーム』の位置づけが決定的に文民のそれと違うことに,気がついた」。

「軍にとってそれは1つの必要事柄にとどまる。軍が求められているのは,現地の要望と自分たちの能力との最大公約数をかなえること,任務を遂行するために自陣の兵(自衛官)が心身ともに正常な状態で過ごせるように配慮すること,母国の国民にアカウンタビリティーを示すことである。・・・・他国軍との協調行動,法令遵守,軍人の質の維持,必要な装備品の補給,つまり兵站など,『軍』としての普遍的な機能を維持するための能力をどんな地においても保つことが大事である。民軍協力もPRTも,任務達成のために必要だから行う1つの方法にすぎないのだ。」

ちょっと文意がつかみにくいが,結局は,軍は軍としての存立が第一ということではないか。

また,「家族の無事は,平常心であり続けるために必要」とゴチックで力説されているが,これはロマンチックな「銃後の守り」を想起させる。

さらに,こんなこともサラッと主張されている。

「教育の終盤,いよいよチームは集中訓練に入った。ある仮想の国に入って,国連PKOの枠組みの中で後方支援業務を行い,自主的な人道支援活動も行うことを想定して,計画,実施を行うのである。」

「(高木真一三等陸佐は)イラク派遣時,ただ上司からの指示を待つだけでなく,もっと自分からアクションを起こすべきではなかったか,と後になって思い始めたというのだ。」

これは,かなり危ない文章だ。軍隊は上官への絶対服従を大原則とする。武器を持つ部下が自主的に判断し動き始めたら,文民統制も何もあったものではない。現場で自主的に判断し積極的に行動してよいのは,文民組織,特にNGOである。軍隊はその正反対。軍人は,文人の命令を受けた上官の命令に絶対服従すべきもの。海外派遣軍人に,現地での自主的活動は,原理的に,許されない。

吉田氏が,自衛隊にこのような文民統制違反の活動を期待されるのは,文民組織の行動規範を無意識のうちに軍隊に移入させているからではないだろうか。吉田氏において,「民軍協力」はすでに「軍民協力」に変質し始めているのではないか。こんなことさえ主張されている――

「これまで国際協力の現場を多く見てきて,国力を強くするためのポイントは農業と軍であると考えている・・・・。」

■戦車に乗り感激の吉田氏(月刊正論)
 (クリック拡大)
「90式戦車に乗り込み感激のあまり手を挙げる宮嶋氏と吉田氏。戦車運転指示は岡本陸曹長、運転は澤入陸曹長にお願いした。」(月刊正論 http://www.sankei.co.jp/seiron/koukoku/2002/ronbun/06-r3.html)



2009/9/20

インド・コンプレックス知識人

谷川昌幸(C)
19日(土),パルタ・チャタジー氏のセミナーに参加した。
  「パルタ・チャタジー教授を囲む会」福岡大学国際会議場
   *Partha Chatterjee.1947年,コルカタ生まれ。コルカタ社会科学研究センター政治学教授,福岡アジア文化賞学術研究賞受賞(2009)

このセミナーに参加する気になったのは,実は,この8月,ネパールで氏の論文を含む本を買って,読んでいたからである。
  Rajeev Bhargava ed, Secularism and Its Critics, Oxford India, 1998
    Parth Chatterjee, "Secularism and Tolerance," pp.345-379

パタン・ドガからカトマンズ市内に向け,大渋滞を横目にぶらぶら坂を下り,橋を渡り,野良牛をからかい,ノルビック病院の方に右折し少し行くと,右側に超近代的書店があった。インド出版本が多く,この本もそこで買ったものである。

インド出版本には傑出したものが少なくない。この本も非常にレベルが高く,チャタジー氏の論文も難しいがたいへん面白い。インドでは,世俗主義についても,このような高度な議論が日常的に戦わされているのだ。

そこで不思議なのが,このようなインド学者の本が多数輸入され,売れているはずなのに,少なくともネパールの社会科学者たちがそれらにあまり言及していないことだ。彼らの多くが論拠にするのは,たいてい欧米のものである。

たとえば,ヒンズー教王国から世俗共和国への転換に関して,上掲書は当然注目されてよいのに,管見の限りでは,そうした議論はない。読まれているはずなのに,議論はされない。なぜか?

ここからは,全くの推測にすぎないが,ネパール知識人には抜きがたいインド・コンプレックスがあるのではないか? インド本で勉強しても,それを論拠に議論はしたくない,という屈折した感情だ。

ジャー副大統領のヒンディー語宣誓問題にからんで,マデシ系は,ネパール語よりもヒンディー語の方が語彙や概念が豊富で言語として優れているということを,論拠の一つにしてきた。

こんなことを言われ,正面から反論できないとすれば,これはインド・コンプレックスと言わざるをえない。ネパール社会科学者の間には,そのようなインド・コンプレックスがあるのではないか?

 Googleより

2009/9/18

国旗の変更

谷川昌幸(C)
マオイストが,国旗の変更を唱え始めた。これも言語と同じく大問題となる可能性がある。
 
現行国旗はヒンズー教と旧体制(王室・ラナ家)の図形化であり,たしかに反科学的,反人民的である。もし民主化運動Ⅱが本物の「革命」なら,こんな因襲的国旗は廃棄し,革命的民主的国旗に変えるべきだ,ということになるのだろう。
 
すでに国歌の方は,変更された。旧国歌は国王賛歌であり,反人民的,反科学的であった。したがって,これは早々に放棄され,科学的民主的な新国歌が採択された。味も素っ気もなく,2+3=5のような国歌だが,このようなものこそ科学的な正しい国歌なのだ。
 
マオイストは,この国歌と同様,国旗も科学的人民的なデザインへの変更を要求している。すなわち,各州に星(★)を一つ割り当て,それを国旗にデザインする。マオイスト連邦案は13州なので,13星紅旗となる。あるいは,開発区をおくとすると,星条旗となる。
 
 13星紅旗にせよ星条旗にせよ,科学的にデザインされることになるから,当然,正しい民主的国旗である。ヒンズー教のような迷信や王室のような封建的権威にはもはや依存しない。完全民主主義連邦共和国には,そのような科学的に正しい民主的国旗こそが相応しいのだろう。
 
     
現在の国旗       13星紅旗のデザイン例
 
2009/9/16

ジャー副大統領の逆襲

谷川昌幸(C)
ジャー副大統領が,またまた最高裁に反論書を提出した。ジャー氏は,最高裁のヒンディー語宣誓違法判決により職務停止中だが,副大統領の地位を失ったわけではない。国権の最高機関・制憲議会により正当に選出されながら,まだ就任宣誓をしていない状態(1年以上も!)なのだ。
 
ジャー副大統領がスゴイのは,ネパール語宣誓文書にはちゃんと署名している点だ。M.ウェーバーがいうように,そして広く世界中で認められているように,近代化とは文書化のことであり,口頭よりも文書が優先する(文書主義)。法律を熟知しているジャー氏は,近代行政のこの大原則をうまく利用しているのだ。
 
彼は何もかもわかった上でやっている。
 ・新国家の国是は民族自決 → 民族言語使用の正当性
 ・民主主義ないし近現代的行政の文書主義原則 → ネパール語宣誓書署名
 ・人民選出議会の優位 → 議会決定の優位性(統治行為論)
だから,原理的・論理的には彼の論破は難しい(インドには司法優位の伝統があるが)。
 
連邦民主共和国の国是によれば,こうなりますよ,それでよいのですか――彼はこう挑戦しているのだ。いやはや,まさしく悪魔の代弁人だ。
 
この挑戦には,連邦民主共和国の押しかけgodfather, godmotherたちにも応える義務がある。さんざん扇動して火事になりそうになると,あわてて首をすくめるのは,男らしくも女らしくもない。
2009/9/15

落日の悲哀

谷川昌幸(C)
ネパールに行くたびに,落日の悲哀が募る。身分相応の国力に戻るのだから,これでよいともいえるのだが,愛国者としては,やはり心穏やかではない。お国のため,国威発揚の道はないものか?
 
 日本は相手にもされない
 
 ラトナ・バス停前は韓国企業
2009/9/14

カンチプールの模様替え

谷川昌幸(C)
この土日,ekantipurにアクセスできないので,どうしたのかなと思っていたら,どうやら全面的模様替えのようだ。
 
気になるのは,アクセス制限強化。過去記事やPDFにはアクセス制限をかけ,有料化を目指すのかもしれない。情報に価値があれば,有料でも見られるだろうが,さてどうか?
 
私たちは,たとえ意識しなくても,すでに情報に様々な対価を払っている。広告,世論操作,アリバイつくり等々。それらの対価の中では,お金が一番安全だ。だから,情報が真に価値あるものなら,私たちは喜んで料金を払う。カンチプールも,購読料が取れるよう頑張っていただきたい。
 
2009/9/13

大臣の数と言語と給料

谷川昌幸(C)
▼大臣42名
MK.ネパール首相は9月2日,大臣を増員し,計42名とした。閣外大臣,副大臣も含めてだが,小国ネパールに大臣42名は多すぎる。包摂民主制だから,もっと増え,史上最大の巨大政府となるかもしれない。 (追加)11日,さらに2名追加され,44名となった。教育担当大臣Govinda Chaudhary(TMLP) ,青年スポーツ副大臣Chanda Chaudhar(TMLP) 。1995年のデウバ内閣48名に次ぐ2番目の巨大内閣。宣誓言語は不明。
  
▼就任宣誓の多言語化
就任宣誓の言語も増えた。大統領,首相らはネパール語,ラクシマン・ラル・カルナ無任所大臣(サドバーバナ党)はヒンディー語,そしてサルバ・デブ・オジャ女性子供福祉大臣(MJF-D)はアワディ語で就任宣誓をした。42人もいるのだから,ネワール語など他の言語でも宣誓されたのではないか?
 
さてそうなると,ジャー副大統領のヒンディー語宣誓に対する最高裁の違法判決が怪しくなってくる。副大統領の母語がヒンディーか否かは些末な問題だ。彼は言語と政治の原理的な問題を突いている。大臣はネパール語以外でもよいが,副大統領はダメ――そんな論理は通らない。(Nepalnews.com, 2 Sep.2009)
 
▼給与引き上げ
包摂民主制は,給与もお手盛り。引き上げ後の給与は,下表の通り。あれ,首相は大統領の半分! やはり大統領は民選国王扱いなのか。
 
といっても,本当においしいのは表向きの給与ではない。大臣らには,官舎,公用車,接待費,身内の海外留学,外遊など,多くの公式・非公式特権がある。議員にもある。一期務めれば,一財産できる。そんな議員が601名(定数),大臣が42名。行政経費は,君主制の方が,はるかに安上がりなのではないか?
 

Post

Previous Salary in Rs

Increased Salary in Rs

President

70,000

72,800

Vice President

50,000

52,000

Prime Minister

35,500

36,900

CA Chairperson

30,800

32,040

CA Vice Chairperson

27,800

28,920

Opposition Leader

27,800

28,920

Deputy Prime Minister

29,800

31,000

Minister

27,800

28,920

State Minister

26,300

27,360

Assistant Minister

25,700

26,730

Chief Whip

27,800

28,920

Opposition Chief Whip

26,300

27,360

CA Committee Chairperson

26,300

27,360

CA Members

25,100

26,110

   (Republica,10 Sep.2009)
2009/9/10

アメリカン・クラブ,空撮

谷川昌幸(C)
アメリカン・クラブ付近は,旅行者にとっては,エベレストより危険な場所だ。拘束はおろか,射殺さえされかねない。そんなにまでして何を守っているのか? 運動場や娯楽施設? まさか。そこで,空撮を試みることにした。
 
といっても,そんなことをすれば,高射砲かミサイルで撃墜(?)される。そこで,個人プライバシーから軍事機密まで平然と暴露してはばからない,グーグルを拝借することにした。
 
ご覧のように,野球場やテニスコートといくつかの建物があることは分かるが,それ以上は無理だ。グーグルがもう一段解像度を上げてくれるのを待つより仕方ない。どなたか,もしすでに詳しい情報をお持ちであれば,ご教示願いたい。
 
市販地図。中央がアメリカンクラブ。(上)王宮博物館,(左上)文部省,(左)SAARC本部,タメル,(左下)選管,(右下)アンナプルナホテル
 
グーグル地図。上記とほぼ同じ場所。アメリカンクラブ表示なし
 
グーグル地図(クリック拡大
 
グーグル空撮(クリック拡大
 
 ■米軍佐世保基地の場合
もう一段解像度が上がれば,出入りの車両も人物も丸見えとなる。
 
■海上自衛隊横須賀基地の場合
軍艦,車両,人物まで丸見え。グーグルの軍事機密暴露への貢献は高く評価される。軍事基地の動画配信を期待している。 
2009/9/9

インドラ祭と的外れマオイスト

谷川昌幸(C)
1.ヒンドゥー教王国のインドラ祭
インドラ祭は,ネパール統治を宗教的に権威づけるための「祭事」の色彩が濃かった。歴代シャハ家国王たちは,この「祭」を(事実上)主催することにより自らを権威づけ,ネパールの「政(まつりごと)」を執り行ってきた。まさにインドラ祭こそが,ネパール神権政治(theocracy)の頂点に位置するものだったのである。
 
そして,民主化運動Ⅱ以前のネパールはヒンドゥー教国家であったから,国王がインドラ祭に(事実上の)祭主として臨席し,タレジュ神化身としての生き神様クマリやガネーシュ神,バイラブ神を拝礼し,祝福を受けても何ら問題はなかった。むしろ,国王はヒンドゥーの神々の守護者であり,神々によって祝福されて当然だったのである。
  *クマリについては,V.マッラ(寺田鎮子訳)『神の乙女クマリ』1994年参照。
 
 2009.8.28撮影
インドラ祭山車3台。クマリ用は手前
 
2.世俗国家とインドラ祭
ところが,ネパールは民主化運動Ⅱの成功により世俗国家となった。もはや神権政治も祭政一致も許されない。政治と宗教は分離されなければならない(政教分離の原則)。
 
したがって,大統領や首相,大臣らは,原理的にインドラ祭には参加できない。インドラ祭は,宗教儀式ではなく社会的習俗だという反論もあろうが,どうみても,この議論は無理だ。インドラ祭は,靖国神社例大祭以上に宗教的である。
 
3.インドラ祭拒否のプラチャンダ首相
昨年(2008年)のインドラ祭には,ヤダブ大統領とジャー副大統領は出席したが,当時首相であったプラチャンダ氏(マオイスト議長)は欠席した。
 
 このプラチャンダ首相のインドラ祭出席拒否を,私は高く評価する。さすがマオイスト,唯物論者としての筋を通したのだ。
 
4.神権政治復帰のインドラ祭
ところが,今年のインドラ祭には,大統領,副大統領,MK.ネパール首相,諸大臣,高級官僚らが,雁首そろえて出席した。下図を見よ。かつての国王が大統領に代わっただけで,「祭=政」の構図は何ら変わっていない。
 
とくにけしからんのがMK.ネパール首相。国家統治の最高責任者のくせに,そして共産党の党首にしてバリバリの共産主義者のはずなのに,どうしてこんな少女虐待宗教儀式に出席できるのか?  生き神様クマリを礼拝する唯物主義共産主義者――まるでマンガだ。
 
インドラ祭臨席の大統領閣下と首相閣下(写真はnepalnews.comより)
 
生き神様クマリと,ティカ(祝福)をうけた大統領。(写真はRising Nepal, Sep.8より)
 
5.センスの悪いマオイスト抗議活動
このインドラ祭に向かう大統領,首相らに対し,マオイスト系の「ネワ民族解放戦線」が激しい抗議活動を繰り広げた。これを聞いて,私は当初,てっきり政府高官たちの宗教行為への抗議だと思った。それなら正義は原理的に解放戦線の側にある。
 
ところが,そうではなかった。彼らマオイストは,軍に対する文民優位(civilian supremacy)の確立を求め,カトワル前参謀長を擁護した大統領らに抗議していたのだ。これはもちろん,一つの大きな争点ではあるが,ここで持ち出すのは,あまりにも場違いである。
 
彼らの眼前では,いままさに迷信的神権政治が行われようとしているではないか? どうして,これを攻撃しないのか? ここを攻撃すれば,マオイストは必ず勝てるのに,なぜそれを忌避するのか? 政治的センス,悪いなぁ。
 
それとも,彼らマオイストもヒンドゥーの神々を恐れているのかな? みっともない話だが,ひょっとすると,そういうことかもしれない。
2009/9/8

[訂正] 信号機援助と「消された日本」

谷川昌幸(C)
1.訂正とお詫び:消されていなかった日本
2009年8月26日付記事「アメリカンクラブと市民マラソンと消された日本」について,JICAのご担当者の方から,事実誤認のご指摘をいただいた。
 
「8月26日付けのブログにあります信号機のドネーションボード撤去の件ですが、実は教育省側の交差点付近に永久構造物(コンクリート製の演台ぐらいの大きさ)として設置されており、それはいまも残っております。現地事務所を通じて確認いたしましたし、私も先週ネパールに出張した際、自分の目でも確認しております。」
 
ご確認されたとのことですので,「日本の痕跡が跡形もなく消し去られている」という部分は取り消し,事実誤認をJICAとネパール政府にお詫び申し上げます。
 
私自身,文部省側にも行って探したのですが,向い側の小銃を構えた警備兵が恐ろしくて,見落としてしまったのでしょう。
 
2.信号機支援の文化的意義
ところで,ネパールへの信号機援助は,たんに信号機を設置すればよい,というものではない。信号機そのものよりもむしろ「信号=ルールに従う」という遵法精神の育成の方が重要だ。「赤=止まれ」「青=進行可」という規則を守る,その法治主義のエートスの涵養だ。これは,ルールに従うという主体的自主的行為を要求するものであり,同時期に導入され始めたATM以上にネパールの近代化,民主化に寄与する。
 
この観点からいうと,この信号機援助は,模範的だった。信号機設置後,信号とは何か,信号にどう従うべきかということをイラストで易しく説明した看板が多数設置され,多くの指導員が出て「信号=ルールに従う」よう懇切丁寧に実地指導していた。
 
このようなソフト支援は,ハコモノとは異なり,あとにはエートス=文化しか残さないが,援助の不可欠の部分といってよいだろう。まだまだ信号無視は多いが,以前と比べ,雲泥の差がある。革命的変化といってよい。
 
 JICAがこの信号援助においてソフト支援にどの程度関与されたか私には分からないが,おそらく積極的に支援されたのであろう。もしそうだとすると,その功績は高く評価される。
 
 
設置直後の信号と交通安全教育(撮影2003年3月,以下同様)。上部に日本支援の表示
 
 
信号の意味をイラストで説明。上部に日本援助の表示
 
信号機支柱の表示。日の丸強制には断固反対だが,この信号機の「日の丸」には感動した。軍事支援の米国,軍依存の王室,拉致とテロのマオイスト――その血生臭い殺伐とした内戦の真っ只中で,敢然と非軍事的援助に徹する日本の象徴が,この「日の丸」だ。祖国への誇り,祖国愛,愛国心が沸々と沸きたぎり,しばし愛国者の歓喜を味わうことができた。
 
3.援助と宣伝
ここで難しいのは,援助の痕跡を残すか否かだ。堅牢な看板を立て「日本援助」と書いておけば,痕跡はいつまでも残る。そして,ネパール開発を日本が支援してきたこと,日本はネパールの友人であることを,看板を見るネパールの人々に,そのつど思い起こしてもらえる。
 
しかし他方,開発援助は自立支援であり,援助を吸収し自分のものにしてもらうことが目標である。とすると,援助の痕跡が消え去ってしまえばしまうほど,援助は成功したということになる。
 
とくにソフト支援の場合,ハコモノ以上に経費も時間もかかることが少なくないのに,支援が成功すれば,残るのは「交通マナー」などの文化だけである。ソフト支援においては,人々の記憶と歴史に残るという密かな期待――そうなれば最高の名誉であるとしても――をもって満足せざるをえない。
 
さらに日本の場合,援助を積極的に宣伝することに照れを感じるという奥ゆかしい国民性もある。ネパールの新聞などを見ると,日本関係の記事は非常に少ない。他の国々の多くは,日本よりも援助の件数も額もはるかに少ないのに,派手に宣伝し,記事で大きく紹介される。お国柄であろう。日本人は,援助を宣伝し日の丸を立てまくるのをハシタナイと本能的に感じてしまうようだ。
 
日本援助のグラウンドと巨大看板:デュリケル(撮影2003年3月)
 
スンダラ配電所1997年完成(撮影2009年8月)
 
4.援助の多面性
ネパール援助の痕跡を残すべきか否か,もっと宣伝すべきか否か? これは難しい。開発援助には,善意だけでなく,政治的計算や経済的打算も当然働いているからである。
 
参照:
2007/03/25   信号援助と「法の支配」と宣伝看板消失 (注)この記事についても,関係部分は,上記のように訂正します。
 
2009/9/7

政治家の人気比較

谷川昌幸(C)
世論調査は,日本でもあまり当てにならないが,科学信仰の現代では,何かをいうには「科学的」調査データを出さざるをえない。
 
下図は,主な政治家の人気比較(10点満点)。2007年1月~2008年1月の時点では,コイララさんが一番人気だ。
 
この調査はかなり「科学的」なものだが,ネパールのこの種の調査の欠点は,各機関がばらばらで,各調査データの相互比較が困難なこと。比較できない調査は,それ自体いくら「科学的」でも,あまり意味はない。
 
ネパールの「科学者」の皆さんには,もう少し「個性」や「独自性」「独創性」を抑制し,設問を標準化するなどして,比較可能なデータを集めていただきたい。
 
 
(注)2008年1月において,上からGP.コイララ,MK.ネパール,プラチャンダ,ギャネンドラ国王の順。
Nepal: Contemporary Political Situation - V Opinion Poll Report, Interdisciplinary Analysts, 2008, p73. 
2009/9/6

UNMINとCIA

谷川昌幸(C)
「人民評論」はそのつもりで読むと面白い。「UNMINの自由チベット・キャンペーン」(People's Review, 4 Sep 2009)もそうだ。情報源がはっきりしないが,ひょっとすると本当かなぁ,と考えさせてくれる。
 
記事によれば,ランドグレン代表をはじめUNMIN高官たちは,自由チベット運動に加担し,チベット人たちに武器を供給している。ある情報筋によると――
 
「UNMIN代表はカーストや階級[の対立]を利用し,国家(state)を創るCIA戦略に精通している。ランドグレン代表は,エチオピアでCIA活動に加担し,エチオピアからエリトリアを創り出した。・・・・代表はマオイストの信頼を勝ち取り,次にヒマラヤ国家(state)を分離独立させ,これによってCIAの対中国作戦を達成することをもくろんでいる。少なくともこれだけは明らかだ――ランドグレンは,多くの民族(nations)を分裂させ,連邦制に向かわせた。彼女は,CIAの最終目的を実現するために,ネパールに来ているのだ。」
 
記事によれば,エチオピアでもユーゴスラビアでもナショナリズムが強く,アメリカの思い通りにならなかった。そこで――
 
「結局,CIAはエチオピアとユーゴスラビアに民族(caste)自治のスローガンを浸透させ,その[分割の]仕事をさせるため,ランドグレンを送り込んだ。情報筋によれば,ランドグレンはエチオピア分割に成功し,次にユーゴスラビアの[国家]アイデンティティを抹殺した。情報筋によれば,CIAの三番目の特別任務は,このネパールである。」
 
「UNMIN筋自身が,UNMINの全職員はCIA関係者か英調査機関スタッフであることを認めている。」
 
「皆が,UNMINは国連平和ミッションであるという幻想にとらわれている。マオイストも当初しばらくは歓迎していた。しかし,UNMINは,マオイストが民族(caste)問題を持ち出したので,マオイストを利用しているにすぎない。情報筋によれば,CIAが北部にヒマラヤ国家(state)を設立することに成功すれば,UNMINはマオイストを捨て去るだろう。CIAが左翼愛国勢力を支持することは決してない。マオイストはそのことに気づくべきだ。」
 
さらに記事によれば,ゴードンUNMIN顧問は,米英合同機関の戦略家であり,コンゴでフツ族とツチ族の対立を創り出すことに成功した。「彼はネパールでカス系とモンゴル系との対立を創り出そうと目論んでいる。」
 
以上の記事は,無署名であり,情報源も「公安情報筋」や「情報筋」なので,信憑性を確かめようもないが,状況からして,いかにもありそうな話だ。
 
ネパールにおける民族自治・民族自決の議論はいささか不自然であり,必ずしも内発的とは言い切れないような気がする。被抑圧民族の不満が募っていることは事実だが,それに火をつけ煽っているのは,むしろ欧米諸国ではないか? UNMINを中心とする「国際社会」の強引とも思える介入をみていると,そのような気がしてならない。
 
むろん,いくら何でも,UNMINがCIAの手先(agent)であり,ランドグレン代表もCIAにより送り込まれている,といったことはあるまい。
 
しかし,その一方,UNMINがネパール内政に深く関与し,世論を民族自治,包摂民主制,連邦制に向け強引に操作し,以前であれば明白な内政干渉であったようなことまで手がけていることは事実である。
 
ネパール平和構築のためには,このような強引な介入もやむを得ないのだろうか? ネパールにとって,内発的民主化は本当に不可能なのだろうか? UNMINも,おそらくこの問いを常に問いつつ,活動しているのだろう。ネパールのような国への介入は,どのような国にとっても国際機関にとっても,大変難しく,相当の覚悟が求められることはたしかなようだ。
2009/9/4

大臣のヒンディー語宣誓

谷川昌幸(C)
1.大臣のヒンディー語宣誓
9月2日,サドバーバナ党のラクシマン・ラル・カルナ氏が,無任所大臣への就任宣誓をヒンディー語で行った。大統領と首相の前での正式な宣誓だから,このヒンディー語宣誓は公認されたと考えてよい。

さて,そうなると,すぐ問題になるのが,ジャー副大統領のヒンディー語宣誓。以前にも指摘したように,議員や大臣には母語宣誓を認めるが,大統領・副大統領・首相には認めない,という説明には,どう考えても無理がある。憲法が「ネパール語宣誓」と明記しておれば別だが,そうではないのだから,大臣や議員には認めても副大統領には認めないというのは不合理であり,これでは到底奇才ジャー副大統領は論破できない。(報道によれば,ジャー副大統領はまたまた最高裁に再審を提訴したそうだ。)

2.最高裁長官・大統領・法務長官の責任
ジャー副大統領のヒンディー語宣誓問題について冷静な分析をしているのが,カタク・マッラ博士。
  Dr. Katak Malla, Language of the Republic, nepalnews.com, 4 Sep 2009

マッラ博士によれば,2008年7月24日,K.P.ギリ最高裁長官がヤダブ大統領の就任宣誓を執行し,次に,ヤダブ大統領がジャー副大統領の就任宣誓を執行した。それなのに,一年もたった2009年8月23日,最高裁がヒンディー語宣誓を違法と宣言した(宣誓文書はネパール語)。この判決に対し,マッラ博士は,政治的および法的観点から,次のように鋭く批判している。

(1)1年後の判決
国家第二位の公職について,1年もたってから,最高裁が違法と宣言することの意味はどこにあるのか? この1年は何だったのか?
(2)大統領と最高裁長官の責任
もしヒンディー語宣誓が違法なら,宣誓を執行した大統領と,そのような宣誓を容認した最高裁長官にも責任があるのではないか?
(3)法務長官の責任
また,大統領の法律補佐としての法務長官や他の法律担当補佐官の責任もあるのではないか?
(4)最高裁の責任
結局,判決に1年もかかった最高裁に,この問題の責任があるのではないか?
(5)制憲議会の責任
最高裁も当事者となったこの問題については,国権の最高機関たる制憲議会が決定せざるをえないのではないか?

「宣誓において,最高裁長官は国家の司法を代表している。彼は,大統領の宣誓を執行するばかりか,大統領により執行される副大統領の宣誓をも監督する。この三人は,副大統領の就任宣誓で使用する言語を知っていたはずだ。もしどの言語かはっきりしていなかったのであれば,宣誓の前に,あるいは宣誓直後に,話合い,誤りがあれば訂正すべきだった。」

3.言語問題の悩ましさ
言語は民族の魂である。言語を異にする民族もあるが,一般には,民族は言語を中心に結集する。ネパール共和国は,民族自治,民族自決を国家原理として採択した。これは,言語自治,言語自決と言ってよい。

この原則に立つ限り,マデシのヒンディー語宣誓は拒否できず,また他の諸言語がそれぞれの言語で宣誓をはじめたら,それも拒否できない。

ネパール語を母語としない人々にネパール語で宣誓をさせることができるのは,国家の権力ではなく,権威である。その権威を,どう再建するか? これは難問である。