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    8/13/2009

    マオイスト諸君,ミスコンを粉砕せよ

    谷川昌幸(C)
    離島出張,平和集会参加でちょっと目を離したすきにネパール・ニュースが山積,本当に忙しい国だ。ジャー副大統領ヒンディー語宣誓問題も重要だが,まず論評すべきはやはりミスコンだ。
     
    昨年のミスコンはマオイスト同志の抗議によりまともに開催できなかった。今年は,おそらくマオイスト軟弱化と見て,開催に踏み切ったのだろう。
     
    ミスコン応募条件
    (1)未婚のネパール国民 ==既婚差別(処女検査の有無不明)
    (2)19~25歳 ==年齢差別
    (3)10+2以上の学歴 ==学歴差別
    (4)身長162.6㎝以上 ==体型差別
    (5)魅力的な健康で道徳的な女性 ==健康差別
     
    愚劣きわまりない。奴隷市場で,よく働き子供をたくさん産む女を品定めするのと,どこが異なるのか。マオイスト同志よ,こんな女性差別,女性蔑視,女性商品化を許してはならない。党是にかけて,断固粉砕すべし。
     
       
    ミスネパール2009募集広告/ミスネパール2007/ミスネパール2008応募者
     
    (参照)
    2/4/2009

    拝啓 マオイスト労相殿: これが研修奴隷だ!

    谷川昌幸(C)

    マオイスト労相殿は,失業対策として「人間資源」の対日輸出に鋭意取り組んでおられるようですが,日本労働市場はネパール人民の輸出先としてはあまり有利ではありません。全部とはいいませんが,外国人研修生は「現代の奴隷」と批判されています。今日(2/4)の朝日新聞記事「中国人研修生『18時間労働』」は,その実態を次のように暴露しています。

      研修生:中国人女性6人
      勤務先:大分の縫製会社
      勤務時間:午前8時~翌日午前3時
             休憩:昼食15分,夕食30分
      月給:3万円余(下記諸費差引後)
          寮費・光熱費:2万円
          管理費:3万円
          強制貯金:4万円
      中国側仲介保証金:60万円

    すべてが事実かどうか分かりませんが,取材し記事にしているので,大筋ではこの通りだと思います。そして,このような研修労働が,他にも少なくないといわれています。

    研修生たちによれば,「中国人は馬鹿だ」「強制帰国させる」と脅されていたそうです。若い女性たちが,60万円あまりで日本に売られ,半強制労働させられていたのです。月給3万円(強制貯金を入れても7万円)で,18時間労働! 「現代の奴隷制」といわざるをえません。

    マオイスト労相殿,マオイスト首相殿,ネパールの人民同志をこのような「現代の奴隷」として日本に輸出してよいものでしょうか?

    ネパールとの古き良き関係を維持発展させるため,「ネパール人間資源の対日輸出」政策の撤回を伏してお願いする次第です。

    2009/01/30 共産革命と対日「人民」輸出
    2009/01/19 対日ネパール人輸出,あるいは新三角貿易

    1/30/2009

    共産革命と対日「人民」輸出

    谷川昌幸(C)

    1.UCPN-Mの共産主義革命路線
    統一ネパール共産党毛沢東主義派(UCPN-M)の議員団が,共産主義革命路線を明確化させつつある。連邦民主国民共和国から人民独裁社会主義をへて共産主義を実現するのだそうだ(eKantipur,Jan.29)。

    これは,UCPN-Mのイデオロギーからして当然の選択であって,「独裁」抜きの共産党は「歌を忘れたカナリヤ」のようなものだ。

    2.対日「人民」輸出
    しかし,もしUCPN-Mが人民独裁民主主義を採るのなら,「人民」の対日輸出政策は直ちに撤回すべきだ。日本の外国人研修制度(下記解説参照) は,「現代の奴隷制」と批判されるように,外国人差別の典型だからだ。(参照:対日ネパール人輸出,あるいは新三角貿易

    今日の朝日記事「外国人にも解雇の波」(1/30)によると,いま日本企業はブラジル人などの外国人労働者をバッサバッサと切り捨てている。そして,その穴を埋めるのが外国人研修生。

    「直前までブラジル人が担っていたラインが,中国人研修生たちで占められていた。/ブラジル人の時給は1300円以上。一方,労働基準法の対象外となる中国人研修生は,時給が最低賃金を大きく下回る300~500円のところもある。工場がより低賃金の働き手に入れ替えを進めていたようだった。」(朝日1/30)

    時給300円とすれば,10時間労働で1日3000円。生活費を引くと,何も残らない。しかもその研修生ですら,採用キャンセルや中途解雇が急増している。

    こんな状態で解雇されれば,過酷な長時間労働をさせられたあげく,無一文で帰国せざるをえない。あるいは,もし研修生採用の「仲介手数料」をぼられたりしていると,借金の山だけ残るといった悲惨なことになる。

    これまでネパールの人々はたいへん親日的だった。日本人は,少なくともネパールに対しては,あまり悪いことはしてこなかったからだ。しかし,もしネパール人研修生を「安価な労働力」として輸入し,酷使し,不要となればポィッと捨て去るようなことをすれば,ネパールの対日感情は一気に悪化するであろう。

    UCPN-Mは人民の党だ。まさか,「人民」を「現代の奴隷」として売り払ったりはしないだろう。

    外国人研修・技能実習制度(朝日1/30)
    外国の労働者を国内に受け入れ、技術を習得してもらう制度。1年目は研修生、2~3年目は技能実習生として働く。本来は途上国への技術移転という国際貢献が目的だが、研修期間の賃金水準を低く抑えることができることから、人件費削減を図る企業が積極的に導入。人手不足に悩む中小企業にも広がった。

    12/29/2008

    ネパール養子,サンタにもらわれアメリカへ

    谷川昌幸(C)

    国際養子の制度も実態もよく知らないし,ましてやこのARK(Aiding & Rescuing Kids)も初めて目にする組織だ。だから,見当違いもあるだろうが,HPの宣伝を見ると,あまりにもショッキングで,驚きを禁じ得ない。こんなことをしていてよいのだろうか?

    81228a

    1.養子・里親の必要性
    子供たちの中には,様々な理由で親に養育されず,福祉施設や里親に養育されたり,養子として育てられる場合がある。それは,そうした境遇にある子供たちにとって必要不可欠の制度であり,救いである。

    たとえば,SOSは国際的に著名な組織で,ゼミ学生の研究を見ても,その里親制度が高く評価されている理由がよく分かる。
     *衣川あい 「社会的養護と愛着形成―フィンランドの実践から学ぶもの―」

    しかし,ARKのHPを見ると,ちょっと違うようだ。どうしようもない違和感を感じる。

    2.子供の選別
    ARKによれば,子供を養子にするには,まず「子供を選ぶChoose Your Child」ところから始まる。これは,5歳以下の「夢のような子供the child of your dream」を手に入れる最善の方法だ。

    ARKは,子供の健康等の詳しい情報を提供し,希望者は,それに基づき,子供を選別する。写真だけだと,期待はずれで,失敗することが多い。手続は次の通り:

    →希望国の選択
    →養子選別プログラム申し込み
    →手数料支払い(イリノイ事務所へ)
    →養子情報提供,手続代行
    →選別した国を訪問
    →養子候補の子供たちの写真等を閲覧
    →選別した子供と面接。気に入らなければ,別の子供たちを見て,その中から気に入った子供を選別。ARKが支援。
    →養子選別後の手続はARKが代行
    →養子(1人または数人)をつれ,帰国

    養子の実態は,おそらく,こうしたものだろう。しかし,養子提供側と養育側との間に大きな経済格差があり,しかも間に民間仲介組織が入ると,率直には善意を信じられなくなる。

    不謹慎な表現だが,正直に告白すれば,数年前,子犬を買うためペットショップに行ったときの気分に近い。買い主(飼い主)となる私は,圧倒的な優越者,買われるのを待っている子犬たちは,無力な弱者。美しく健康で気だてのよさそうな子犬を選んでいる私。

    相手は子犬だ。が,選別している自分の,そのあまりの利己的傲慢さ,卑劣さ,醜さに,自嘲的とならざるをえなかった。子犬にとって,買われる方が買われないよりも幸せに決まっているが,しかしそれでも,ペットを選別して買い,飼うことの不正義感は,どうしても拭いきれない。

    ましてや国際養子は,人間の子供たちだ。その必要性,そして養子とされる子供たちの幸せは,十分に分かる。分かりすぎるくらい分かりはするが,たとえば,下図のような養子写真を見ると,果たしてARKは途上国の子供たちを人として本当に尊重しているのかどうか,疑問に感じざるをえない。

    81228b

    3.ネパール養子の有利さ
    ARKが,養子提供国として特に推薦しているのが,ネパールだ。

    「ネパールからの養子には多くの利点がある。ネパールは貧しい国だが,子供たちは,あまり虐待やネグレクトされることなく,非常によい状態で育てられている。赤ちゃんや幼児を希望する人には,ネパールは絶対お勧めだ。アル中も少ない。
     ネパール養子は,結婚している人でも未婚の人でも可能だ。ネパール養子は,カトマンズのネパール政府の管轄になる。公立孤児院からと私設孤児院からの二種類の養子制度がある。ネパール養子プログラムには利点が多い。」

    「養子可能なネパールの子供:乳幼児から十代までの子供。兄弟姉妹も可能.... 養育側:単身母は可。養父母は55歳以下。すでに子供がいる場合は,ネパール政府規則により,自分の子供とは別の性の子供。子供のいない家族には,異性の兄弟姉妹を養子にすることも可。別の性の子供2人を持つ家族は,ネパールでは養子をとれない。」 (http://www.adoptionark.org/public/pag24.aspx)

    ネパール養子受入の手順:

    →ARKへ,ネパール養子申し込み。手数料支払い
    →希望に沿う養子候補情報の提供
    →その情報に基づき子供選別。あるいは,ネパールに行き,孤児院で子供選別。ネパール側管轄は,女性・子供・社会福祉省
    →子供を選んだら,手続はARKが代行
    →裁判所の審査,決定
    →アメリカ大使館がビザ発給
    →養子を連れ,帰国

    81228c

    4.そして,クリスチャンに
    養子は,繰り返すが,必要な制度である。現実的でもある。そして,養子としてアメリカに連れて行かれた子供たちの多くも,幸せであろう。それは,分かってはいるが,やはり,どこか割り切れない。

    キリスト教では,子供は両親の子供ではなく,神からの預かりものだ。だから,何らかの理由で子供の養育が出来なくなれば,神は子供を親から取り戻し,別の人に養育を委ねる。キリスト教の下では,養子は,完全に正当化されている。

    しかし,ネパールの子供の多くは,キリスト教の神の子供ではない。ネパール文化には,子供についての,全く別の観念がある。そのネパール文化から見たとき,圧倒的な経済的・政治的・軍事的優位にあるアメリカの,この養子制度は,どう映るのであろうか?

    多くの子供たちの中から選別され,アメリカに連れて行かれ,キリスト教化され,サンタクロースに抱かれている,この子供は幸せだろうか? きっと幸せだろう。きっとそうだろう。だが,....

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    7/16/2008

    カトマンズのチベット自由運動弾圧

    谷川昌幸(C)

    ネパールにおけるチベット自由運動は,いまどうなっているのだろう。日本にいては,状況がよく分からない。

    チベット自由運動は中国マオイスト政府が弾圧しているのだから,理屈からして,ネパール・マオイスト主導政府もこれを弾圧することになるのだろう。

    民族自治は中国憲法もネパール憲法も,どの先進資本主義国憲法にも負けないほど明確に規定している。完璧といってよい。完璧に自由を保障した憲法の下で,その自由が弾圧される。マオイズムはそんなものではないはずではなかったのか。

    下記写真は,転載可の表示に甘え, 「ばなな猫」さんのブログより転載。  

    neko2 

     http://banana-cat-cafe.blog.so-net.ne.jp/2008-07-16

    7/5/2008

    国際移住機関,連続攻撃

    谷川昌幸(C)

    国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると,東ネパール・ダマクの国際移住機関(IOM)が継続的に攻撃され,6月31日にも事務所付近で爆弾3発が爆発した。どうやら,ブータン難民の第三国移住計画に対する妨害工作らしい。

    現在,ブータン難民10万8千人が東ネパールの7つのキャンプで生活している。彼らはブータン帰還を望んでいるが,目途が立たず,17年もキャンプ暮らしの人もいるという。

    そこで,2007年,第三国移住計画が始まり,今年に入ってから1350人が米,オーストラリア,加,デンマーク,蘭,ニュージーランド,ノルウェーに移住した。現在,第三国移住希望者は,38500人という。

    IOM連続攻撃は,ブータン帰還希望者たちが,この第三国移住を阻止するために,行っているらしい。

    これは難しい問題だ。本来なら難民は本国ブータンに戻るべきだろうが,それが出来ない現状では,第三国移住を考えざるをえない。しかし,第三国移住が本格化すれば,本国帰還はさらに難しくなる。

    多数のチベット難民に加え,ブータン難民10万余。島国日本では想像も出来ないほど難しい問題が,ネパールには少なくない。

    * UNHCR, News, July 1, 2008

    6/27/2008

    河川敷スラム

    谷川昌幸(C)

    カトマンズ・パタン間の橋(名称?)からバグマティ川右岸上流に向け,写真のようなスラムが広がっている。この先,どこまであるか確かめてはいない。以前は,下流にもあったが,こちらは強制撤去されたらしい。

    盆地各所での超豪華分譲住宅・マンションの建設ラッシュとの落差は天文学的だ。いつまでもつか?

    slum  

      バグマティ川右岸スラム(2008.6.21)

    6/21/2008

    「ばなな猫」:どこで読んでも面白い

     
    谷川昌幸(C)
     
    ネパール関係日本語ブログで、いま一番面白いのが「ばなな猫」。飼い主のことは、全く存じ上げないが、この「猫」は、愛嬌はあるが、「犬」とは全く対照的な性格を持っている。
     
    犬は、獰猛そうに見えて、実は忠犬ハチ公、エサをくれるご主人様に尻尾を振り、「他者」をみれば、やたらとほえ、噛み付く。「犬」には独立心も、批判的精神も、哲学もない。
     
    それとは逆に、「猫」は孤高の貴公子、自分の信念、哲学をどのような状況でも貫き、ご主人様におもねることなど、決してしない。えさが欲しいとき、ゴロゴロのどを鳴らして擦り寄ってくるが、これは高等戦術、そうすれば飼い主が喜ぶと見抜いているからだ。猫のほうが人間より気位が高い。
     
    そして、「猫」は、実際には、結構、勇猛果敢だ。ジャングルの独立独行の王者トラを、少々、小型化しただけ。
     
    「ばなな猫」は、大勢順応マスコミや、後追いブログとは、まるで違う。現地からのこのような発信にはそれなりの覚悟がいるはずなのに、精神的貴族「猫」そのままに、不正を告発し続けている。
     
    日本で読んで面白いと思っていたが、ネパールにきて読んでも、やはり面白い。これはスゴイことだ。
     
    4/11/2008

    「自由チベット」謀略を許すな:ライジングネパール社説

    谷川昌幸(C)

    小国ネパールが中国を警戒せざるをえないのはよく分かるが,自由・人権・民主主義の大選挙キャンペーンをしつつ,臆面もなくチベット系住民の取り締まり強化を準官報ライジングネパール社説で唱えるのはいかがなものか?

    選挙前日の4月9日,ライジングネパールは,署名社説,プラビン・ウパダヤ「ネパールで竜を暴れさせるな」を掲載した。「竜」はもちろん中国のことであり,要するに,中国を怒らせると一大事なので,チベット自治要求運動を強力に取り締まれ,ということだ。

    ウパダヤ氏は,鄭祥林駐ネパール中国大使の発言をこう紹介する。中国は,ネパール政府のこれまでの取り締まりを評価するが,「分離主義犯罪者集団の反中国活動にネパール国土を利用させている政府の態度は遺憾だ」。「デモ参加者たちは事実を知らない。ダライラマ派にだまされている。いわゆるチベット青年会議(TYC)やチベット女性組織(TWO)がデモを操ってきたのだ。」

    この脅しは,小国ネパールには脅威だ。ウパダヤ氏は続ける。ネパールは人道的観点からチベット難民を受け入れてきたが,「しかし,これは,彼らがあからさまな反中国活動を始めても強い措置を執ってはならない,ということではない」。

    「識者の間には,このような見方もある。チベット難民―その多くはネパール市民権を与えられている―は,寛大なネパール国土を反中国殺人兵器として利用してきた。疑いもなく,ネパールは,国外にまで広がる偏狭な反中国分子どもが扇動する怪しげな政治目的を達成するための発射台として,ますます利用されるようになってきた。」

    「さらに,こんな気がかりなニュースもある。ネパールのパスポートをもつチベット難民が,カトマンズで正規ビザを取得してチベットに入り,反政府闘争のタネをまき,直接的にはオリンピックを頓挫させようとしている。」

    このように,ウパダヤ氏は,鄭祥林駐ネパール中国大使や匿名識者の声を紹介した後で,こう結論づける。

    「いまやわれわれはチベットとその周辺で実際に何が起こっているかをよく理解するに至った。大切なことは,ネパールは反中国謀略に引き込まれてはならない,反中国『自由チベット』活動家たちを喜ばせるようなことをしてはならない,ということだ。」

    4/2/2008

    チベット系住民への性的虐待:ネパール警察の権力乱用

    谷川昌幸(C)

    HRW(1 Apr)によれば,ネパール警察は,チベット難民ばかりかチベット系らしい住民を予防拘束しているらしい。3月10日以来の逮捕者は1500人以上という。

    チベット自治(あるいは独立)要求運動にとって,ネパール警察の暴力や逮捕は恐ろしいが,それにもまして「中国への強制送還」の脅しはもっと怖い。もし強制送還されたらどうなるか?

    難民条約
    第33条(追放及び送還の禁止)1 締約国は、難民を、いかなる方法によつても、人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還してはならない。

    さらに,おぞましいことに,HRWによると,警察は性的虐待も行っているらしい。具体的証拠はまだ挙げられていないが,ネパール警察や軍隊による性的虐待はこれまで頻繁に行われており,その体質は「人民」政府になったからといって,急には変わらない。他の虐待ばかりか性的虐待も,HWRがいうように,行われていると見るのが自然だろう。

    世界人権宣言
    第5条 何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはない。

    どのような政府にも,国内秩序を守り外国公館の安全を保障する義務はある。ギリシャでもイギリスでもチベット弾圧抗議活動家が逮捕拘束された。しかし,自由や権利の制限は,明白かつ具体的に他の人々の自由や権利を不当に侵害する場合にのみ制限される。ネパールのチベット自治(あるいは独立)要求運動は,報道の限りでは,平和的だ。非暴力の平和的言論・集会・行動の自由は,保障されなければならない。

    11/10/2007

    邦人の「保護」から「安全」へ

    谷川昌幸(C)
    この方面には疎く,まったく気がつかなかったのだが,従来の外務省「邦人保護課(Division for the Protection of Japanese Nationals Overseas)」が「邦人安全課(Japanese Nationals Overseas Safty Division)」に名称変更されたらしい。「保護」と「安全」は同じようだが,精神は大きく異なる。
     
    「保護」は,保護者,保護国,保護関税のように,子供あるいは自立できない弱者を強者が積極的に介入し守ってやるという意味だ。つまり父権主義(paternalism)の原理にたっている。そして,パターナリズムの理念型は,父の無限愛に基づく無限保護だ。父(や母)は,たとえ全財産や生命さえも失うことになっても,わが子を救おうとする。たとえわが子にどんな非があろうと,父(や母)は,わが子への無限責任を果たそうとするものだ。
     
    外務省は,むろんこんな父のような無限責任は負えなかったが,邦人「保護」を任務とする以上,精神的にはパターナリズムであり,在外邦人をいわば「子供」と見なし,暖かく「保護」しようとしてきたし,また国民の側もそれに甘え(依存し),「保護」を要求してきた。
     
    しかし,これは推測にすぎないが,これだけグローバル化し,大量の日本人が海外旅行や海外居住をするようになると,そんな生暖かい封建的パターナリズムは現実にはもはや維持できなくなり,クールな近代的合理的権利義務関係に外務省も移行していったのだと思う。パターナリズムの無限責任を放棄し,自己の義務を明確化し,それを越えることについては個々人の自己責任とする。これは冷たくはあるが,近代的合理的であり,なによりも現実的である。
     
    「安全」は,本来,消極的(negative)な概念であり,パターナリズムを否定する近代国家の基本原理である。前近代国家や現代福祉国家は,人々の生活に積極的に介入し生暖かく人々を保護しようとする。いずれも個々人を自主独立の個人とは見ていない。領主や政府の「保護」がなければ生きていけない子供のような存在と見ている。これに対し,近代国家は人々を自主独立の個人と考え,警察と軍隊による「安全」は保障するが,それ以外は個々人の自己責任と見なした。近代人は,自由を得るため,自己責任を引き受けた。国家は父であることをやめ,「安全保障」に自己の任務を限定したのだ。
     
    外務省が「法人保護課」を「邦人安全課」に改めたことには,名称変更以上の意味がある。それは外務省による自らの責任の限定であり,合理的かつ現実的な判断といってよい。したがって,在外邦人,海外旅行者も,外務省はもはや消極的「安全」しか保障してくれない,ということを前提に,行動すべきであろう。厳しいが,それが現実であり,仕方ない。
    11/8/2007

    自己責任,再々考

    谷川昌幸(C)
    海外に出る機会が増え,自己責任を考えることも多くなった。ネパールの村で,病気や怪我をしたり,災害,事故,事件に巻き込まれたら,自分はどうするだろうか? どうなるのだろうか? イザというときの準備はしていくが,当然,万全ではありえない。誰かの救援を仰がざるをえない。誰に,どの程度の救援を要請しうるのか?
     
    すぐ思いつくのは,日本大使館だ。外務省設置法は外務省の任務として「海外における邦人の生命及び身体の保護その他の安全に関すること」(第4条9)を定め,パスポートにも日本国民に「必要な保護扶助」を与えることを旅行先の外国政府に要請している。具体的に言うと,たとえば要領よくまとめている在カナダ日本大使館のHPによれば,「できること」と「できないこと」は次の通り。
    ----------------------------------------
    邦人援護:大使館のできること・できないこと
    <できること>
     ・ 事件、事故の被害に遭い、自助努力のみでは対応できず、かつ、緊急な対応を要する場合、当館は関係当局との連絡等を行う一方、親族に対し直接または外務省(邦人保護課、電話(代)03-3580-3311)を通じて、事件・事故の概要を通報すると共に、当地における事件・事故に関係する法律制度や手続き等について援助・助言をします。死亡事件・事故の場合には、御遺族に対し必要な援助を行うとともに、御遺族の意向に従って、御遺体を日本にお送りする手続きまたは適切な処置等について援助・助言を行います。
     ・刑事被告人または被疑者等として逮捕・拘禁されている日本人の方については、御本人及び関係者と緊密な連絡を保つとともに、必要に応じ親族または知人の方に直接または外務省を通じて連絡を行います。更に、要請があれば弁護士リストを提供します。皆様が、万一逮捕・拘禁された場合には、現地警察当局等に対し日本の大使館または総領事館に連絡するよう要請することが重要です。
      ・日本の方が、病気、特に緊急入院したような場合には、当館は個別の事情を考慮しつつ適切な助言等をするとともに、医師より病状などを聴取し、その結果を必要に応じて親族または知人の方に直接または外務省を通じて通報します。
      ・自然災害、騒乱や大規模な事故が発生した場合には、当館は直ちに日本人の方々の被害について確認に努めます。万一皆様がこのような被害に遭遇した場合には、たとえ無事であってもできるだけ早く当館領事班にその旨を直接または第三者を通じて連絡して下さい。確認された情報は、必要に応じて外務省を通じて親族または知人の方に通報します。
      ・所持金を紛失し、自分自身ではどうしても連絡ができず、当面の生活がままならない場合で、かつ緊急止むを得ないと当館が判断した場合には、当館から直接または外務省を通じ親族または知人の方に航空切符の手配や金銭的援助の依頼を連絡します。
      ・海外にいる日本人が、所在の調査に関する御親族の自助努力にもかかわらず、概ね6ヶ月以上音信が途絶えている場合には、当館は御親族の依頼に基づき、外務省の指示によりその所在確認のための調査を行います。
    <できないこと>
     ・宿泊費、入院・治療費、航空切符代、その他の個人的費用を立て替えること、またはその支払いを保証することはできません。
     ・民事上の、個人又は商業取引上の相談及びトラブルについてはお応えできません。
     ・旅行業者、航空会社、銀行、弁護士、探偵、警察または病院の業務や役割を担うことはできません。
     ・犯罪の捜査や被疑者の身柄拘束はできません。
     ・逮捕・拘禁された方の通訳または弁護士の費用、保釈費用、訴訟費用の支払いを行い、またその支払いの保証をすることはできません。
     ・遺失物の捜索はできません。
     ・入国許可、滞在許可や就労許可の取得を本人の代わりに行うことや、その便宜を図ることはできません。例えば、「移民局から入国を拒否されたので、入国が許可されるよう先方と掛け合って欲しい」との依頼にはお応えできません。 (在カナダ日本大使館HPより)
    ---------------------------------------
    以上の<できること>は日本政府が日本人に対して具体的に約束していることであり,在外日本人は必要な場合には当然これらの保護要請をすることができる。
     
    むろんこれらだけでなく日本政府には一般的な邦人保護義務があると思われるが,だからといってそれは政府の無限責任を意味するわけではない。ヒマラヤ遭難者の救出義務が法的に日本政府にあるとしたら,日本政府はヒマラヤ登山を許可制か全面禁止にしてしまうだろう。危険は当然予想されるのだから,十分準備し,自己責任で登るべきだし,事実,登山家たちはそうしていると思う。
     
    一般の海外旅行においても,予想される危険の大きさに比例して,自己責任も大きくなる。政府は,一般的邦人保護義務以上の義務を,無謀旅行者に対して負う必要はない。自己責任だからだ。
     
    民事事件や刑事事件においても,大使館は必要な情報提供や公平な裁判は要求できても,捜査や裁判には介入はできない。通訳・弁護士など,最低限必要な司法扶助はすべきだと私は思うが,上記説明では,どうやらそれもできないらしい。
     
    日本大使館は,日本人について国際人権法や国内法で保障されている人権の侵害があれば,人権の回復・保障を要求できるし,またすべきだが,それ以上の介入はすべきではない。もしそんなことをすれば,捜査や裁判が政治化し,悪くすると,民族対立にまで発展しかねない。不幸にして外国で民事事件や刑事事件に巻き込まれたら,情報提供や公正な捜査・裁判,あるいは人権尊重や人道上の配慮は大使館を通して要請してもらうことはできても,それ以上は自己責任で対処せざるを得ないと覚悟すべきだろう。
     
    日本政府は,自らの責任逃れのために国民に自己責任を押しつけてはならない。同じく個人も,自らの責任逃れのために政府の無限責任を言い立てるべきではない。政府の邦人保護責任と個々人の自己責任の区分けは,常識(コモンセンス)と慣習により,ほぼ妥当な線に落ち着くのではないか。
     
    この自己責任論は,イラク人質事件やイラン誘拐事件のとき述べ,多くのご批判をいただいたが,いまも間違っているとは思わない。
     
    海外に出れば,多くの危険が待ちかまえている。いくらリスク管理をしていても,いつどこで予想外の危機に陥るかもしれない。そのようなときは誰かの救援を仰がざるをえない。そのためには,困ったときに助けてもらえるような様々な人間関係を可能な限り作り上げておくことが肝要だ。むろん,イザというときのための金や保険も必要だ。そうした友人・知人のつながりや,ある程度の金と保険の備えがあれば,海外での安全は格段に高まる。
     
    その上で,どうしても個人や民間では対処しきれないときは,大使館の救援を仰ぐべきだろう。大使館には大きな権限と専門知識があるから,邦人救援に大きな力を発揮することができる。
     
    しかし,救援を要請する側は,大使館の介入は,アジアの大国,日本の国家権力の介入だということを,つねに自覚していなければならない。災害救援など,本来,まったく政治性のないものでも,もし日本大使館が日本人被災者だけを優先的に救済すれば,地元や他国の人々は不公平と感じ,憤るだろう。大使館は日本国家を代表しており,館員には外交官特権がある。そうした大使館や館員の介入は,強力である反面,外国主権下では当然大きな制約が伴う。個人やNGOならできるのに,大使館にはできないといったことも少なくない。厳しいが,主権国家からなる現在の世界においては,これが現実だ。
     
    このように自己責任をいえば,必ず自分にはね返る。自分がもし外国で危機に陥ったとき,そんな呑気なことをいっていられるか? やはり大使館に泣きつくのではないか? たぶん,そうだろう。だからこそ,あえて自己責任をいう。将来,みっともないことになるおそれは大いにあるが,だからこそ,自戒の念を込めてこういわざるをえないのである。
    9/20/2007

    Justice for Govinda Mainali jailed in Japan

    谷川昌幸(C)
    ネパールに来ると胸がチクリと痛むのが,ゴビンダさんのこと。人権や法の支配について議論することが多いのだが,ゴビンダ事件があるかぎり,大きなことはいえない。違法捜査,無罪判決後の再勾留,上訴。こんな人権侵害,違憲上訴,人種差別を放置したまま,ネパールで人権や法の支配を説く資格はないからだ。

    そこで9月19日,勝手連的に、「日本で投獄されている無実のゴビンダ・マイナリ氏に正義を」署名キャンペーンを実施した。一人でやるので,学生・知識人相手がよいと考え,場所はキルティプールの大学前とした。

    大学に出入りする教職員の多くが,快く署名してくれた。すでに10年たつが,かなりの人が事件のことを知っていた。それだけインパクトが強い事件だったのだ。用意した署名用白布は午前中でほぼ埋め尽くされた。

    一人でゲリラ的にキャンペーンをしても効果はないという批判もあろうが,事件を忘れずにいる日本人も少なくないことを知ってもらっただけでも,多少は意味があったのではないかと思う。風化しているのは足を踏んだ方で,踏まれた方は決して忘れてはいない。

    記者が取材に来ていたので,どこかの新聞に記事が出るかもしれない。これもネパールでというよりはむしろ,日本において事件を風化させないためには必要なことだろう。ネパールでは決して忘れていないということを,日本人が再認識するために。

    (写真1)看板屋さんで横断幕・署名用白布制作(バグバザール)。
    (写真2)署名キャンペーン(キルティプール,大学入り口)
    (写真3)署名で埋め尽くされた署名用白布

    (配布ビラ)

    Justice for Govinda Mainali jailed in Japan

    Govinda Mainali was arrested in 1997 and falsely convicted for the murder of a Japanese woman. The inaccurate investigation, prosecutor misconduct and an incompetent Japanese justice system railroaded him to prison.
    Despite the fact that the Tokyo District Court found Govinda NOT guilty in April 2000, he remained incarcerated. Then the Tokyo High Court overturned the District Court s ruling and sentenced him to life imprisonment in December 2000. He appealed to the Supreme Court, but it dismissed his appeal in 2003.
    Govinda has maintained his innocence from the very beginning. He is now appealing for a retrial. Please support innocent Govinda Mainali jailed in Japan.
    9/16/2007

    ソフト統合型支援:NBSA

    谷川昌幸(C)

    「NBSA子供の日学校対抗クイズ大会」があるというので,いつものように,こっそり潜り込んだ。会場はラーニポカリ前の古き良きSanskrit University校舎(Darbar高校)。参加生徒は8年生までの中学生。

    ネパールの障害者の状況について知識はほとんど無いが,少なくとも数年前までは視覚障害者や身体障害者が一人で街中で行動しているのを見ることはまずなかった。おそらく家庭内に閉じこもっていたのだろう。

    ところが,最近は,車椅子や白杖で一人で行動している人を何人も見かけた。これは日本の現状と比較しても,大変な改善だ。まだまだ路上で物乞いする障害者が多数いるし,地方はおそらく手つかずだろうから,前途は多難だが,希望は持てる。

    障害者支援については,物質的支援もさることながら,精神的エンパワーメントが重要なことを今日のクイズ大会で実感した。障害児は社会行動の場が少なく,人前での行動が苦手だ。そこで,クイズ大会など様々な機会を設け,発言,行動の練習をする。これにより,少しずつ社会行動になれ,自信をつけていく。

    白杖や車椅子などを贈与するだけでは,おそらく障害児は外に出られないだろう。社会性が身に付いていないからだ。だから,社会性の育成,つまり社会行動のソフトウェアーの訓練,教育が重要となるのだ。

    これは大切だ。モノや建物のような派手さはないので支援を受けにくいが,これからはこのような活動にこそ支援を拡大していくべきだろう。

    クイズ大会では,各校の視覚障害児たちが間違えても物怖じすることなく,自信を持って回答していたのが印象的だった。

    (写真1)クイズ大会会場。ダーバー高校(サンスクリット大学)校舎
    (写真2)クイズ大会。

    12/2/2006

    処罰か和解か: HRWと真実和解委員会

    谷川昌幸(C)

    人権監視(HRW)が,正義の回復を訴えている。内戦中に政府とマオイストが行った様々な人権侵害を調査し,訴追し,責任をとらせるべきだというのだ。

    まず,連行後の行方不明者がまだ1000人以上もいる。調査を早急に実施すべきだ。これには異論はない。

    しかし,それだけでは不十分だとBA.アダムズHRWアジア局長はいう。「ネパール人民は,一貫して正義(裁判,処罰)を求めてきた。」

    たしかに,そうだろう。内戦中の政府,マオイスト両派による生命・身体・財産に対する侵害が司法によりまともに裁かれたことはほとんどなかったと言ってよい。被害者やその家族が責任者の処罰と補償を要求するのは,当然だ。

    しかし,マオイストが早くから主張していたように,もし人民戦争が国際法上の「内戦」なら,「敵を殺す」のは権利であり,どの程度残虐に殺したら罪になるか,その線引きは微妙だ。民間人でもスパイという場合もあっただろう。反証は実際には非常に難しい。

    人権侵害は処罰され,「正義=法」は回復されるべきだが,正義=法は普遍的なものだから,国軍動員以前の政党(特にNC)政府による住民大弾圧も当然,処罰されなければならない。7党の中に,住民弾圧の責任がない政党はあるのだろうか。

    HRWは,人権宗家アメリカの高みから,人権侵害を処罰せよと要求しているが,政党,マオイストとも同程度に手を汚しており,これは実際には難しい。むろん国王と王国軍高官(もちろん責任はある)を人身御供にする手はあるが,その場合であっても,7政党とマオイスト側の処罰抜きであれば,勝者による敗者の報復的処罰と受け取られる。

    もちろん,4月政変を革命と見なせば,勝者が反革命の敗者を一方的処罰しても,正義は革命側にあるから,処罰は正当である。しかし,HRWは絶対にそんな危険思想は容認しないはずだ。

    そうしたことも考えてか,HRWは和平協定5.2.5の「真実和解委員会」に言及しているが,文面からは,あまりこの方式は評価していないようにみえる。やはり人権=正義は絶対という立場から,人権侵害の調査,責任者の訴追,処罰を要求していくのだろう。

    ここは難しいところだ。失われた「正義」は回復されるべきだが,もし勝者の「正義」だけを回復したら,それは「報復」にすぎず,いずれ反動が生じ,報復合戦になる。これを避けるには,訴追,処罰だけでなく,南アフリカの「真実和解委員会」の経験にも学ぶ必要があるのではないかと思う。

    * Human Rights Watch, "Nepal: After Peace Agreement, Time for Justice: Army, Maoists Must Account for Killings, 'Disappearances'," New York, Dec.1, 2006.

    * 真実和解委員会については,図書紹介:永原陽子「和解と正義――南アフリカ「真実和解委員会」を越えて,参照

    10/8/2006

    カースト差別より危険な血液型差別

    谷川昌幸(C)

    人間は平等よりも差別を好むらしく,日本では血液型性格判断が若者を中心にはやり,とうとう朝日新聞までがそれに加担し始めた。

    血液型差別は100%生まれによる差別であり,カースト制よりもむしろ危険である。ネパールには,こんな似非科学,ナチス的優生学的人間差別はあるまい。

    朝日新聞までが,こんな「科学的」人間差別に加担し始めたのを座視し得ず,抗議の投稿をした。下記が10月7日付紙面(西部本社)に掲載された投稿の原文(紙面では一部変更・省略)。
    --------------------

    血液型の記載 記事には不要

    大学教員 谷川昌幸

    今回の自民党総裁選記事に,朝日新聞は候補者の血液型を掲載した。全く不適切であり,謝罪し取り消すべきだ。

    9月9日付記事では安倍,谷垣,麻生各氏,22日付では安倍氏の血液型が,身長,体重とともに記載されている。自民党総裁選は,実質的には次期首相を決めるものであり,国民の関心も高かった。朝日新聞が総裁候補に関する情報を詳細に報道するのは当然だ。しかし,身長や体重,ましてや血液型と政治的能力とはどのような関係にあるのか。政治家には,たとえばB型が最適,O型はやや難があり,A型は不適格ということか。

    血液型性格分類の根拠は科学的には立証されていない。ところが,若者を中心に血液型性格判断は広く支持されており,大学ですら「彼はB型だから・・・・」といった会話が日常的に交わされている。遊び半分といって済まされない状況だ。

    ここでもし朝日記事が先例となり政治家紹介に血液型を書くことが一般化したらどうなるか。血液型で政治家適性が判断されたり,保守はA型,革新はB型,中道はO型といった血液型政治論が現れ,「私はA型だから,A政党に投票する」といったことになりかねない。

    朝日新聞は,おそらく若者の間の血液型性格判断人気を念頭に,硬くなりがちな政治記事を親しみやすくするつもりで総裁候補の血液型を掲載したのだろう。しかし,血液型と政治家の資質の間には何の関係もない。両者の関係づけはきわめて危険であり,倫理的にも政治的にも絶対にやってはならないことだ。

    (朝日新聞,10月7日付投稿記事原文)

    9/27/2006

    年3000円で売られる少女,カムラリ

    谷川昌幸(C)

    CNNが,年3000~5000円で奉公に出される(売られる)少女たち,Kamlariについてレポートしている。

    1.カムラリとは
    Kamlariとは,「少女債務労働者」のこと。古くからあり,いまも根強く残っている。

    2.親に売られる
    少女たちを売るのは,家族。生活苦のため,年25~50ドルで,少女を仲介人を介して奉公に出す。家の外に出せば,少女の養育費も家族は節約できる。

    いずれも,わずかな金だが,それすら貧困農民には工面できない。

    3.債務奉公から売春へ
    奉公に出された少女たちは,雇用主の家で子守り,掃除などの家事雑用をさせられる。学校に通わせるという約束もするらしいが,たいていは反故にされる。

    カムラリは奴隷ではないので,10年くらい奉公し,16~18歳になると,主人の言うことを聞かなくなり,カムラリ奉公を拒否して家に戻るか(家計から見て難しいだろう),それとも夜の商売,そして売春へと流れていく。

    4.カムラリ,2万人
    カムラリは,タルー族の多いDang, Deukhariが中心であり,2万人位いるという。両地方の総人口はいま分からないが,少女2万人はかなりの比率になるはずだ。

    日本にも同じような子供奉公があったが,いまは21世紀,こんなあからさまな人権侵害が許されるはずがない。

    5.頑張れ,マオイスト
    カムラリのような社会悪を一気に解決できるのは,いまのところマオイストしかいない。というのも,カムラリはネパールの社会構造に組み込まれた根深い問題であり,蛮勇をふるって社会構造を破壊することのできる本物の革命派にしか,解決できそうにないからだ。

    和平で早く権力の分け前を手にしたい気持ちは分からぬではないが,革命政党の本分を忘れてもらっては困る。マオイストには,あくまでも被抑圧民族,土地無し農民,女性,下層労働者,下位カースト等の立場に立ち,社会構造の悪に立ち向かってもらいたいものである。

    * Seth Doane, "Nepal dad sold girl for $25, paid in installments," CNN, Sep.26,2006.

    8/10/2006

    2ちゃんねるとネパールと著作権

    谷川昌幸(C)

    朝日新聞(8/10)の「ネット掲示板の文章は誰のモノ」が面白い。

    1.「2ちゃんねる」,著作権無償譲渡を義務化
    記事によると,2ちゃんねるが,著作権を運営者(西村氏)に無償譲渡することを投稿条件としたという。以下,2チャンネルの「投稿確認」全文(2006.8.10)。

    投稿確認
    ・投稿者は、投稿に関して発生する責任が全て投稿者に帰すことを承諾します。
    ・投稿者は、話題と無関係な広告の投稿に関して、相応の費用を支払うことを承諾します
    ・投稿者は、投稿された内容及びこれに含まれる知的財産権、(著作権法第21条ないし第28条に規定される権利も含む)その他の権利につき(第三者に対して再許諾する権利を含みます。)、掲示板運営者に対し、無償で譲渡することを承諾します。ただし、投稿が別に定める削除ガイドラインに該当する場合、投稿に関する知的財産権その他の権利、義務は一定期間投稿者に留保されます。
    ・掲示板運営者は、投稿者に対して日本国内外において無償で非独占的に複製、公衆送信、頒布及び翻訳する権利を投稿者に許諾します。また、投稿者は掲示板運営者が指定する第三者に対して、一切の権利(第三者に対して再許諾する権利を含みます)を許諾しないことを承諾します。
    ・投稿者は、掲示板運営者あるいはその指定する者に対して、著作者人格権を一切行使しないことを承諾します。
                           (「2ちゃんねる」よりコピー)

    まことにもってすさまじい。こんな恐ろしい規定は信じがたい。カネのこともさることながら,人格にかかわること,つまり「著作者人格権を一切行使しないこと」とは,要するに,自己の人格が否定されても文句を言わないということだ。

    とんでもない規定だが,分からないでもない。

    2.近代主体性原理への屈服
    匿名自由投稿で始まった2ちゃんねるも,だれのものか判然としない文章・作品は,結局は,無責任になる,ということを認めざるを得なくなった。近代主体性原理への屈服だ。

    近代主体性原理は,世俗世界でいえば財産原理であり,その核心が著作権である。事実,資本主義のチャンピオン,アメリカは石油よりもむしろ著作権に命をかけている。その著作権原理主義に,2チャンネルも屈服した。しかも,節度を忘れて!

    3.有名化へ
    著作権は,著作者の義務を当然予想しており,これからは,2チャンネル記事の全部について,西村氏が責任を負う。そんな神様みたいなことが出来るのか?

    出来はしない。とすれば,結局,責任を追求しきれない匿名は禁止ということになり,身元の分かる――名前を明示した――投稿しか受け付けないという方向に向かわざるを得ない。Post-web2.0だ。

    2ちゃんねるは,悪口を書かれたとき数回見ただけなので,朝日記事により書いているこの文章にもし誤解や的外れな部分があれば,ご指摘ください。

    3.ネパールと著作権
    でも,これはネパールとは無関係では? そんなことはない。著作権の観念がなかった古き良き時代(前近代)のネパール文化を破壊したのは,インドを資本主義化したアメリカだ。インドに続き,ネパールに「著作権」を教え,MSNソフトの無断コピーを禁止し,WTOに加盟させた。

    著作権を認めなければ,ワードだろうが英米現代小説だろうが,いやi-podや医薬品でさえ,コピーのし放題。ネパールはもっともっと豊かに暮らせる。1人当たりGDPが1/100以下の国が,なぜ著作権料を先進国に支払わねばならないのか? 知は万人のものではないか? それとも,知は金儲けのためのものか? あさましい。

    4.マオイストも屈服
    しかし,もはや手遅れ。ネパールはすでに世界資本主義に組み込まれ,著作権なしでは生きられなくなってしまっている。マオイスト革命に期待したが,これも「改革・解放」の社会主義的資本主義になり,著作権への抵抗はほぼ放棄してしまった。

    近代主体性原理は,かくも強力であり,これといかに折り合いをつけるかが,本物のポストモダンの課題であろう。

    6/2/2006

    復活議会の女性解放政策

    谷川昌幸(C)

    奇跡の復活議会による世俗国家化が大きな成果を上げそうな分野は,女性の権利拡大だ。「マヌ法典」支配下では,女性の隷従は免れない。世俗化すれば,女性差別の文化的根拠はなくなる。しかも敵は男だけで,メンツの問題だから,家庭の外では,あまり深刻な実害はない。人気取りに絶好の政策だ。(ただし,下記国籍問題はインドとの関係で紛糾する可能性はある。)

    復活議会は5月30日,現行憲法第9条の父系主義を否定し,母の申請した子の国籍を認める決議をした。男女平等原理からすれば当然とも言えるが,日本の国籍法改正も1984年のことだったはずだし,天皇に関しては,いまだ男系主義に固執していることを考えると,今回のネパール議会決議は立派だ。

    また,30日の議会決議では,政府機関職員の1/3を女性に割り当てることも認められた。これも,先進的。

    かつて,女性の社会参画推進を目的とする日本の女性団体の集会で,「国会,地方議会の議員定数の50%を女性に割り当てる」,あるいはそれが無理なら「各政党の候補者の50%を女性にするよう圧力をかける」と提案したら,出席女性から猛反対された。その時はじめて,女の敵は女だ,と気づいた。

    ネパール議会は,正統性は怪しいが,女性解放についてはエライ。女性50%とすると,もっとエライ。

    女性参加が拡大すると,平和になる。むろん,「女性は,生命を生む性だから,本質的に平和を求める」という女性本質論には何の根拠もない。女は男と同じく戦争が大好きだ。同等の地位を獲得すれば,男と一緒になって戦争をするだろう。鉄の女サッチャー,あるいはマオイスト女性ゲリラを見よ。

    しかし,少なくともネパールの現状では,女性は徹底的に差別され,社会悪と戦争の悲惨を男の何倍も多く味わっている。女性参加が拡大すれば,そうした悲惨な被抑圧の記憶が残っているかぎりは,差別や戦争は減るだろう。敗戦の悲惨の記憶が60年間日本人に戦争をさせなかったように。

    奇跡議会の女性解放決議は,他の女性差別法令の無効化宣言も含まれており,画期的ではあるが,法的にはいったいどう説明されるのだろうか? 国王勅令と同じく,主権者=議会(人民ではない!)の命令として法的効果を持つのだろうか? そこがよく分からない。

    安定した法治を目指さないと,議会専制となりかねない。

    * ekantipur, May30; The Hindu, May31

    3/3/2006

    ホームページと著作権: ネパール協会の場合

    谷川昌幸(C)

    インターネットの普及で誰でも簡単に情報発信できるようになったのは喜ばしいが,ここで問題になるのが,著作権。これはなかなか難しい問題である。

    1.著作権は認められるべきか?

    (1)知は万人のもの
    かつて岩波茂雄は「読書子に寄す――岩波文庫発刊に際して――」(1927)において,こう述べた。

    「真理は万人に求められることを自ら欲し,芸術は万人によって愛されることを自ら望む。」

    この岩波の格調高い宣言通りだとすると,著作権により「真理」や「芸術」の流通を制限するのは,「進取的なる民衆の切実なる要求」(岩波)に反するばかりか,普遍化を求める「真理」そのものとも相容れないことになる。

    人間は本来,自らを表現すること(世界に現れること―H・アレント)それ自体を欲し,そこに喜びを感じる。表現したもの,つまり著作物(文章,絵画,イラスト,写真,音楽,演劇,プログラムなど)は,その表現活動の結果であり,それらがもし普遍化を求める真理や芸術なら,万人が自由にそれらを利用してもよいはずだ。いや,利用させるべきである。

    この著作権否定の考え方は,インターネットの普及により,事実上実践に移されている。ネット上では,文章も写真も,複製,加工のし放題,もう止めようがない。ネット上には,事実上,著作権はない。知も芸術も万人のものになりつつある。

    これは岩波の「真理は万人のもの」という理念への前進といってよい。万人が共通の文化世界に参加し,そこに蓄積されつつある膨大な情報を自由自在に利用し,真善美のさらなる実現に向けて努力する。おそらくこれが,人類の創造的活動の一つの理想的なあり方であろう。

    (2)知は創作者のもの
    ところが,皮肉なことに,真理の普遍性を高らかに唱えた岩波茂雄自身が,著作権による知の私有財産化(囲い込み)によって,岩波文化を育成発展させていった。著作権で守られていなければ,そもそも岩波文庫ですら,存立し得なかったはずだ。

    この皮肉は,「学問のすすめ」で知の普及,万人の啓蒙を唱えた福沢諭吉が,他方では,自分の著書の海賊版の横行に立腹し,「著作権」の確立に奔走した史実にも見て取れる。万人の啓蒙が福沢の願いなら,著書が複写され,世間に出回ることは,むしろ歓迎すべきことではないか。

    (3)人格の具体化としての著作物
    福沢や岩波が「真理は万人のもの」といいつつ,自分たちの創作物=著作物を「自分のもの(財産)」と主張せざるを得なかったのは,著作物が彼ら自身の人格の具体化されたもの,つまり彼ら自身だったからである。

    著作物は具体化された自分の人格だから,自分の生命や身体や意志が尊重されるのと同じく,著作物も尊重してほしいということ。これは,もっともな要求である。著作権は人格権だとすれば,その侵害は人権侵害であり許されないことになる。

    そして,人権は自分の権利だから,著作権は財産権でもある。J・ロックはこう説明している。――生命と身体と,その身体の働きの結果は,各人固有(proper)のものであり,したがってそれらは各人の財産(property)である,と。

    (4)著作物の二面性
    このように,著作物は真理を表現したものとして普遍化を求める側面と,著者=創始者(author)の所有する財産(property)として他者から保護されるべき側面の二面性をもつ。

    この二つの要求は相対立するものであり,したがって社会では何らかの形で調整されなければならない。この権利の調整を行うのが,世界社会に置いては,ベルヌ条約(1886),万国著作権条約(1952),TRIPS条約(1994),WIPO著作権条約(1996)などであり,日本では「著作権法」である。

    (5)「同意」の原則
    著作権法の根本原理は,一言でいえば,著者の「同意」である。著作物の創始者(author)は著者本人だから,著作物への権利は当然本人にある。他者は,著者が同意してはじめて,つまり著者による権利譲渡(authorize)によってはじめて,その著作物を利用することが出来るようになる。

    J・ロックにおいて,「同意」なき統治権は簒奪であった。それと同じく,「同意」なき著作物の利用は簒奪であり,許されない人権侵害ということになる。

    (6)著作権とインターネット
    著作物使用におけるこの「同意」原則は,伝統的な印刷物においては,ほぼ確立しており,たとえ侵害があっても,救済は比較的容易である。ところが,はじめに述べたように,近年急拡大したインターネットにおいては,法律も社会慣行もまだ整わず,事実上,アナーキー状態である。

    これに対し,「真理は万人のもの」と開き直り,文章でも写真でも無制限にネットに載せてしまう,というのも一つの考え方である。いやなら,世間に自分の著作物を出さなければよいわけだ。

    しかし,これについては,やはり先述のように,人間は世界への現れ(アレント)をもって本質としているから,人間は何かを表現せざるを得ない存在である。表現は人権そのものである。だから,勝手に使われるのがいやなら,表現しなければよい,とはいえない。それは,人間をやめなさい,ということに他ならない。表現の自由はもっとも基本的な人権であり,最大限保障されなければならない。

    そして,その表現の結果としての著作物も,具体化された人格=自分自身であるから,その使用方法については,本人に当然の権利があると考えざるを得ない。人はすべて「個人として尊重される」。個人の人格や財産の安全が保障されなければ,人は安心して生きていけないし,人類の発展も望めない。ネット時代とはいえ,著作権は一定の範囲内で守られるべき権利だといえる。

    こう考えてくると,インターネットにおいても,著作物の使用の可否は,結局,本人(author)の「同意」の原則に従って判断するのが妥当だということになる。

    2.著作権法の規定

    日本の著作権法も,この「同意」原則に従って構成されている。

    (1)著作人格権
     1)公表権(18条)=著作物の公表の可否,公表の方法を決定する権利
     2)氏名表示権(19条)
     3)同一性保持権(20条)=著作物の名称や内容を変更する権利

    (2)著作財産権
     1)複製権(21条)
     2)公衆送信権(23条)=著作物を放送したり,サーバーにアップロードして公衆送信する権利
     3)以下略

    (3)著作権の譲渡
    著作権は権利だから,著作権者は複製権,公衆送信権などを譲渡することが出来る。そして,譲渡された者は,譲渡された権利の範囲内で,著作物を利用できる。

    3.事例:雑誌の表紙・目次・記事ダイジェストのデータベース化,HP掲載

    以上の著作権の規定それ自体は明快だが,問題は,デジタル化時代においては高品位な複製・加工が誰にでも容易に出来てしまうこと,そして,いったんネット上に公表されたら損害の回復は極めて困難なことである。

    たとえば,本や雑誌をスキャンし,HPに掲載することは,小学生にでも出来ることだし,事実,その類のことはいたるところで見られる。これが著作権法違反であることは,明白である。

    では,もう少し微妙な場合はどうか? 著作権情報センター『著作権講座Ⅱ』(2005)は,公立図書館が雑誌の表紙・目次・記事ダイジェストをデータベース化し,ホームページに掲載する場合について,次のように解説している。

    「これら(雑誌の表紙・目次・記事ダイジェスト)をデータベース化することは,当然,複製権あるいは翻案権が働きます。更に,インターネットのホームページにこのデータをアップロードする場合には,・・・・著作権法の公衆送信権が働きます。したがって,著作権法上,定められた例外規定を除いてはこれらを許諾なく行うことは出来ません。」(p.22)

    著作権法上は,公共図書館ですら,著作物のインターネットでの利用には,これほど厳しい制限が付されている。それは,デジタル化されたデータは,品質劣化なく,瞬時に何千,何万もの複製が可能であり,著作権が著しく侵害される恐れがあるからである。

    4.ネパール協会HPの場合

    それでは,ネパール協会HPの場合は,どう判断すべきだろうか? 私は協会の1会員だし,HPに私の関与した著作物も掲載されているので,これは私自身の問題でもある。

    (1)会報1面スキャン画像掲載
    協会HPには,会報バックナンバー(No.98-194)のスキャン画像が一覧表示されている。

      ・194号スキャン画像(HP掲載ファイル)

      ・194号紹介画面(HP掲載ファイル)

    「会報」の1面(1頁)は,全体の1/2~1/3が写真またはイラストであり,雑誌表紙というよりは小冊子本体の第1ページである。画像(194号の場合)は,513×736ピクセル(jpeg)。124KB。

    画質は,モニター表示には十分だし,「会報」と同じB5用紙に印刷しても十分鑑賞にたえる。つまり,HP画像をダウンロードして印刷すれば,「会報」1面は誰にでも容易に入手できる状態になっている。

    (2)無断転載か?
    「会報」への寄稿者は,ごく少数を除き,著作物(写真,イラスト,文章など)を「会報」に掲載することは同意していたが,それのデジタル化(電子化)複製にもホームページ掲載にも,同意はしていない。これは,厳密に言えば,無断転載である。

    (3)著作権侵害か?
    したがって,厳密にいえば,これは著作権(公表権,複製権,公衆送信権)の侵害に相当するし,著作権情報センターの先述の事例に照らしても,違法である。

    「会報」で自ら「本紙の記事,図表,図版その他一切の無断転載を禁じます」と著作権法遵守を宣言しているのだから,ホームページ上の該当ページは削除したほうがよいであろう。

    ネパール協会のような弱小団体が,ホームページを大いに活用し,「会報」を掲載するのは効果的であり望ましいことだし,私自身それの実現に努力してきたが,その前提として,著作権者の同意を得ておくことが絶対に必要なことはいうまでもない。

    (4)「暗黙の同意」はあったか?
    しかし,協会HPの場合,掲載したのは「会報」を編集・発行している協会自身である。だから,先の図書館とは,同列に扱えない側面もある。つまり,著作権者は,「会報」への寄稿時に,デジタル化,HP掲載にも「暗黙の同意」を与えているのではないか,という議論である。

    その可能性は,必ずしも否定できない。あの「同意」の哲学者J・ロックでさえ,権利譲渡には「明示の同意」が必要といいつつも,それに徹しきれず,実際には「暗黙の同意」を持ち出さざるを得なかった。

    「会報」に写真やイラストを提供したのは,日ネ友好促進と協会の発展のためであった。「会報」のHP掲載は,その目的に合致する。したがって,寄稿者はHP掲載にも「暗黙の同意」を与えているはずだ,という論理である。

    たしかに,そうともいえる。断定は難しいので「行列の出来る法律相談室」風にいうならば,著作権侵害と訴えて勝てる可能性は,80%といったところか。

    (5)損得計算では?
    法的には,おそらく協会の方が,相当,分が悪いだろう。それでは,損得計算ではどうか?

    協会HPが「明示の同意」なしに「会報」スキャン画像を掲載していることは,明白な事実だ。1面の写真やイラストは,多少画質は落ちるが,自由自在にデジタルコピーやプリントが出来る状態になっている。では,この事実は,著者に対して,どのような影響を与えるだろうか?

    すぐ予想されるのは,「会報」編集委員会も理事会も,著作権をあまり尊重しないのだな,という印象を著者に与えることである。つまり,「会報」に寄稿したら,「明示の同意」なしに著作物を勝手に利用されかねない,という不信感の発生・拡大である。

    そうなれば,たとえば命がけで撮った写真,長年の研究の成果など,つまり上質の貴重な著作物であればあるほど,「会報」には寄稿されなくなり,結局,会報は二束三文の捨てネタばかりということになる。

    それでよい,というのであれば,それはそれで一つの行き方であり,これ以上,いうことはない。

    いや,それは困る,「会報」は可能な限り高度な水準を維持したい,というのであれば,功利主義的損得計算からいっても,「明示の同意」のない「会報」スキャン画像はHPから削除した方がよいと思う。

    5.創作の苦難,複製の安直

    どのようなものであれ,何かを創り出すことは大変なことであり,だからこそ創始者=著者の創作物=著作物=外化された人格は尊重されなければならない。

    これに対し,コピー,複製はいとも簡単,いまではサルにでも出来る。

    この創作の苦難と複製の安直の間には,目もくらむような落差がある。われわれが,公平のために,刑事罰まで動員して著作権を守ろうとするのは,そのためである。

    しかし,いくら処罰で脅しても,複製の安直には抗しがたい魅力がある。正直に告白するなら,私自身,複製,剽窃,盗作の誘惑を常に感じている。私のHPにも,安直に走り著作権侵害をしている部分があるかもしれない。それほど,盗用への誘惑は執拗であり,ちょっと気を緩めると,つい誘い込まれてしまう。

    著作権には,人格と密接に関わるだけに,そのような日々人の品格を試すような厳しさがある。もって重々自戒したいところである。