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    10/2/2009

    国王,健在なり――人民評論

    谷川昌幸(C)
    われらが「人民評論」では,国王はまだまだ健在だ。同紙によれば,「元国王」ではなく,「国王ギャネンドラ陛下」ご自身が,ダサイン祭の祝福を受けに訪れた無数の人々にティカを授けられた。「ヒンズー教大祭を祝い,余は内外のネパール全人民の幸福と平和と繁栄をねがう。」(People's Review, 29 Sep)
     
    一方,ヤダブ大統領も,ティカを授けたが,祝福を受けに来たのは高官などごく少数であった。
     
    また,MK.ネパール首相は,訪米日程を切り上げて帰国し,父からティカを受けたが,首相自身は一般人民にティカを授けることはしなかった。ネパールが世俗国家になったからだ。
     
    このように,「人民評論」は,英字紙の中では抜群に個性的で鋭い。世俗国家になったくせに,大統領がダサイン祭の宗教行為をしていると批判しつつ,そんなものを受けに行く人民はごくわずかだった,と皮肉る。
     
    また,世俗国家の首相にして共産主義者のMK.ネパール氏が,公務をほっぽり出して帰国し父からティカを受けながらも,人民にはティカを授けられなかった,その悲喜劇的状況をきちんと報道している。
     
    他の体制順応大手メディアよりも,こんな異端メディアの方が,ときには問題の所在を鋭く突くことがある。その意味で,「人民評論」は異彩を放っており,断然面白い。
     
    ティカを授け祝福する「ギャネンドラ国王」(People's Review, 28 Sep) 
    7/29/2009

    ギャネンドラ元国王インタビュー

    谷川昌幸(C)
    「人民評論」は,共産党機関紙のような名称なのに,親国王だ。数日前までギャネンドラ元国王生誕63年祝賀を掲載していたし,27日にはかなり長いギャ氏インタビューを掲載した。
     
    このインタビューでギャ氏は饒舌だが,発言は慎重だ。Janabhawana誌編集長が盛んに挑発するが,ギャ氏は「王制復古が必要かどうかは,すべて人民が決めることだ」と繰り返し述べている。
     
    一方,「人民が望むことであれば,何であれ不可能なことはない」とものべ,「ナショナリスト指導者たち」の奮起を促している。きな臭いといえなくもない。
     
    ギャ氏の評価は別として,王制そのものについては,相対的に安上がりで安全な制度であることが,ネパールでも認知されはじめたのではないか。立憲君主化をすすめ,シンボルとしてしまえば,国王は国民統合の象徴として便利な制度である。
     
    しかし,ネパールでは王制はすでに廃止されてしまい,もはやよほどのことがない限り王制復古は難しい。権威は成立に長い年月を要するが,破壊は一瞬で足りる。ギャ氏は「人民が望めば・・・・」と未練を残しているが,いまのところその可能性はない。
     
    そのかわり,ヤダブ大統領がますます威信を高めてきた。憲法上,議会満了まで地位はほぼ安泰だから,状況によっては,今後,大統領が首相以上に大きな権限を行使するようになるかもしれない。ジャー副大統領には権限は何もないが,大統領は,その気になれば,民選国王になれないこともないのである。
    3/13/2009

    王政復古の可能性

    谷川昌幸(c)

    この2,3日,ネパールの人々と話しをしていると,王政復古がしばしば話題に上る。いま各党要人がインドに行っているが,そこで王政復古が話し合われているというのだ。

     

    王政復古といっても,ギャネンドラ前国王ではなく,孫か他の元王族の誰かを担いで王位につけるという案である。

     

    その場合,憲法は1990年憲法の改正復活となるか,あるいは国王を完全な象徴とする立憲君主制憲法の制定のいずれかである。1951年の王政復古はラナ将軍家からの大政奉還だったが,もし2度目の王政復古となると,今度は「人民」からの大政奉還となる。本当にそんなことになるのかどうかよく分からないが,どうやら一つの選択肢となってきたことだけは事実らしい。

     

    その背景の一つは,いうまでもなく経済不況。海外出稼ぎ組が解雇され続々帰国してくる。海外送金が激減した上に,失業者が街にあふれる。そこに16時間停電のダメージ。もうウンザリ,王様のほうがまだまし、ということになってきたのだろう。

     

    もう一つは,アイデンティティ紛争が泥沼化しそうな雲行きで,下手をするとタライがカトマンズから分離してしまう。それへの恐れ。こんなことなら,もう一度、御輿に王様を乗せ,とにかく皆で担ごう,ということになったらしい。

     

    国家はアンダーソンがいうように「想像の共同体」。「神」,「人民」「大統領」,「党総書記」など,いずれも不合理な「権威」により成立している。誰を御輿に乗せたらよいか,そこは合理的計算で決めたらよい。「神」は不合理だが,「神」を選ぶのは,人間の合理的選択である。

     
    旧王宮博物館。多くの学校からクラス単位で見学に来ていた。2009.3.13 
     
    旧王宮博物館。入場を待つ人々の長蛇の列。2009.3.13
    6/13/2008

    俗物競演:元国王とマスコミ

    谷川昌幸(C)

    13日付カンチプルが,元国王に渡される車について,低俗な記事を書いている。乗用車2台,ジープ2台だとか,ジャガーやBMWではなく,「普通の」つまりトヨタやヒュンダイだとか,大衆的なひがみっぽく,せこい話しだ。

    王制から共和制への大転換期に,王制に殉ずることも王者の清貧を甘受することも出来ない元国王,そして大衆根性丸出しで車の台数やメーカーを物欲しげに詮索するマスコミ――こりゃ,ダメだ。

    6/12/2008

    絵にならない王制廃止

    谷川昌幸(C)

    6月11日,ギャネンドラ元国王がナラヤンヒティ王宮を退去し,王制廃止手続きは完結した。2006年5月の議会主権宣言で王政は事実上終わり,2008年5月28日の共和制宣言で形式上(名目上)の国王も廃止され,そして6月11日の王宮退去で生活としての王室もなくなった。

    それにしても,お粗末な王制終焉だった。美学も遺産も教訓も何もない。張りぼてガラクタが撤去され,荒涼たる更地にされたようなもの。

    ギャネンドラ氏にとって,王位は7年前にタナボタで(あるいは他の方法で)入手したものにすぎず,王者の覚悟,王位に殉ずる究極の美学は持ち合わせていなかった。国王は俗人とは本質的に違う。善良な俗人にはとうてい出来ないようなことを平然とやる美学と野蛮こそが王族,貴族の証なのだ。

    ギャ元国王にもパラス元皇太子にも,その王者の資質はなかった。平々凡々と権力をチビチビ使い,俗物的贅沢におぼれ,タナボタ(?)王位を無益に浪費した。ギャ氏は,小市民的俗物だった。

    それに輪をかけて低俗だったのが,知識人,マスコミ。本来なら,王制と共和制,権威と権力といった原理問題を喚起し,それぞれの意味をギリギリまで問い,理論化し,意味づけ,歴史の中に刻み込むべきはずなのに,肝心の原理問題を棚上げにし,些末な通俗的権力闘争の後追いに終始し,何とはなしの王制から共和制への無味乾燥な移行を許してしまった。ネパールに歴史はない。ただ,流れていくだけだ。

    「王」や「権威」の本質を問わないから,共和制になっても,名が変わっただけで,同じような問題が起こる。

    「大統領」をおくのだそうだが,その「大統領」と国王との違いは何か? その本質的な議論抜きで,プラチャンダかコイララか,文化人か女性か,などといった些末な事柄をめぐって延々と議論を続けている。誰を大統領にしようと,国の象徴たらしめるには,権威づけねばならず,超絶化,神格化は避けられない。別バージョンの国王をつくるのとどこが違うのだろうか?

    あまりにも大衆的,小市民的で絵にならないから,日本ではもう報道はない。全くといってよいほど無い。王制は,娯楽として消費されたのだ。消費され,排泄されるようなものは,文化ではない。

     

    5/31/2008

    最新共和国誕生の祝い方

    谷川昌幸(C)

    外国との交際は難しい。革命ともなると,昨日の国王・皇太子陛下が今日の国権簒奪者,昨日のテロリストが今日の大統領閣下となる。つい昨日のこと,ちょっと振り返ってみよう。

      prince1 prince2

    prince3 prince4

    prince5  ←種まきおばさんHPより

    (参照)
    皇太子殿下来日と日ネ協会(2005.6.5)
    ODA凍結要求と皇太子殿下歓迎会(2005.6.12)
    皇太子殿下訪日の政治的意図(2005.6.17)
    天皇,皇后両陛下と会見へ(2005.7.4)
    目に余る天皇の政治的利用(2005.7.5)
    天皇との会見写真(2005.7.8)
    皇族,日ネ協会に大歓迎される皇太子ご夫妻(2005.7.12)
    協会HP閉鎖の時代錯誤(2005.9.10)

    5/30/2008

    王制遺産の浪費

    谷川昌幸(C)

    5月28日深夜,制憲議会初会議において共和制宣言が賛成560,反対4で可決され,「ネパール連邦共和国」が成立した。わずか4票とはいえ,反対票があり,満場一致でなかったのが,せめてもの救いだ。(内閣指名26議員未選出はむろん憲法違反。)

    1.共和制万歳記事
    報道は例のごとく共和制万歳一色。カンチプルネット版見出しは「世界最新共和国」。たしかに「最新」ではあるが,新しい=善ならば,弓矢より核兵器が1億倍もよいことになる。それよりも何よりも,共和制はちっとも新しくない。世界最古の政体の一つだ。こんな大勢迎合記事に踊らされてはならない。

    2.実践と認識
    政治において,「決断」と「実行」は不可欠だ。「決断」は文字通り思考を断ち,行動すること。政治家には,この勇気が求められる。

    その点,プラチャンダ議長は名前通り「勇敢」で,信念ある政治家だ。「決断」し,可能性に賭け,新しい世界を創っていく。

    しかし,認識は別だ。「決断」してはならない。少しでも疑問の余地があれば,いや全くないと思われても,疑ってみるのが認識の立場だ。

    ジャーナリズムは本来認識者たるべきだ。権力者,多数派からつねに煙たがられ,嫌われてこそ,ジャーナリストだ。

    3.王制遺産の浪費
    そこで,ゴマメ以下だが,ひとこと嫌味をいえば,拙速な王制廃止は王制遺産の浪費だ。

    最大の責任者は,ギャネンドラ国王,パラス皇太子。現代王制のイロハも心得ず,わずか6年余で遺産を食いつぶしてしまった(ギャ父子迎合内外名士も同罪)。

    次の責任者は,制度と人を区別できなかった政治家諸氏。ギャ父子がダメだとわかったら,さっさと退位させ,適任者に王位継承させるべきだった。国王など,幼児でも鰯の頭でもよい。そうしておれば,激変は回避され,「大統領」などという国王代替物をつくらなくてもよかったのだ。

    第三の責任者は,知識人,ジャーナリスト。共和制論が出たら,それを真っ向から批判する王制論が出てしかるべきだった。フランス革命のときは,エドマンド・バークの『フランス革命の考察』が出て,革命を徹底的に批判した。フランス革命(ルソー)をバークの目を通して読み,バークをフランス革命(ルソー)を通して読む。これぞ,知識人たるものの責務だ。ネパール共和制革命には,そんな知的格闘はひとかけらもみられない。

    4.何も残らない
    勇敢なプラチャンダ議長が,政治家として果敢に決断し,王制を粉砕したのは,立派なことだ。

    しかし,もし知識人やジャーナリストがその意味を批判的に問わないならば,王制は単に破壊されただけ,遺産の浪費で,あとには何も残らない。バーク抜きのルソー。実にむなしい。

    4/14/2008

    マオイスト=国王密約と山車倒壊

    谷川昌幸(C)

    王制存続密約はあったが,マチェンドラナート山車の倒壊と共に崩壊した――この意味深な分析をしているのが,UWB(4/14)のワグレ氏。UWBにはいつも感心させられているが,この鋭い分析を読んで,もやもやしていたものがスカッと一掃された。

    このブログで2回,「裸の王様の選挙参加」(4/10) と「国王の選挙歓迎発言とライジングネパールの中国代弁記事」(4/13) において,王制存続密約があるのではないか,と指摘した。

    ワグレ氏によると,やはりそれは事実であったらしい。つまり,マオイストは今回の選挙ではせいぜい第3党と考え,王制を残すことによって,これをNC,UML攻撃に利用するつもりだったという。

    これは,王制を骨までしゃぶり尽くす巧妙な戦術だ。ガス欠も物価高も失業も中印の内政干渉も全部,国王のせいだ,王制を残したNC,UMLが悪いと宣伝する。この戦略は,国王が政治権力を保有し続けるかぎり有効であり,そこに着目したマオイストは政治センス抜群といえる。

    ところが,選挙ではマオイストが,マオイスト自身の予想をも大きく上回り,第1党になりそうな勢いだ。これで,第3党が前提の王制存続密約はご破算になった。そして,それを暗示するかのように,4月13日夜,マチェンドラナート山車が倒壊した。前回の倒壊は2001年で,このときは王族殺害事件が起こった。今回の倒壊は,王制の終わりの暗示だそうだ。実にうまい説明だ。ちゃんとつじつまが合っている。

    マオイスト=国王密約は,マオイストの予想以上の大健闘のためご破算になったが,王制をギリギリまで利用し尽くすというのは見事な政治戦略であり,なぜこの手をNCやUMLが使わないのか不思議でならない。

    むろん,国王があまりにも固陋で,いくら説得しても純粋象徴化に応じようとしないのであれば,どうしようもない。早くからこのブログで主張してきたように,国王が率先して一切の権力と財産の放棄を宣言しておれば,象徴国王存続の目は十分にあった。ところが,国王はそうした民主主義時代に生き残るための努力を一切しなかった。

    だから,NCやUMLにとって難しくはあったが,それでも制度を作るのは政党・政治家だから,国王が何をいおうが,それにはおかまいなく純粋象徴王制にして,これを取引材料にする手は,いくらでもあった。それなのに,NCとUMLはいち早く共和制に与し,自分の手を縛ってしまった。王制存続密約までしていたらしいマオイストの方が,はるかに政治センスが優れている。

    そもそも,現代における王制の存在意義は,民主主義の(失敗の)隠れ蓑,スケープゴートになること,ストレートにいえば民主主義のごみためになることだ。人民が人民を統治するなどといった神業は人間には無理だ。必ず失敗する。その失敗の責任をなすりつけるためのもの,民主主義のゴミ捨て場,それが王制だ。そうしたゴミ捨て場がないと,人民は自分の失敗に打ちのめされ,ゴミだらけとなり,自己嫌悪から結局はヒステリー状態に陥り,やけくそでファッシズムに走ることになる。そこでは,国王ではなく,ユダヤ人などの少数民族が,不満のはけ口とされてしまう。

    王制は数千年の歴史をもつ強靱な制度であり,民主主義の失敗の責任をなすりつけるのにもってこいだ。民主主義が生み出す様々な失敗=ゴミを少々放り込んでも,寛容に受け入れてくれる。そんな便利な制度を捨て去るのはあまりにも惜しい。

    政治センス抜群のマオイストは,民主主義には非民主的な国王のようなものが必要であることをよく知っている。UWBによれば,プラチャンダ議長は,マオイストの大勝利で王制存続密約が崩壊したと見るや,ただちにコイララ首相に会い,新生ネパール共和国の初代大統領就任を打診したそうだ。権威的象徴なしには人民統治は困難なことを,プラチャンダ議長はよく知っているのだ。

    新生ネパール共和国にも,権威的象徴は必要だ。象徴として「大統領」がよいか,それとも「国王」がよいか? それはネパール人民が決めることだ。また,いずれを選ぶにせよ,象徴性を高めれば高めるほど,なすりつける責任が多ければ多いほど,民主性は減退する。どの程度の象徴性をもたせるか? これもまたネパール人民が決めることだ。

    4/13/2008

    国王の選挙歓迎発言とライジングネパールの中国代弁記事

    谷川昌幸(C)

    1.国王の選挙歓迎発言
    4月13日(nepalnews.com),国王はネパール新年挨拶で,ネパール人民の積極的選挙参加に満足の意を表明した。それは,人民がいかなる状況下でも国家の存立,独立,統合を堅持する固い決意を示したものだという。

    型どおりの新年挨拶とも言えるが,選挙前の投票要請発言といい,どこか変だ。象徴国王存続の密約でも出来ているのかな?

    2.ライジングネパールの中国代弁記事
    これとの関係で見ると意味深なのが,ライジングネパール記事。マオイスト与党政府の検閲下にあると思われる同紙は,ますますダライラマ派攻撃を強化している。

    4月12日付ライジングネパールによれば,いまネパールにフランス議員団が選挙監視に来ているが,その彼らがフランス公使を伴いダライラマ事務所代表と会談したという。鄭祥林中国大使は,これを非難し,次のような抗議文を仏大使に送りつけた。

    フランス議員たちの行為は,分離主義者の「チベット独立」支援だ。「チベット問題は中国の国内問題であり,いかなる国もそこに介入・干渉すべきではない。フランス視察団がネパールの制憲議会選挙視察に来るのは,よい。しかし,彼らはその機会を利用して分離独立主義者たちと会い,『チベット独立』宣伝を支援したのだ。中国側は,これに断固反対している。」

    記事によれば,フランス議員たちは「チベット独立」のシンボルである「スノー・ライオン旗」をダライラマ事務所代表に渡し,分離独立支持を表明したという。

    このライジングネパール記事は,事実報道の体裁をとっているが,これまで述べてきたように,同紙は署名社説で中国政府の言い分をそのまま代弁しており,この記事もその目的で書かれていることは明白だ。

    ネパール国王は,伝統的に,中国寄りだった。これで,ライジングネパールに国王記事が掲載され始めると,王制存続の芽が出てくるのだが,今のところ,それはない。

    4/10/2008

    裸の王様の選挙参加

    谷川昌幸(C)

    選挙情報洪水の昨今,シカトを決め込んでいたが,あまりにも面白いので黙っていられなくなった。

    これまで多勢に無勢,不利を承知で立憲君主制を擁護してきたのに,本当にギャネンドラ国王は困った方だ。一体全体,何を考えているのだろう? もう救いようがない。 

    選挙前日(4月9日),国王は声明を出し,全国民は選挙に行き投票せよ,と述べたのだ。正気であれば,まさに「裸の王様」。まるでマンガだ。

    そもそも国王は暫定憲法第159条(3)により一切の政治的権力を否定されている。国王として政治権力を行使してはならないのだ。もしそんなことをしたら,直ちにギャネンドラ国王から「国王」の称号を剥奪し完全共和制に移行してもよい,と憲法第159条(2)に明記してある。

    選挙は政治の中の政治。その投票前日にわざわざ声明を出し,政治的発言をする。もし日本国天皇が総選挙前日に「忠良なるわが臣民よ,すべからく投票すべし」などという声明を出したら,大変なことになる。側近は切腹ものだ。ギャネンドラ国王は,いまや日本国憲法の天皇規定以上に厳しい規定で政治的行為を禁止されている。なのに,なぜこんな愚かな声明を出したのか? もうダメだ。制憲議会を待たず,直ちに憲法第159条を発動して完全共和制に移行してもよい。

    これにからんでもう一つ面白いのが,マスコミ。カンチプール(eKantipur, 9 Apr)が,この「裸の王様」声明をトップページに麗々しく掲載している。単にニュースバリューがあるからなのか,それとも王様を応援するつもりなのか?

    準官報ライジングネパールは,王様はシカト。攻守逆転して,「玉」の奪い合いになると,無責任な野次馬としては楽しめるのだが,そうはならないだろう。カンチプールは,見せ物商売になると見て,「裸の王様」をトップページに載せているにちがいない。

    ギャネンドラ国王は,本当に不思議なキャラクターだ。王様にはたいてい一人や二人忠臣がついているものだが,制度疲労が極限まで来て,もはや「王様,裸ですよ」と諫める側近は一人もいないらしい。

    どこかの秘密機関に利用されるようなことだけは避け,有終の美を飾っていただきたいものだ。

    Masayuki Tanigawa, Unitary State, Ceremonial Head and Japan's Role in Peace Process, Newsfront, 17-23 Spet, 2007
    Masayuki Tanigawa, THE RATIONALE FOR THE KINGSHIP IN NEPAL , Nepali Political Science and Politics, 1996

    2/20/2008

    国王,また違憲発言

    谷川昌幸(C)

    ギャネンドラ国王が,また違憲の政治的発言をした。声明そのものはまだ見ていないが,新聞報道によれば,「民主主義の日(2月19日)」,国王は祖父トリブバン国王を称え,タライの民族自決,地域自治への動きに懸念を表しつつ,ネパールの領土主権,ナショナリズム,独立を訴えたという。明白な政治的意図を持つ政治的発言,政治的行為だ。

    暫定憲法第159条(3) 国王は一切の国家統治権を有しない。

    それなのに,この危機状況の中で,政治的発言をする。明白な憲法違反だ。ギャネンドラ国王は,いわば「KY」であり,象徴王制を残すためには,自ら退位されたほうがよいのではないだろうか。

    2/8/2008

    国王の政治的発言,日本財団会長同行メディア会見

    谷川昌幸(C)

    国王が2月4日,日本財団・笹川陽平会長,日本メディアと会見し,違憲の政治的発言をした。笹川会長は2月1-5日,ハンセン病状況視察のため訪ネし,これを記者団が同行取材していた。読売(2/5)や産経(2/8)の国王会見記事も,おそらくその同行取材の一環であろう。(もしそうでない場合は,以下の記事は撤回します。)

    笹川会長の国王謁見の席に他のジャーナリストや仲介者,あるいは日本政府関係者がいたのか,それはいまのところ分からない。しかし,これが極めて政治的な会見であることはいうまでもない。むろん違憲だ。国王はそんな発言をすべきではない。

    そして,もし読売や産経の記者が笹川会長の国王謁見に同行し,そこで取材したのなら,はっきりそうと明記すべきだ。記事そのものが,政治スローガンであるなら,そう明記しないと,両紙の記事はみなそのようなものだと受け取られる。

    それでも産経は「記者(喜多)は日本財団の笹川陽平会長に同行した」と末尾に付記しているが,読売にはそのような取材状況の説明は一切ない。したがって,読売記事を大々的に紹介し始めたネパール・メディアにも,この発言がどのような状況でなされたかの説明はない。単なる日本メディアの取材に対する発言,とされている。

    King Gyanendra has expressed displeasure over the recent decision of the interim parliament on abolishment of the monarchy, saying that it did not reflect the majority view of the people and that the it was not a democratic move, according to Thursday’s edition of the news portal of the Daily Yomiuri, a leading Japanese newspaper. (eKantipur, Feb 7)

    According to the Japanese media, in an interview given to some Japanese reporters at the royal place on Monday, ....  leading Japanese daily Yomiuri Shimbun quoted the king as saying while speaking to several Japanese reporters at the royal palace recently.(Himalayan News Service, February 7)

    Speaking to a select group of Japanese correspondents at the Narayanhiti royal palace on February 4, King Gyanendra said, .....The interview was published in Japan’s leading newspaper Daily Yomiuri.(nepalnews.com ag Feb 07 08)

    これはマズイ。ネパールと日本の読者に誤解を与えかねない。ジャーナリズムにとって,誰が,どのような状況で発言したかを明記することは,基本中の基本ではないだろうか。

    以下,参考までに,JN-ネット掲載記事と,王制に関するブログ過去記事を掲載する。

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    日本財団のネパール進出【 国王の政治的発言,日本メディアに 】への返信

    2月4日の国王会見がどのような経緯で実現したのか分からないが,産経新聞によると,記者(記者団?)は日本財団会長・笹川陽平氏と一緒だったそうだ。同氏HPに記事と会見ビデオ(8分余)がある。一見の価値あり。
    ●ギャネンドラ国王 謁見http://jp.youtube.com/watch?v=-wehQvlSisU

    興味深いのは,国王が少数民族,地方を引き合いに出してカトマンズを批判していること。6党とマオイストがカトマンズ中央権力を握りつつあるのに対し,国王が地方と少数民族を利用し対抗しようとしている。

    実は,これはネパール近代王政の常套手段だった。国王は,政党勢力と対抗するため,少数民族を引き立て,重用してきた。だから,1990年民主化により,高位カースト支配はむしろ強化されたのだ。

    地方や少数民族を,国王とマオイストが奪い合う。どちらが勝つか? 歴史的には,日独の過去が物語るように,民族は左よりも右のもの。ドイツなど,革命前夜と思われていたのに,民族社会主義ドイツ労働者党に完敗した。

    日本財団のことも笹川陽平氏のことも,知識はゼロ。まったく知らない。が,「日本メディア」の国王会見,笹川氏の国王会見ビデオ(ユーチューブ)は,どこか変な気がする。どうしてかなぁ?

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    国王の政治的発言,日本メディアに

    2月4日,国王が日本メディアと会見し,7党を非難し,王制の是非は「国民自身が選択すべきだ」と発言した(読売2/6)。

    こりゃダメだ。なぜ,国王はこの時期にこんな余計な政治的発言をするのか? 暫定憲法第159条は,「国王は統治に関する権力・権威(authority)を有しない」と明記している。いかなる場合にも憲法に従う。それだけが,21世紀の王制存続を可能とする。

    私は,制度としての立憲君主制は残した方がよいと考えているが,現国王は立憲君主の重責には堪えられそうにない。残念ながら。

    以下,参考までに,昨年の王制論再掲。

    ●世俗断念が王制の条件(2006/08/07)
    ネパール王制は,いま存亡の瀬戸際にある。シャハ家はもともと地方領主権力の一つにすぎず,国家王家としてはせいぜい2百年ほどの歴史しかない。いわば武家の総代といったところ。日本国の神武天皇にまで遡るらしい万世一系の天皇家とは,そもそも有難味が違う。ビシュヌの化身といったところで,仏陀の化身もいるし,さして神秘性が増すわけでもない。また,アラブのようにアブラがあるわけでもない。そうした単なる武家の総代が国王の地位を維持するには,アラブ王族や日本国天皇の何百倍,何千倍もの努力がいる。

    残念なことに,ギャネンドラ国王は,兄王とは対照的に,そのような努力を何もしてこなかった。それだけでなく,王族殺害事件の前後も含め,何事についても現国王はおそらく自分で決断して行動したことはなかったのだろう。(独裁者に見え,私もひょっとしてそうかなと思った時もあったが,そうではなかったようだ。)

    不思議でならないのは,この春,反政府デモが拡大し,首都が燃え上がっているというのに,年中行事か占いかでポカラにとどまり,何ら手を打たなかったこと。このとき,あぁ,この国王は権力者ではなく,単なる操り人形だな,という印象を強く持った。

    もし私が国王なら,善悪は別にして,おそらく何らかの手を打っていただろう。たとえば,天安門の鄧小平氏に習い,軍を総動員し,中国製特車などで群衆を踏みつぶし蹴散らし,一気に鎮圧してしまう。国家理性に従えないような国王は,マキャベリもいうように,権力者失格だ。そんなことも出来ない国王は,化石化した封建領主にすぎない。

    そのような権威もなく権力もなく,おまけに化石燃料もない,化石化した封建領主が,21世紀国家の国王たるには何が必要か?

    以前から繰り返し強調しているように,国の象徴に徹する努力をすること。これ以外にない。

    ところが,8月4日,土地改革省から議会に提出された報告書によると,王家は3万4千ロパニもの土地を所有しているらしい。いかにも封建領主らしい。他にもホテル,タバコ会社,金地金,現金など膨大な財産をもっている。

    これは,国の象徴にはふさわしくない。全部国家に寄進してしまう。早くやらないと,没収となり,悪評だけが残る。

    政治権力も,強奪される前に自ら放棄しておれば,今頃は名君とあがめられていたはずだ。王族の範囲も,自ら制限しておれば,7月31日政府決定により国王,王妃,皇太子,皇太子妃,皇太后に限定されるといった屈辱をなめずに済んだ。政府決定の女王容認も同じこと。

    国家理性に従い断固権力を行使する勇気もなければ,世俗の権力と富を放棄し国の象徴となる潔い志もない。こりゃ,ダメだ。

    コイララ首相が8月6日,王制護持をまた力説した。国王というより,王制に象徴される既得権益を守るために他ならない。この形で王制が残っても,国王は有産特権階級に利用されるだけだ。

    そうかといって,一発逆転,クーデターをやっても,国軍と組むにせよ人民解放軍と組むにせよ,国王が利用されることは目に見えている。

    国王にとって最も賢明なのは,繰り返すが,一切の世俗権限,世俗財産を自ら放棄し,ネパール国とネパール人民の象徴になる,と宣言することだ。戦争放棄が日本国にとって,人間宣言が天皇にとって,最も現実的であったのと同じように,世俗断念宣言が,世俗国家ネパールで国王が生き残る最も現実的な方法である

    「世俗断念が王制の条件」(2006/08/07)
    http://nepalreview.spaces.live.com/blog/cns!3E4D69F91C3579D6!414.entry?_c11_blogpart_blogpart=blogview&_c=blogpart#permalink

    8/26/2007

    儀式王制で合意か?

    Tanigawa(C)

    8月24日の7王宮国有化実施について,マスコミは王制廃止への一歩前進とはしゃいでいるが,実際には必ずしもそうとは言い切れない。7王宮国有化は,翌25日のマオイストの選挙4月延期表明とセットであり,その心は儀式王制存続という見方も出来る。

    このところマオイストの人気はがた落ちで,一方,国王クーデターの噂は絶えない。マオイストは自由選挙を実施すれば大敗は確実で,比例制で十数人当選が関の山だ。選挙は出来ない。

    だから,自分たちの決めた暫定憲法を無視し,選挙実施に次々と条件を付け,引き延ばしを図ってきた。そして,いよいよとなって4月延期を表明したが,カッコがつかないので王宮国有化実施を宣言させ,その代わりクーデターを断念すれば儀式王制を残すという裏取引をした。そんなところではないか?

    マオイストと国王との怪しい関係は,公然の秘密だ。面白い話しだが,確証が取れないので困る。

    7/14/2007

    退位で王制継続勧告,米大使

    谷川昌幸(C)

    モリアーティ米大使がギャネンドラ国王退位による王制継続を勧告した。米政府もたまにはまともなことをいう。そして,わが日本政府も,ギャネンドラ=パラス専制化支援という大失態を犯したが,いまではおそらく米政府と同じ考えをもっているにちがいない。米政府(と日本政府)の対ネ政策を応援するのは,いささか気まずいが,この際そんな私的感情は棚上げし,米政府(と日本政府)の王制存続政策を応援しよう。(国制の決定権はいうまでもなくネパール人民自身にある。いうまでもないから,そんな分かり切ったことはいわない,ということをいっておく。)

    カンチプル(13Jul)の記事が正確であれば,任期を終えまもなく帰国するモリアーティ大使は7月13日の記者会見で,国王への最後の助言は「もし王制を救いたいのであれば,国王は退位すべきだ」というものだった,と語った。米政府はネパール版名誉革命を願っているのだ。

    これは妥当な政策だ。そして,日本政府も同じ考えをもっていることはまず間違いないから,かなりのリスクを負うことにはなるが,この際,宗主国アメリカにならい,日本政府もネパール名誉革命を希望する,と表明するとよい。

    ネパール王制問題は,すでに単なる内政問題ではなくなりつつある。マオイストが先祖帰りして本家中国に接近し共和制へ向かうのに対し,米(日)は対中政策上,立憲君主制で体制安定化を図りたいと考えているはずだ。これにインドが乗れば,米印日の支援でネパール名誉革命の芽が出てくる。

    では,国王退位宣言はいつがよいか? 効果的なのは,憲法制定議会選挙直前だろう。早すぎると退位効果が薄れ,遅れると共和制になってしまう。選挙前にパラス皇太子共々退位すれば,ギャネンドラ国王は,一発逆転,身を捨て国を救った名君として歴史に名を残すことになるかもしれない。

    王制は便利な反面,危険でもある。タイ王室は,国民統合機能をよく果たしてきたが,その反面,軍事クーデターの根拠としても利用されてきた。象徴王制のミソは,前者を極大化し,後者を極小化する点にある。米国は(そしておそらく日本も),それをねらっているのだろう。

    ネパール象徴王制論は,最近の思いつきではない。1990年革命の頃から,一貫して,その考え公表してきた。下記参照――

    The Rationale for the Kingship in Nepal (1996) 

    世俗断念が王制の条件(2006) 

    6/24/2007

    国王とライジングネパール

    谷川昌幸(C)
    ライジングネパールが,まだ王制で頑張っている。
      国家元首=ギャネンドラ国王
      国歌=国王賛歌
      国教=ヒンズー教
    以前にも指摘したように,国名は変えてある。目立つページだから,99%更新忘れではない。故意に違いないが,とすると,誰がこんな事をしているのだろう。まだ確定していないから,もとのままという論理かな? 摩訶不思議。
    5/2/2007

    国王の政治的利用

    谷川昌幸(C)

    1.国王の政治的利用
    国王(君主,天皇)は人民を「情」で動員する最強の装置。人間は「理」だけでは動かないので,政治家はつねに国王(あるいはその代替物)の権威を政治的に利用しようとする。しかし,国王は強力で便利である反面,それだけ危険でもある。その国王をどう政治的に利用するか?

    2.日本国天皇の護憲的利用
    日本では,最近,卜部亮吾元侍従の日記や富田朝彦元宮内庁長官のメモが公表され,昭和天皇がA級戦犯合祀に反対し,靖国神社参拝を取りやめたことが明確になった。人権派,世俗派,民主派は,利用しようと思えば,これを便利に利用できる。天皇ですら怒って参拝を止めたのに,なぜ首相や閣僚が参拝するのか,と。天皇制はいうまでもなく封建的,非人権的,非民主的なものだが,その気になれば,天皇の靖国参拝拒否を人権,民主主義,平和のために政治的に利用できるのだ。

    日本国憲法そのものについても,昭和天皇も今の天皇も,ことあるごとに遵守を言明し,そう行動しようとしてきた。自民党,民主党,公明党の大部分の政治家よりも,財界のお歴々よりも,天皇の方がはるかに憲法に忠実だった。その天皇を,護憲のシンボルとして政治的に利用すべきか否か?

    理屈では,むろんそんなことはすべきではない。しかし,改憲派の方は,安倍首相を先頭に「情」を総動員して改憲に突き進んでいる。それに対抗できる「情」が護憲派にあるのか? 死に体寸前でワラをもつかみたい思いの護憲派からすれば,ワラの前に天皇をつかんでみよう,ということになりはしないのか?

    これは危ない議論だ。危ないが,魅力的でもある。

    天皇主義的左翼の朝日新聞は,どうやら天皇の権威を護憲に利用する魂胆らしい(5月2日付他)。右手に天皇,左手に憲法。それは矛盾でありケシカランとは言い切れないほど,日本の憲法状況はいまや危機的,末期的だ。天皇の護憲的利用は耐え難いが,耐えがたきを耐え,忍びがたきを忍び,天皇にすがる。みっともないことこの上ない。が,かつて昭和天皇が恥を忍んでやったことを,いま消滅寸前の護憲派がやる。禁じ手にはちがいない。が,ダメとは言い切れないほど日本は危機的なのだ。

    3.ネパール国王の政治的利用
    ネパール国王についても,同じようなことがいえる。国王は国民統合にとって大きな利用価値がある。選挙されていない暫定議会に共和制宣言の権限はあり得ないが,もしかりに共和制宣言をしたとして,国王に代わる国民統合のシンボルを共和国政府は創り出せるか? コイララ翁,ネパール書記長,プラチャンダ議長・・・・。おそらく無理だろう。

    人間の情念性を冷静に見つめるなら,国王を政治的に無力化した上でシンボルとして政治的に利用するという選択肢は,天皇の護憲的利用よりもはるかに合理的かつ現実的だ。

    むろん,国王は便利な反面,危険でもあることは忘れてはならない。国王は差別抑圧構造温存の道具ともなれば,軍事クーデターの玉ともなりうるからだ。

    4.制度の機能的利用
    それは王制だけでなく,共和制も同じことだ。ナチス・ドイツもスターリン・ソ連も金正日・北朝鮮も,いや毛沢東・中国も,全部「共和制」だ。制度とは,元来,そのようなものだ。それを踏まえた上で,制度をどう利用するかを政治的に判断する。

    日本の場合,天皇を廃止して共和制にしたら,状況は今よりよくなるか? たぶん悪化するだろう。今の日本人には共和制は使いこなせない。

    ネパールの場合,王制廃止で状況が改善される可能性は,日本と比較するなら,はるかに大きい。しかし,それでもネパールの共和制化にはまだまだ議論の余地がある。共和制宣言をして,さて,何をするつもりなのか。共和制宣言はいわば最後の切り札。それを早々と切ってしまったら,あとに何が残るのか? 何もない。お先真っ暗なのだ。多少は先が見えるまで議論してから,事は進めるべきだろう。

    4/30/2007

    国王テコ入れに躍起のマオイスト

    谷川昌幸(C)

    マオイストが,悪役・国王のテコ入れに懸命だ。野宿PLAの後始末,7+1党体制の維持,UNMIN特需の継続拡大――どれ一つとっても,悪の枢軸の総元締めが必要なのだ。

    見え見えなのに,元祖テロリストたるマオイストの議員総代で政府代弁者のクリシュナ・マハラ情報相は,国王が国軍R・カトワル幕僚総長(CoAS)と密会したと大宣伝している。少し前の王党派によるアメリカ人襲撃情報と同じく,某日某所らしい。

    むろん,もしかりに事実とすれば,これは危険きわまることで,国王はそんなことを断じてしてはならない。

    同じく,ダクシンカリ参拝も国軍兵など伴わず,丸裸で行くべきだ。偉大なカーリー女神が守ってくれているし,万が一,攻撃されるとしても,それはnoblesse oblige,国王の名誉として甘受すべきだ。

    元祖テロリスト・マオイストは,「悪」の効用をよく知り,国王を悪の枢軸の総元締め,本家テロリストとしたがっている。マオイストにとって一番困るのは,国王がよい子ちゃんになってしまうことだ。

    言い換えるなら,国王にとっての最善の自己防衛策は,一切の政治的活動を止め,自分を完全な象徴にしてしまうこと。世俗権限を失っても,国王には千年以上の「王制」の歴史的伝統がある。政治を断念すれば暇が出来るから,保守主義の元祖,E・バークでも繙いて,21世紀型君主への道を研究していただきたい。

    最善は「純粋象徴」君主制,次善が「悪の象徴」君主制,最悪が「犠牲の子羊」共和制。軽薄な国会投票で「悪の象徴」国王がいなくなれば,現状では,まず間違いなく国王に代わる「犠牲の子羊」探しが行われる。7+1党の面々は,自分が子羊に仕立てられ,共和宗教の祭壇に捧げられる日のことを想定して行動すべきだ。

    いや,親分衆だけではない。マオイスト直接行動主義の代弁者マハラ情報相は,このところさかんに民族や地域や諸団体に対しバンダを止めよ,と要求している。それらの一つを国王代理として「犠牲の子羊」に仕立て上げるのは造作もない。

    法治は法が人を支配する。法治に犠牲の子羊は不要だ。ところが,人が人を治める人治主義のマオイストにおいては,自分がやってきたこと,今もしていることを,他者には許容できない。それを正当化するため,人治には「犠牲の子羊」が不可欠なのだ。

    * eKantipur, 29Apr2007

    2/22/2007

    国王,8党に助け船?

    谷川昌幸(C)

    ギャネンドラ国王は不思議な人だ。神的な名君か愚昧な裸の王様か? 憂国王か暴君か? 人民の下僕か人民の主人か?

    2006年4月革命の時も,首都炎上というのにポカラで避寒三昧,首都帰還後もその気になれば「人民運動2」など簡単に制圧できたのに,やらなかった。まったく不思議。

    そして,2007年2月19日の国王声明(下記参照)。この時期になぜこんな声明を出したのか?7+1党や学生団体は,さっそく国王クーデターの策謀と糾弾を始めた。

    7+1党にとっていま一番困るのが,国王が象徴になってしまうこと,民族,地域,カースト入り乱れ,暫定議会政治は風前の灯火。ネパールは小国連合への分裂寸前だ。

    もしギャ国王が憂国王なら,7+1党に最低限の結束を維持させるため自らを犠牲にし,たとえだれからも理解されずとも,祖国ネパールのために自ら十字架につくだろう。2月19日声明の目的はきっとそうにちがいない。偉大なるかな,ギャ国王!

    しかし,かりに,そんなことは百万分の一もないはずだが,もしもかりにギャ国王が7+1党の統治無能力につけ込み,2005年2月1日親政開始を正当化し,クーデターをたくらんでいるとするなら,これは国家を私物化するとんでもない暴君,世間を知らぬ蒙昧な裸の王様だ。国王といってもブレーンがついているだろうから,そんなバカな自殺行為はしないだろう。ギャ国王には偉大であってほしい。

    それにしても,ネパールではなぜ制度と人を区別するという民主主義のイロハについてだれも発言しないのだろう? 王制(君主制)は立派な制度であり,弊履のごとく捨て去ってよいものではない。(無神論が危険なのは神以外の何かを神にするから。)イギリス名誉革命にならって,もし万が一,ギャ国王が憂国王でないなら,民主国家にふさわしい人物(赤ちゃんでもよい)を国王に迎えるといった大人の知恵がどうして働かないのだろう。もっとも,それはネパールの人々が決めることだが。

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    Beloved countrymen

    Today, the 57th National Democracy Day, reminds us of the joint struggle launched by the King and the people, culminating in the successful restoration of the peoples’ rights. On this historic day, we pay homage to our august grandfather His late Majesty King Tribhuvan, the architect of democracy in Nepal, and all the brave martyrs who laid down their lives for this cause.

    Nepal’s glorious history is guided by the fact that Monarchy has always abided by the aspirations of the Nepalese people, on whom sovereignty is vested. It is clear that the prevailing situation compelled us to take the Feb 1, 2005 step in accordance with the people’s aspiration to reactivate the elected bodies by maintaining law and order following the dissolution of the House of Representatives at the recommendation of the elected Prime Minister of the day, who was unable to conduct general election within the timeframe stipulated by the Constitution. Subsequent governments, too, were not successful in this task. Various obstacles thwarted our resolve to install elected representative bodies. We are also morally responsible for any success or failure during the 15 month effort. As our sold wish is that the people should govern themselves through their own elected representatives, it is well known that we reinstated the House of Representatives on April 24, 2006 with the confidence that the nation would forge ahead on the path of national unity and prosperity, while ensuring permanent peace and safeguarding multiparty democracy.

    In order to consolidate multiparty democracy, elected representative bodies must be installed, taking into consideration, in a mature manner, the grievances, aspirations and sentiments of all the Nepalese to the satisfaction of all. Nepal is a kaleidoscope of diverse peoples- be they indigenous, dalits or those living in villages, cities, terai, hills, or the mountainous regions. It will do well to remember that Nepal’s sovereignty and integrity remains safeguarded only because all have accepted and abided by this reality. The Nepalese people alone are the arbitrators of their own destiny and they wish to build a prosperous Nepal through a meaningful exercise in multiparty democracy. The self-respecting Nepalese people have an unshakable belief that one’s unique identity can be upheld only by respecting one’s history.

    While upholding the people’s wish as supreme, may this day inspire all to remain dedicated, through multiparty democracy, to the greater welfare of Nepal and her people by ensuring their concurrence and active participation.

    May Lord Pashupatinath bless us all! Jaya Nepal!

    1/22/2007

    マデシ運動と王党派

    谷川昌幸(C)

    マデシ独立運動と王党派の関係については,下記記事が面白い。

    「ラーハン暴動」西荻のトリケラトプス

    関ヶ原」名古屋のN

    「マデシの分布」名古屋のN

    11/21/2006

    King can do wrong, but .......

    谷川昌幸(C)

    1.処罰ではなく,訴追の要求
    朝日新聞(11/21)が,11月20日提出のHLPCラヤマジ報告書を大きく報じている。

     ネパール「弾圧,国王に責任」調査報告 処罰法制定求める

    高等調査委員会(High Level Provbe Commission)の1184ページにも及ぶ(ネパール的!)報告書そのものは読んでいないが,HLPCが2006年春蜂起(Janaandolan II)弾圧を調査し,294人を取り調べ,202人(国王を含む)の訴追を求めたことは事実らしい。朝日は「国王に責任があり,処罰すべきだ」とする報告書,と報じているが,本当かな? センセーショナリズムに流れた朝日記事よりも,むしろ「訴追を求めた」とするカンチプルの方が正確ではないだろうか。

    2.事後立法の危険性
    ネパール国王は,90年憲法第31条により,訴追されない。King can do no wrongなのだ。国王主権であれば国王=法だし,立憲君主制なら法的責任は助言者にある。そのような国王を訴追するとなると,事後立法により国王訴追法のようなものをつくり,国王の法的責任を問えるようにしなければならない。

    事後立法による訴追・処罰の方法は,人道に対する罪などで利用され始めているが,これは劇薬であり,よほど慎重にやるべきだ。叱られるかもしれないが,私としては,行為時に犯罪と法定されていなのであれば,たとえ百人殺そうが千人殺そうが,法律によっては処罰できない,とするのが正しいと思う。法的正義は,それほど厳しいものであるはずだ。

    私たちの生活の安全は,事後立法禁止,罪刑法定主義,刑罰不遡及の原則によって守られている。よほどのことがない限り,この法的正義は否定されるべきではない。

    3.政治的責任を問え
    しかし,国王には,政治的責任はある。日本国天皇とちがい,ネパール国王には90年憲法により多くの政治的権限が与えられている。それらについても,もし第35条規定の「内閣の勧告と助言」に全面的に従っておれば,責任はすべて内閣にあったはずだが,国王は35条を無視し,2005年2月以降,自ら「内閣議長」となり,行政権を行使した。したがって,国王は政治的責任を免れない。

    日本国天皇も戦争責任を問われ,主権者たる「現人神」から日本の単なる「シンボル」に降格された。ネパール国王には,どのような政治的責任を問うべきか? それは,もちろんネパール国民が決めることだが,これまで私は次のような責任の取り方を勧めてきた。
     (1)ギャネンドラ国王とパラス皇太子の退位。
     (2)国王の政治的権限をすべて否定し,完全な象徴にする。
     (3)王室の極小化
     (4)王室財産の国有化
    国王が自らこのような責任をとるのが最善だが,もしそれが出来ないなら,議会が憲法を改正し,施行すればそれで済むことだ。微妙なところだが,90年憲法には――

    第3条(主権)ネパールの主権はネパール人民にあり,この憲法の規定に基づいて行使される。

    と明記されている。革命などしなくても,90年憲法のもとでネパール人民は上述のような改革を合法的にやれるはずなのだ。

    4.ラヤマジ報告の権威?
    このような法的責任と政治的責任の区別が,法的(屁)理屈大国ネパールの法律家代表ラヤマジ委員長に分からないはずがない。オリジナル・テキストは見ていないが,カンチプルによると,報告書は「国王としてではなく,国家元首としてのギャネンドラ国王」を訴追せよと要求しているという。法律家の良心が,こんな苦しい言い訳をさせたのだろう。

    そして,その上で,報告書は「人民の要求に従うもの」と述べ,訴追要求が法律によるものでなく,「人民の意志」によるもの,つまり法治主義の放棄であることを平然と宣言している。

    情けない。法律家たるもの,たとえ2千6百万人が反対しても,一人のために法律を守るべきだ。「法の支配」を放棄し,「人民の意志」に追従するような者は本物の法律家ではない。

    5.改良か革命か,合法性か正統性か
    むろん,2006年春の蜂起を「革命」にするつもりなら合法性よりも正統性(Legitimacy)を優先せざるをえない。

    イギリス革命でチャールズ1世の首をいかにもイギリスらしく伝統に則り斧で切り離したのも,フランス革命でルイ16世以下おびただしい数の反革命分子をいかにもフランスらしくギロチンで合理的に効率よく切り落としていったのも,法律によってではなく,正統な「人民の意志」によってであった。

    2006年春蜂起を「革命」にするのであれば,正統性は人民に移ったと見るのだから,国王を処刑しようが国外追放にしようが,すべて正当である。

    ネパール政変が,こんがらがって分かりにくいのは,合法的改良なのか革命なのかが,いつまでたってもはっきりしないからである。中間形態があっても,もちろんかまわないが,それには分かりにくさがつきまとう。

    6.HLPCの分裂
    こうした状況は権力エリート間の意志の不統一から来ており,それはHLPC自体の深刻な分裂をももたらしている。2分裂したHLPCによる報告書が,本当に実行されるかどうか,今のところ何ともいえない。

    HLPCは5人の委員から構成されているが,その内の2人(Ramkumar Shrestha & Kiran Shrestha)が報告書に強硬に反対,別の報告書を提出するのだという。3:2では,ラヤマジ委員長報告書の権威はがた落ちだ。

    と言うわけで,1184ページもの膨大なネパール的報告書もスゴイし,3:2のネパール的意見分裂も興味深い。ネパールはやはり混沌の世界。面白いが,分かろうとしても分からない。そこがまた面白い。

    * "HLPC submits report to PN. recommends action against 202," eKantipur, Nov.20
    * HLPC: formed in May 5 2006; Krishna Jung Rayamajhi (chairman), Harihar Birahi, Ram Prasad Shrestha, Ram Kumar Shrestha, Kiran Shrestha