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11/11/2009 動物供犠祭への政治介入:動物権利擁護派の偽善性谷川昌幸(C)
ヒンドゥースタン・タイムズ(Nov9)によると,バラ郡バリヤプールで5年に一度開催されるガディマイ・メラ(11月24~25日)は,約50万頭の動物を犠牲にささげる世界最大の動物供犠祭であり,500万人ものヒンドゥー教徒がお参りに来るという。
お祭りでは,水牛,山羊,アヒル,鶏,鳩などがガティマイ女神の前で犠牲に捧げられる。最近は,供犠禁止となったインド諸州からの参拝者が増え,供犠動物の数も増加しているという。
水牛や山羊の比率はわからないが,50万頭も供犠されるとすれば,ガディマイ女神の前は血の海となるにちがいない。それは,生命への畏敬と感謝の念に満ちた粛然たる情景であろう。
動物供犠は,他の動植物の生命の犠牲により日々生かされていることを思い起こし,他の動植物に感謝するための神聖な宗教儀式である。それは,死によって生かされている人間存在の原罪を告白し,赦しを乞い願う道徳的にも崇高な人間の行為である。
ところが,ヒンドゥスタン・タイムズ紙によると,このガディマイ祭に対し,動物権利擁護派が反対運動を繰り広げている。たとえば,インドの政治家マネカ・ガンディ氏らは,ネパール首相に抗議文を送り,ネパール政府がガティマイ祭に介入し動物供犠を止めさせるべきだ,と要求した。
こうした,主に西洋・インドからの圧力に対し,ネパール政府は宗教儀式への政治介入をきっぱり拒否した。ビム・ラワル内相は,参拝者の安全を守るため,警備要員の増員を約束したにすぎない。
このネパール政府の判断は,全面的に正しい。動物権利擁護派は,政府に圧力をかけ,国家の力で神聖な宗教儀式を止めさせようとしている。いくら西洋が非難しようと,そんな理不尽な要求に耳を傾ける必要はみじんもない。あえて叱られるのを覚悟でいうならば――
恐れおののきながら粛然と神の前で動物供犠をする人々と,愛玩犬に服を着せリードをつけて散歩している人本主義的・世俗的現代人を比較してみよ。どちらが生命に対しより真摯であろうか? どちらが,動物を本当に大切にしているであろうか? 動物供犠を非難する動物権利擁護派は,生命への畏れも,人間存在の原罪性にも無自覚な脳天気な偽善者である。
参照 2009/03/22 血みどろのゴルカ王宮 10/16/2009 ヒンドゥー教からの改宗:インド谷川昌幸(C)
今日の朝日新聞記事「さらばヒンドゥー教・インド最下層で相次ぐ改宗」は,ネパールにとっても示唆的だ。筆者は武石英史郎記者。
記事によると,インドでは,下層カーストの仏教やキリスト教への改宗が増えている。
仏教への集団改宗を指導しているのは,佐々井秀嶺師。師自身が立ち会った改宗者がすでに300~400万人,全国だと1億人以上だという。途方もない数字だが,ネパールにおける仏教興隆の勢いをみても,十分考えられることだ。
キリスト教はまだ表に出にくく,かなり多くが「隠れキリシタン」となっているらしい。VHPによると,6千万人以上らしい。これもたいへんな数字だ。
では,この流れにどう対処するか? RSS(民族奉仕団)やVHP(世界ヒンドゥー協会)が反撃に出てコミュナル紛争が激化するおそれがある。ネパールにとっても,他人事ではない。難しい問題だ。 9/9/2009 インドラ祭と的外れマオイスト谷川昌幸(C)
1.ヒンドゥー教王国のインドラ祭
インドラ祭は,ネパール統治を宗教的に権威づけるための「祭事」の色彩が濃かった。歴代シャハ家国王たちは,この「祭」を(事実上)主催することにより自らを権威づけ,ネパールの「政(まつりごと)」を執り行ってきた。まさにインドラ祭こそが,ネパール神権政治(theocracy)の頂点に位置するものだったのである。
そして,民主化運動Ⅱ以前のネパールはヒンドゥー教国家であったから,国王がインドラ祭に(事実上の)祭主として臨席し,タレジュ神化身としての生き神様クマリやガネーシュ神,バイラブ神を拝礼し,祝福を受けても何ら問題はなかった。むしろ,国王はヒンドゥーの神々の守護者であり,神々によって祝福されて当然だったのである。
*クマリについては,V.マッラ(寺田鎮子訳)『神の乙女クマリ』1994年参照。
インドラ祭山車3台。クマリ用は手前
2.世俗国家とインドラ祭
ところが,ネパールは民主化運動Ⅱの成功により世俗国家となった。もはや神権政治も祭政一致も許されない。政治と宗教は分離されなければならない(政教分離の原則)。
したがって,大統領や首相,大臣らは,原理的にインドラ祭には参加できない。インドラ祭は,宗教儀式ではなく社会的習俗だという反論もあろうが,どうみても,この議論は無理だ。インドラ祭は,靖国神社例大祭以上に宗教的である。
3.インドラ祭拒否のプラチャンダ首相
昨年(2008年)のインドラ祭には,ヤダブ大統領とジャー副大統領は出席したが,当時首相であったプラチャンダ氏(マオイスト議長)は欠席した。
このプラチャンダ首相のインドラ祭出席拒否を,私は高く評価する。さすがマオイスト,唯物論者としての筋を通したのだ。
4.神権政治復帰のインドラ祭
ところが,今年のインドラ祭には,大統領,副大統領,MK.ネパール首相,諸大臣,高級官僚らが,雁首そろえて出席した。下図を見よ。かつての国王が大統領に代わっただけで,「祭=政」の構図は何ら変わっていない。
とくにけしからんのがMK.ネパール首相。国家統治の最高責任者のくせに,そして共産党の党首にしてバリバリの共産主義者のはずなのに,どうしてこんな少女虐待宗教儀式に出席できるのか? 生き神様クマリを礼拝する唯物主義共産主義者――まるでマンガだ。
インドラ祭臨席の大統領閣下と首相閣下(写真はnepalnews.comより)
生き神様クマリと,ティカ(祝福)をうけた大統領。(写真はRising Nepal, Sep.8より)
5.センスの悪いマオイスト抗議活動
このインドラ祭に向かう大統領,首相らに対し,マオイスト系の「ネワ民族解放戦線」が激しい抗議活動を繰り広げた。これを聞いて,私は当初,てっきり政府高官たちの宗教行為への抗議だと思った。それなら正義は原理的に解放戦線の側にある。
ところが,そうではなかった。彼らマオイストは,軍に対する文民優位(civilian supremacy)の確立を求め,カトワル前参謀長を擁護した大統領らに抗議していたのだ。これはもちろん,一つの大きな争点ではあるが,ここで持ち出すのは,あまりにも場違いである。
彼らの眼前では,いままさに迷信的神権政治が行われようとしているではないか? どうして,これを攻撃しないのか? ここを攻撃すれば,マオイストは必ず勝てるのに,なぜそれを忌避するのか? 政治的センス,悪いなぁ。
それとも,彼らマオイストもヒンドゥーの神々を恐れているのかな? みっともない話だが,ひょっとすると,そういうことかもしれない。 8/5/2009 布教の自由と責任谷川昌幸(C)
今朝,いつものようにekantipurを開いたら,言語戦争記事のど真ん中に,ど派手なサイエントロジーの宣伝。私にはサイエントロジーの知識はほとんどないが,一種の宗教ではあろう。国家世俗化後,このサイエントロジーの宣伝が激増し,これはいくら何でも無神経だ,と非宗教的な私にさえ気になっていた。自由は規制があってはじめて自由たり得る。布教の自由は,規制(規則)なくしてはありえない。
ネパールでは,国家世俗化により,国家は宗教を政治的に規制しないことになった。しかし,これはどんな布教活動をしようが自由だ,ということではない。どんな布教活動でも許されるのなら,金持ち教団はマスメディアを買収し,文化も無視し,自由に布教してよいことになる。そのような自由は,強者の自由であり,本当の自由ではない。
もちろん,ヒンドゥー教の方も,主にインド方面からテレビ,ラジオをつかって盛んに宗教活動をしている。非ヒンドゥーの人々には,これは苦痛かもしれない。また仏教の場合も,平和省など,いくつかの国家機関により政治目的で盛んに利用されている。あるいは,逆に言えば,仏教が国家世俗化に乗じて,政治を布教に利用し始めている。これは許されない。
このように,他の宗教についても問題はあるが,それらを考慮しても,サイエントロジーの布教方法は限度を超している。
これは,第一義的には,マスメディアの責任である。言論機関は社会の神経,社会の木鐸であり,したがって他の機関にない大きな自由が認められている。この自由は,言論機関がその自由を社会のために公平に使用するという信頼のもとに認められている。自由を公的に使用する,という責任だ。言論機関がこの責任を放棄すると,必ず政治が言論に介入してくる。布教も公平の観点から行わないと,政治的介入を招く。
カンチプールには,サイエントロジーに提供したのと同じスペースを,ヒンドゥー教や仏教やイスラム教や無宗教主義などに提供する覚悟があるのだろうか? もしそうでないのなら,このような言論機関の自殺行為のようなことは止めるべきだろう。
サイエントロジーの宣伝。「言語戦争」記事のど真ん中に,どぎつい言葉を連ね,表示される。無神経といわざるをえない。(ekantipur, Aug.5) 7/9/2009 ハーバーマスとポスト世俗化国家(2)谷川昌幸(C)
3.ハーバーマスとラッツィンガー
この本の原題は『世俗化の弁証法――理性と宗教について』であり,理性(世俗知)と信仰をいかに対話させ相関させるかが,それぞれを代表するハーバーマスとラッツィンガーにより議論されている。
ハーバーマス(1929-)は,ドイツの哲学者でフランクフルト学派第二世代,著書に『公共性の構造転換』(1961),『コミュニケーション的行為の理論』(1981),『事実と妥当性』(1992),『他者の受容』(1996)等がある。2004年,「京都賞」受賞。リベラル左派の代表的理論家。
ヨーゼフ・ラッツィンガー(1927-)は,ドイツの神学者,大司教・枢機卿(1977-),1981年からバチカンの要職歴任,2005年4月教皇に選任され,ベネディクト16世となる。カトリック右派保守派。
この現代を代表するリベラル左派のハーバーマスと,カトリック右派のラッツィンガーが,2004年1月19日,「世俗化」について討論をした。この本は,そのときの両者の冒頭講演である。
この討論は,注目すべき出来事であった。現代を代表する哲学者と宗教指導者は,なぜ「世俗化」をめぐって討論するにいたったのか? この間の経緯については,私にはまったく知識がないので,本書「訳者解説」により,要点を紹介しておこう。
4.世俗化と市民社会
ラッツィンガーは,カトリック右派ながらも,教会の政治参画を説き,教会改革を進めた。ラテンアメリカへの布教について,彼はこう批判している。(以下,引用は「訳者解説」より)
「ひとつ前の世代ならば、ポール・クローデルがしたように、クリストファー・コロンブスを血まみれの偶像の神々から南米を解放した存在とするドラマを書くこともできた。キリスト教の人間性を通じて人類の統一へいたる道として、……描くことができた。ところが今日、南半球へのヨーロッパ人の侵入を、誰がこのように描く勇気を持っているだろうか。少なからぬ人々が、逆のほうがよかったのではないか、ヨーロッパをキリスト教から解放し、その真理信仰に依拠する支配要求から救い出すという逆のかたちがよかったのではないか、と考えている。そこまで思いつめない者でも、スペインによる土地の収奪は、暴力による抑圧の歴史、物欲と残虐の歴史としか見ることができないであろう。そして、その歴史は、多くの偉大な宣教師たちの敬虔な奉仕によっても埋め合わすことができないと思っている。……ヨーロッパはコロンブスのあの運命的なアメリカへの航海以来、拡大し、アメリカでまたしても自己を誇示した。それは、アメリカにとって、そしてヨーロッパにとって祝福だったのだろうか、呪いだったのだろうか。祝福と呪いの決算書を作り、相互に比較するのは難しいことであろう。ヨーロッパ中心主義はその馬鹿げた自信のゆえに、アフリカとアジアであまりにも多くを踏みにじり、破壊した。ヨーロッパ中心主義を繰り返すべきでないという警告は、いずれにせよ、ヨーロッパに重くのしかかっている。」(p58-59)
ラッツィンガーは,カトリック教会内部から,このような厳しい反省の下に,人権と民主主義,そして憲法を重視し,異なる立場の人々の関係をいかに構築するかを考えてきたのである。
カトリック教会は,もともと反人権的,反民主的であった。教皇庁は,ナチスと「協定」を結び,ユダヤ人虐殺を黙認してきた。戦後,ハーバーマスはそれを批判したが,カトリック教会やドイツ世論は反共主義にこり固まり,教会弁護に回った。カトリック教会は,アイヒマン,メンゲレらユダヤ人虐殺犯の国外逃亡の手助けさえしている。教会は人権や立憲主義に反対だったのである。
そのバチカンが「人権」を認めたのは,1963年の回勅「地上の平和」においてだった。一方,社会問題については,19世紀末から「人間の尊厳」を認め,そのための国家福祉政策を唱え始めていた。このカトリック社会理論は,民主主義的なものではなかったが,戦後,西ドイツ建国と,そこにおける大幅な社会参加の実現に寄与することになった。
1960年代入ると,キリスト教左派が台頭し,カトリック教会のあり方に根本的な反省を迫るようになった。1962-65年第二バチカン公会議は最終文書「人間の尊厳」により「良心の自由」,「信仰の自由」を認め,教会は国家との結合をゆるめ,「市民社会の制度」へと変化し始めた。他宗派,他宗教への敬意が表明され,貧困などへの取り組みも重視されるようになった。
カトリック教会における国家「世俗化」は,このように,国家と宗教の分離を意味し,教会は「市民社会の制度」となることを意味する。これは教会再生への道であった。国家との結びつきから解かれた教会は,それ故にかえって「市民社会の制度」として公共の議論に積極的に参加し,人権や民主主義のために政治的影響力を行使できるようになった。
「70年代以降,民主化に成功した30あまりの国々の三分の二は,カトリック信者が大多数を占める。」(p87)
「要するに宗教が、公共の世論の場における一定の役割を、しかも古典的な意味では非宗教的な問題を論じることで果たすようになっている。『宗教の脱私事化』とカサノヴァが名づける現象である。そしてこの現象は、デモクラシーの深化とともに生じてきた。こうして宗教は、時に伝統的な生活世界の擁護者の役を引き受け、時には、国家と市場の全面的浸透に対する抗議者の立場をとり、いずれの場合にも共通善を、しかも必ずしも宗教色を持たず、そのつど議論によって確認しうる共通善を基準とするようになる。」(p102)
ここにいたって,カトリック教会は「市民社会における公共性」を説くハーバーマスに接近し,対話ができるようになった。少なくともこの点では,両者の位置は,かなり近いといえる。
しかし,宗教の側の議論と,哲学の側の議論とでは,決定的に相容れない部分が残る。「訳者解説」はその点についても論究しているが,ここでは、ハーバーマスの議論を検討したあとで,改めてその問題について考えてみることにする。 6/29/2009 コミュナリズムの予兆(7)谷川昌幸(C) 7 コミュナリズム(宗教対立主義)は,南アジアでは,日本では想像もできないほど深刻な問題であり,今回の教会爆破事件についても,盛んに議論されている。この場合,人々の本音がよりよく分かるのは,新聞記事などよりも,むしろ投稿やブログなどである。たとえば,Republicaブログのデワカル・チェットリ「教会爆破犠牲者」記事についての投稿は,6月29日現在,33通に上る。チェットリ氏か編集部が多少取捨選択しているのだろうが,なかなか水準が高く,しかも本音がストレートに語られており,興味深い。以下に,典型的なものをいくつか紹介する。(紹介文は意訳。RepublicaはややNC=ヒンドゥー教寄りの新聞。) ■5/29 vivek rai 何も悪いことをしていないのに爆殺するのは,許し難いことだ。これは,わが国が宗教対立に向かう兆しだ。イラクやパキスタンのようになってはならない。 ■5/31 kanagawa(神奈川) このネパール教会の惨事は,この国で進行している根深い問題――強制的改宗と金銭による改宗――を表面化させた。多くの宣教師団が政党を買収し政策を変えさせた。この国のヒンドゥー教徒や仏教徒は一般に寛容で誰にでも好意的であるのに,露骨なキリスト教福音伝道がその彼らを激怒させはじめた。いまでは彼らは,宣教師団が彼らの優しさにつけ込み,この国の古来の文化を公然と掘りくずしている,と感じている。 ■6/2 Johan 国内で起こっている混乱の最後のものが宗教的不寛容だ。わが国は世俗国家を宣言したが,それで生活がどう変わったのか? 教会やモスクのような宗教寺院に爆弾を仕掛けるのは,残念ながら,ヒンドゥー教社会の外部社会に対する宗教的不寛容を示すものだ。こんな事をしても,ネパール国民の直面する危機の解決にはならない。皆で協力し,この国の社会的,経済的,宗教的向上に努力しようではないか。 ■6/2 Aryan ヒンドゥー教は,兄弟や姉妹が数千ルピーでキリスト教に誘い込まれるのを座視するほどに,寛容であった。神聖な寺院の爆破は言うまでもなく反人間的ではあるが,しかしキリスト教会も,彼らの改宗政策がヒンドゥー教活動家を攻撃的にしてしまったことを反省すべきだ。 ■6/3 Prabhakar 私は20年以上前にカトリック信者になったあとも,ヒンドゥー教徒,仏教徒,イスラム教徒を尊敬し,彼らの近くで生活してきた。教会は,私が知る限り,他宗教からキリスト教に改宗させるため,人々に金銭を与えるような政策は採っていない。残念ながら,ある種の経済的利益を理由に宗教を変える人が何人かいることは事実だ。しかし,だからといって,このことの故に教会が非難されるべきではない。教会は,イエスとその教えを宣べ伝えている。そこには何の問題もない。それに,私自身,子供の頃は,マハバラータやラーマヤーナを観て楽しんでいた。相互理解すれば,宗教の調和は実現する。もしそうでなければ,われわれ全ては,破滅だ。 ■6/3 Aryan プラバカルさん,多くの人々,とくに下位の人々がキリスト教に釣られていく実例は多数ありますよ。キリスト教の(まるで商品販売のような)訪問販売員がたくさんいます。週末に家に居ると,彼らが訪れ,キリスト教へと勧誘する。皮肉なことに,彼ら自身はキリスト教のことなどよく知りもしないのですが。 ■6/3 Hutali(独) キリスト教宣教師団系の学校や病院に行けば,露骨な改宗勧誘とは何か,なぜ地域住民が怒っているのかが,よく分かる。子供たちは,自分の育ってきた寛容の文化の否定を教えられ,洗脳され,改宗させられる。患者たちは,病気は宗教のせいだとあからさまに告げられ,治りたければキリスト教に改宗せよと迫られる。宗教的調和とは,そんなものなのか? それは,寛容を本質とするヒンドゥー教文化・仏教文化の露骨な搾取にほかならない。 いったいなぜ,これらの狂信的宣教師たちは,かくも他者の改宗に熱心なのか? 彼ら自身がワナに誘い込まれてしまったので,「救い」を得るため,同じワナに他の人々をもっともっと誘い込まざるを得なくなったのか? 西洋の教育ある人々は,ヨガ,ヴェーダ,アーユルヴェーダ,仏の教え,そして,一般に,ヒンドゥー教や仏教の教えがもたらす内面の幸福を発見し,それらに傾倒しつつある。宣教師たちは,キリスト教へのこの関心の喪失を埋め合わせるため,教育のない人々を捜し回っているのではないか? 宣教師たちは,本来寛容であった社会に社会的対立の種をまいているのだ。 ■6/4 John 結局,改宗が生活向上をもたらすなら,そうしてなぜいけないのか? 当人が決めればよいことだ。それはいけないと思う人は,強制ではなく,説得を試みればよいのだ。 ■6/4 Prakash キリスト教伝道に対し立ち上がらなければ何が結果するかを見よ――ラテン・アメリカだ! インカのような素晴らしい社会があったが,宣教師たちに対し寛容でありすぎた。ラテン・アメリカのほぼ全ての地域は,完全に自分たちの宗教を失い,文化を失い,生活を失い,結局,自分たちの言語すらも失ってしまった。手遅れになる前に,よく監視せよ! ■6/11 Arun 世俗主義は,国家が宗教と結びつかず中立である,ということを意味する。世俗主義だからといって,宗教が金銭や影響力や力でもって出来ることは何でも自由にしてもよい,ということではない。他国社会の感情を害する行為や活動は,許されない。また,世俗主義は,自由な同意による改宗を意味するわけでもない。改宗させることは,過去・現在・未来において犯罪である。ネパールで一般的な哲学は,広義のヒンドゥー教と仏教だ。その意味で,われわれはみなヒンドゥー教徒であり仏教徒である。もしそのような宗教的平安を乱すなら,教会爆破のような事件は今後も続くだろう。ネパール版BJP,RSSが出現する。選択はわれらにある。 ■6/13 Binod 教育がない者がキリスト教に改宗すると考える人々は,最も無知で最も不寛容な人々だ。カースト制の中でしか,ものを考えられない。下位カーストの人々は,自分たちのように知的ではないと思い込んでいる。南アフリカ黒人が解放されたように,下位カーストにもその時が来るだろう。 ■6/14 Kasama ネパールでは,教育のないのは,下位カーストだけではない。教会は,カースト制を道具として利用し,自分たちの優越性を示そうとする。西洋での人種差別と同様,ネパールでもカースト制は違法だ。カースト制は存在するかもしれないが,それを布教に利用することは出来ないはずだ。今日の西洋では,教会こそがゲイや移民や世俗主義に不寛容であり,はるかに差別的だからである。 ■6/15 Subba いずれにせよ,選択するのは,あなただ。誰も,教会やモスクや寺院に行くことを強制できない。あなたが選択し,よいと思った道を進めば,それでよい。 ■6/15 Concerned Nepali 教会を爆破した人々は,口実さえあれば,明日にでも寺院を爆破するだろう。それなのに,いったい誰を非難しようとしているのか? イスラム教徒か,ユダヤ教徒か,キリスト教徒か? 爆破の理由は,政治的なものであって,それ以外の何ものでもない。 ■6/15 Binod キリスト教の核心は,人は自由な存在であり,神ですらそこには介入しない,という点にある。だから,ネパール人たちがキリスト教を選ぶなら,それは彼らが望むものを選ぶ権利を持つからであり,それは西洋人が彼らの選ぶ宗教を選ぶのと何ら変わりはない。もしアメリカ人がヒンドゥー教徒になっても何ら問題がないとすれば,ネパール人がキリスト教徒になることを,なぜそれほど恐れなければならないのか? 8 以上の投稿を読むと,キリスト教布教問題についての論点がほぼ出され,議論されていることが分かる。難しいのは,キリスト教会側にも反教会側にも,もっともな言い分があるからだ。一刀両断とはいかない。また,この問題は,「kanagawa(神奈川)」という名の投稿があるように,日本とも無関係ではない。投稿が日本人かどうかは分からないが,日本の教会がネパールに相当深くコミットしてきたことは,たしかである。異宗教・異文化社会への布教の問題は,日本の問題でもある。 むろん,どのような社会も固定したものではなく,他社会との関係の中で多かれ少なかれ変化していく。ヨーロッパもインドも日本もそうだ。その変化は,21世紀の現在において,どうあるべきか? これは,ヒンドゥー教社会の側も,そこに入りつつあるキリスト教会の側も,よく考えるべきだろう。 そうしないと,このままでは本格的なコミュナル紛争となり,自爆攻撃が始まり,悪循環が止められなくなり,ネパールは長きにわたって塗炭の苦しみを舐めることになりかねない。 http://myrepublica.com/blogs/blog/2009/05/26/sunmaya-didi/ 6/27/2009 コミュナリズムの予兆(6)谷川昌幸(C)
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このカトリック被昇天教会爆破に対する抗議行進が,5月31日,カトマンズなど,全国で実施された。(UCAN=Union of Catholic Asian News, June 2)
カトマンズ行進を呼びかけたのは,Isu Jung Karki牧師。あいにくの豪雨にもかかわらず,カトリック3000人(3教区),プロテスタント4000人(150教会)の計7000人が参加した。ちなみにキリスト教徒は150万人,そのうちカトリックは7500人(2009年)。 このカトマンズ抗議行進には,ヒンドゥー教徒やイスラム教徒も参加していた。
大惨事後の行進であったが,キリスト協会側の抗議は抑制されたものであった。また「世界ヒンドゥー協会・ネパール」のDamodar Gautam会長やイスラム教指導者のNazarul Hussain氏も,事件後直ちに,この爆破を非難し,キリスト教徒との連帯を表明していた。
しかし,それにもかかわらず,爆破事件に対する教会側の発言や抗議行進が「政治的」色彩を帯びることは,避けられない。いくつかの発言を見てみよう。
■S.ボガティ神父(被昇天教会)
「なぜ攻撃されたのか分からない。ネパールのカトリック教会は社会のためになることを常に行ってきた。われらは,どのような集団や社会の感情をも決して害するようなことはしてこなかった。」(UCAN, May 25)
■A.シャルマ司教(被昇天教会)
「ネパールのカトリック教会は,貧者や救いの必要な人々のために奉仕してきた。教会が攻撃される理由はなかった。礼拝の場は常に敬意を払われ,決して攻撃されてはならない。・・・・行進はキリスト教諸派や他宗教の人々の間に統一があることを示した。」(UCAN, June 25)
■レプチャ氏(カトリック教徒)
「[ヒンドゥー教過激派は,ネパールのカトリック教会の自制的な態度を利用してきた。]この行進は,カトリック教会は暴力攻撃を許さないこと,教会の諸権利を守るため立ち上がることを知らしめた。」(UCAN, June 25)
■J.カルキ牧師(プロテスタント)
この抗議行進は「行われるべきもの」であり,「世俗国家に反対する人々への当然の応答」である。(UCAN, June 25)
以上の発言は,抑制されたものである。しかし,宗教問題が難しいのは,そうした発言であっても,敵対者には,許し難い自己正当化と取られてしまうことだ。
「貧者や救いの必要な人々への奉仕」それ自体が,無神経な傲慢発言とされかねないし,「ネパールのカトリック教会の自制的な態度を利用」や「教会の諸権利を守るために立ち上がる」は,攻撃的本性の暴露とさえ映るだろう。
ましてや,「世俗国家に反対する人々への当然の応答」ともなれば,その政治性は明白である。キリスト教会が,布教拡大のため「世俗国家」擁護の政治運動を始めた,と取られてしまうのである。
あるいは,次のような報道もある。 「カトリック筋によると,NDAは元兵士,元警官,マオイスト・ゲリラ犠牲者から構成されていると考えられている。NDAは,共産主義者・キリスト教徒・イスラム教徒と戦うため自爆攻撃の訓練をしてきたという。」(BonsNewsLife, June 13)
この「カトリック筋」が誰かは分からないが,UCAN(June 1)がこの内容の記事を掲載しているので,カトリック側の発言には違いないだろう。
NDAが自爆攻撃を準備している,というのは本当かもしれない。しかし,キリスト教会側が,それを言い出すと,歯止めが利かなくなる。
ブッシュ政権は,自爆攻撃への反撃をアフガンにおける「十字軍の戦い」と呼び,イスラム圏の猛烈な反発を招いた。驚いて「不朽の自由作戦」と変更したが,もはや後の祭り,アフガン戦争はキリスト教侵攻に対するイスラムの聖戦という見方が広く深く浸透してしまった。アフガン戦争の泥沼化の根本的な原因の一つであろう。
繰り返すが,NDAや他の反キリスト教諸集団が,自爆攻撃を準備しているのは,本当かもしれない。もしそうなら,それにどう対処すべきなのか?
自爆攻撃が人権否定であり絶対に許せないことは言うまでもない。しかし,その一方で,人々を自爆攻撃にまで追い詰めたのは,一体何であったのかも,よく考えてみる必要がある。
キリスト教会は,ネパールの人々の気持ちを害するようなことはしていない――本当に,そういいきれるのか? イエスは「心の貧しくあること」を教えた。キリスト教会は,そのイエスの教えに忠実であったのか? 難しいことだが,ネパールの人々の側に立ってみて,いま一度,教会の布教のあり方を反省してみることも必要なのではないだろうか? 6/25/2009 コミュナリズムの予兆(5)谷川昌幸(C)
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キリスト教改宗者の激増(2009年度キリスト教徒数150万人ともいわれている)や世俗国家への転換を背景に,5月23日(土),キリスト教会爆破事件が発生した。詳細は分からないが,概要は次の通り。
爆破されたのは,パタンの「カトリック被昇天教会(Assumption Church)」。この教会は,1951年にSt Xaviers Schoolを設立し運営してきたイエズス会の流れをくむネパール初のカトリック教会。1992年に教会として公認され,建物(パタン・ドービガート)は1996年に完成した。ネパール最大のカトリック教会。
爆破された被昇天教会 / 教会はパタンの高級住宅街にある(グーグル地図)
5月23日午前,被昇天教会ではミサが開かれ,約300人が出席していた。9時15分頃,圧力鍋爆弾が爆発,インド国籍の3人の女性(15歳,20歳,35歳)が死亡し,13人が負傷した。
警察発表では,実行犯は,シータ・タパ・シュレスタ(27歳)。彼女は「ヒンドゥー教国家護持委員会」メンバーで,ヒンドゥー教国家復帰を訴えていた。警察は彼女が爆破を自白したと発表している。
爆破については,「ネパール防衛軍(NDA)」が犯行声明を出した。NDAは,昨年,ビラトナガルでモスクや教会を爆破し,カトマンズでもあちこちを爆破している。昨年のダーランでのジョン・プラカシ師の殺害もNDAとされている。NDAビラには次のような脅しさえある。
「キリスト教徒100万人は国から出て行け。もし出ないなら,すべてのキリスト教徒の家に100万発の爆弾を仕掛け,みな爆破してやる。」
以上は,あくまでも警察発表である。つじつまは合っているが,合いすぎていて,どこまでが事実か,疑念も残る。
しかし,シータが実行犯かどうかなど,まだわからない点も多いが,少なくともNDAのようなヒンドゥー教原理主義集団があらわれ,各地で活発に活動し始めたことは事実のようだ。 6/23/2009 コミュナリズムの予兆(4)谷川昌幸(C)
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宗教が外から入ってくる場合,在来宗教と純粋に信仰のレベルで競争することはまずない。神々は,内面的な信仰の世界よりもむしろ,外面的な世俗世界で覇権を争う。
山本忠義(C.Perry)氏によれば,マッラ王朝時代,カプチン会修道士たちは,カトマンズ盆地で無料医療を提供し,ジャガジュ・ジャヤ・マッラ王も受診し,謝礼として住居を提供した。バクタプルやラリトプルでも同様であった。
「礼拝部屋が設けられ,医薬品が人々に近づく手段に用いられ,何千という重病の幼児や子供が洗礼を受けた。・・・・信仰者の多くはネワール人の土地なし農民で,神父たちは彼らに土地を買い与えた。」(p152)
ラナ家専制の時代には,ダージリンや印ネ国境付近で,ネパール布教活動が続けられた。
「インド北東のアッサムからネパール極西部のダルチュラに至るキリスト教の学校にはネパール人の生徒が見られた。・・・・/また,多くのハンセン病患者が治療を求めて国境を越え,チャンダグ高原やカリンポンのハンセン病ミッション病院を訪れた。・・・・/その他の医療宣教活動も多くのネパール人の生活に触れた。巡回クリニックや,国境に点在する病院や施薬所などである。巡回クリニックは定期的に国境地域を巡回し,医学と福音伝道を結びつけた。」(p158)
ボジラジ・バッタ牧師もこう述べている。
「(開国後)宣教団が社会開発援助団体としてネパールに入り始めた。その際,各団体はメンバーの地元民布教活動を厳禁するという文書をネパール政府に提出させられた。彼らは,医者,技術者,社会活動家としてのみ,入国できた。もし違反すれば,外国人は即時国外退去,ネパール人は厳罰に処せられた。もしヒンドゥー教徒や仏教徒に布教し改宗させたら,ネパール人は7年以下の投獄であった。」Bhojraj Bhatta, "Impact of Missionaries and Native Missions in the Present Reality of the Church in Nepal," May 2009 ( http://nepalchurch.com/content/view/285/28/)
このように,キリスト教が途上国に入っていく場合,圧倒的に優位な富と科学的知識(近代知)が,どこでも神の行く道の露払いをしてきた。長崎でも,幕末維新に西洋からキリスト教諸派が殺到したが,その布教の武器もいうまでもなく富と科学的知識であった。
たとえば,僻地の外海地区に入ったドロ神父は,医療,教育,開拓,建築,地場産業育成など,まるで彼自身万能の神であるかのような働きをし,地域の人々の信望を一身に集めた。ドロ神父は,いまでも「ドロ様」として敬愛されている。
ドロ神父は立派なキリスト者であり,誠心誠意,無私の愛をもって貧困にあえぐ外海の人々を支援した。私ももちろん彼を深く尊敬している。
しかし,そのことと,ドロ神父が布教に富と科学的知識の力を利用したということは別の事柄である。キリスト教の神は,仏や在地の神々と純粋な宗教のレベルで競ったのではなかった。もしドロ神父に財産も科学的知識もなければ,彼がいかに神の愛を説こうが,村の人々は彼の言葉に耳を傾けなかったであろう。
これは,富や科学的知識で布教の露払いをしてはいけない,ということではない。現世利益は,どの宗教でも多かれ少なかれ説いている。神や仏を信じることで,金持ちになったり病気が治ったりしたとしても,それは何ら非難すべきことではない。人々は幸福になり,神仏のご威光も増す。
ただ,ここで注意すべきは,富や科学的知識において圧倒的に優位な側が,それらで布教の露払いをしているにもかかわらず,そのことに無自覚で,まるで自分の神と在来の神々とが,純粋に信仰のレベルで自由競争している,と錯覚してしまうことだ。
「自由」はいつの時代でも,強者の利益だ。貧者・弱者の神と富者・強者の神が「自由に」競争すれば,富者・強者の神が勝つ。イエスや仏陀ご自身は,まったく逆のことを教え,実践したが,歴史を見ると,残念ながら,彼らの教え通りにはならなかった。この歴史の逆説を,私たちは十分に自覚していなければならない。
富者や強者は,内面的な「宗教の自由」や「信教の自由」を唱えつつ,自分の神のために富や科学的知識といった外面的な世俗の力を使う。いや,富や科学どころか,しばしば軍隊をさえも使って,神の教えを宣べ伝えてきた。神や仏陀ご自身が,そんな外的な力を布教に使ってはいけないと,繰り返し繰り返し諫めているにもかかわらず,だ。
これは難しい問題だ。ウソも方便であり,現世利益が悪いわけではない。ただ,信仰においては魂の救済こそが究極の価値だという原点につねに立ち戻り,厳しく自己批判すべきだ,ということであろう。平凡ではあるが。
ネパールに話を戻すと,キリスト教会は,1990年革命により規制をゆるめられ,この数年の民主化運動Ⅱをきっかけに急成長を始めた。マノーズ・シュレスタ氏によると,クリスチャンは2006年現在で70万人以上に達したという。
(M. シュレスタ「ネパールのキリスト教」http://www3.point.ne.jp/~doushin/NEPAL/CinNepal.html)
この数字は,世俗国家宣言後は爆発的に増え,いまでは150万人(2008-9年度)ともいわれている。この信者急増がどこまで現世利益によるものかは正確には分からないが,ただそれが既存のヒンドゥー教社会にとってはたいへんな脅威であることは当然であり,事実,あちことで軋轢が生じ始めている。
ここで難しいのは,先述のように,キリスト教会の側が富と科学的知識の点で圧倒的に優位な立場にあるということである。
このことは,たとえば先に引用したボジラジ・バッタ牧師自身がはっきりと認めている。彼の「希望教会(Hope Church)」がどのような教会か,まったく知識はないが,彼のこの文章は実に恐るべき内部告発だ。ネパールで活動する諸外国の教会団体や宣教師とそれらに寄生するネパールの諸教会・聖職者の,底なしの腐敗と堕落が容赦なく糾弾されている。文章の最後は,こう結ばれている。最悪と特に厳しく糾弾されている「東洋(あるいはアジア)の宣教師たち」が日本人でないことを祈るばかりだ。
「何という皮肉か! 宣教団や宣教師(内外いずれであれ)は真理・誠実・謙虚の使徒と考えられている。しかしネパールでは,彼らは(少数の無名のものを除き)欺瞞・腐敗・傲慢の輩とされてきた! 誰も,宣教師(特に東洋の)や外国宣教団所属ネパール人など信用しはしない。彼らがネパールの地域教会に対し何をしてきたか,誰でも知っているからだ。」
(参考)2008/12/29 ネパール養子,サンタにもらわれアメリカへ 6/22/2009 コミュナリズムの予兆(3) 谷川昌幸(C)
3
ネパールへのキリスト教伝道は,かなり早い。山本忠義氏によれば,伝道略史は次の通り。
■キリスト教伝道略史
1579 イエズス会チベット・ミッションがネパールに入る。
1629 イエズス会南チベット・ミッションがネパールに入る。
1661 イエズス会神父2名。カトマンズのマッラ王と会見。
1703 チベット=ネパール・ミッション設立。
1715 ネパール・ミッション設立。カプチン会修道士2名,カトマンズ滞在し布教。1722年,カトマンズを追放され,バクタプルへ移り1731年まで布教。
1732 フランシス・ホリス神父,カトマンズにはいるが,すぐ逮捕され投獄。釈放後布教するも,1734年国外退去。
1737 バクタプルとカトマンズのマッラ王,「良心の自由令」発布。カプチン会修道士,カトマンズに戻り布教。カトマンズとバクタプルで,10~30人の教会組織。
1744 ラリトプルのプラカシ・マッラ王,「良心の自由令」発布。
1769 ゴルカのプリトビ・ナラヤン・シャハ王がカトマンズ盆地攻撃。カトマンズのマッラ王はベンガルの英軍に支援を求める。神父・宣教師らは英国スパイと見なされ,投獄。キリスト教弾圧始まる。ヨセフ神父ら57人が亡命,北インドのBettiahに入植。以後,布教禁止。ネパール人への布教はダージリンや印ネ国境付近が中心となる。
1868 スコットランド教会のW・マクファーレン,ダージリンにはいる。
1870 W・マクファーレン,東部ヒマラヤ・ミッション設立,ネパール布教の中心となる。信者数=130(1880), 2500(1900), 14000(1945)
1950年代 1951年,王政復古,開国。宣教師たちは,国王政府の改宗布教禁止を受け入れ,開発援助名目でネパール入国を始める。50年代にカトマンズ,ポカラ,ネパールガンジで教会設立。
バクタプル教会(TB・デワン牧師)
ジュッダ・サダク集会(プタリ・サダク教会,インド系)
ディリバザール集会(ギャネスワール教会,R・カルタク)
ブトワル: 1957年にショッバ書店設立
タンセン,アンプ・ピパル:ネパール合同ミッション(UMN),諸事業展開
キリスト教雑誌『友情(sangati)』発行
1960年代 Nepal Christian fellowship設立(1960)
ネパール福音伝道バンド設立(バグルン,ベニ,シッカ)
教会建立(ギャネスワール,1969;プタリサダク,1962)
ネパール合同ミッション(UMN)がオカルドゥンガ布教(1961)
夏期語学研究所設立(1966)
キリスト教青年会設立(1967)
作戦動員団設立(1968)
聖書教会委員会設立(1969)
■聖書のネパール語訳
1821 W・ケリー『ネパール語・新約聖書』サンスクリット版からのネパール語訳
1827 W・ケリー『パルパ語訳・新約聖書』
1852 英国国教会スタート師,「ルカ」と「使徒行伝」のネパール語訳。ニーベル師の改訳版(1861)
1875 マクファーレン師,聖書のネパール語部分訳
1876 スコットランド・ミッション孤児出版設立,のちゴルカ出版と改名。ダージリンから,聖書,キリスト教書,学校教科書等を配布。ネパール国内へ聖書行商。
1902 英国聖書協会,ネパール語・新約聖書出版
1914 英国聖書協会,ネパール語・新旧約聖書出版。旧約初版,4500部。
1960年代 ダージリンでネパール語キリスト教文書協会設立。キリスト教関係文書の印刷,出版,ネパール国内への配布。
1977 英国聖書協会『改訂版・ネパール語新約聖書』出版。ネパール語キリスト教文書協会が本改訂版聖書や「詩篇」,新「賛美歌集」を印刷しネパールに配布。
*山本忠義「ネパールのキリスト教伝道史(1600s~1960s)」2004 (http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/christ/asia/act2003/act_asia20031219ty.pdf)。これは,Cindy Perry, "A Biographical History of the Church in Nepal," 1989 の翻訳・要約。 6/21/2009 コミュナリズムの予兆(2)谷川昌幸(C)
2
ネパールに外から入ってきた文化は,もちろんキリスト教だけではない。そもそもヒンドゥー教からして,インドに進出してきたイスラム教に圧迫されたヒンドゥー教徒たちがネパールに移住して広めたものであり,そのヒンドゥー教がいま他宗教のネパール布教をまかりならぬ,といっても説得力はない。
あるいは,見方によれば,すべてのイデオロギーは信仰ともいえる。「人権主義」教,「民主主義」教,「資本主義」教,「共産主義」教,「世俗主義」教等々。そして,それらの「宗教」ないしイデオロギーが,ネパールの既存のイデオロギーとフェアな自由競争をしてきたかというと,決してそうではない。「人権」にせよ「民主主義」にせよ,先進国の富と力により,無理矢理ネパールに押しつけられた。決して,対等者間の自由競争ではなかった。ヒンドゥー教と「世俗主義」教をみても,「世俗主義」教の背後には先進諸国の富と力があり,決して両宗教の自由競争にはなっていない。
したがって,キリスト教だけを取り上げ,ネパールで不公平な布教活動をしていると非難することはできない。キリスト教会がキリスト教を布教するのと,国連や先進諸国が人権主義や民主主義を布教し,アメリカや日本が資本主義を布教するのと,どこが違うのか。
同じだといってしまえば,キリスト教布教に金や力を使おうが,はたまた教育や医療で庶民を釣ろうがすべて自由だということになる。先進諸国や国連は,「人権」や「民主主義」や「資本主義」をネパールに布教するため,公然とそのような手段を使ってきたからである。
この議論を論理的にスッキリ論破するのは,難しい。しかし,常識的には,やはりどこか違うような気がする。「キリスト教」「仏教」と「人権」「民主主義」「資本主義」は,いずれも「信仰」にすぎないが,後者が実現に外的強制力の使用も許されると「信じられている」のに対し,前者は許されないと「信じられている」からである。
論理的にはいかにもあやふやで,いい加減だが,一応,建前としては,宗教は神や神代替物への信仰に関わるものであり,信仰は本質的に内面的なものだから,信仰への外的強制は許されない,と「信じられている」。 もちろん,そう「信じない」宗教も多々あるが,少なくとも先進諸国や国際社会の常識では,そう「信じられている」。だから,健全な常識を持つ市民の一人として私も,信仰や布教には外的強制は許されない,という立場を建前としてとることにする。 6/20/2009 コミュナリズムの予兆(1)谷川昌幸(C)
1
今のネパールで心配なのは,政権の行方よりもむしろ,世俗国家移行に伴うコミュナリズム(宗教対立主義)の拡大だ。
最近の政治的混乱は,もちろん心配であり,昨日も述べたように,ネパールだけでなく世界にとっても混乱拡大は危険なことになりかねない。しかし,その一方,中央の政治的混乱にはネパールは慣れている。常態といってよい。これまでと同じく社会崩壊への一線さえ越えなければ,それは上部構造内の内輪もめにとどまるといってよい。
これに対し,コミュナリズムは,ネパール政治にとっては実体験のないものであり,いったん火がつくと,止められなくなる恐れがある。 ネパールの歴代為政者たちは,むろんこのことをよく知っていた。彼らは,その危険性を十二分に知り抜いていたからこそ,それをネパールに持ち込ませないよう細心の注意を払い,様々な予防措置を講じてきたのだ。
異文化,特にキリスト教にとって,こうした予防措置は,許し難いものであった。シャハ王朝が成立すると,キリスト教徒は弾圧・追放され,キリスト教は禁教とされた。この禁教は1951年の開国により解かれたが,依然としてヒンドゥー教は国教であり,抑圧が続いた。1990年民主化革命により,一応信教の自由はえられたものの,憲法には布教制限規定(第19条)が残っていたため,布教は実際には規制されていた。
こうした布教規制が,伝統的封建的社会秩序の温存に手を貸したことは紛れもない事実だが,他方では,それが途上国の多くに見られる豊穣な伝統的文化のキリスト教による圧殺や悲惨なコミュナリズム紛争を防止してきたこともまた事実である。この側面を見ず,一方的に布教の禁止や規制を非難することは,公平とはいえない。 5/24/2009 世俗化と教会爆破谷川昌幸(C)
パタンのカトリック教会が爆破され,2人死亡,15人が負傷した。これから,ネパールでもコミュナリズム紛争が激化するかもしれない。
国家の性急な世俗化(政教分離)がコミュナリズム紛争を激化させることは,周知の事実。とりあえず,以下参照。
4/29/2009 世俗主義とコミュナリズム(2)谷川昌幸(C)
4.セキュラリズムとコミュナリズム:関根説を手がかりに
(1)生活現場のヒンドゥー教
近代以前の伝統的インド社会において,宗教は截然と「宗教」として区別されることなく,他の諸活動と渾然一体をなし,生活の中で生きられていた。「聖俗一体の神聖王権下での宗教は人々の生活全体に埋め込まれたものとしてあったに違いない」(p33)。それはナンディのいう「信仰としての宗教」,つまり「政治と宗教ないし俗と聖といった二分法に立たずに人間生活全体を包括する『信仰としての宗教』」(p45)である。
植民地化,近代化,世俗化以前のインドは,このような「生活現場で生きられている宗教」,「生活現場のヒンドゥー教」の国であった。
(2)植民地支配の公的社会観
そのインドにイギリスが進出し,植民地支配を始めた。その際,問題となったのが「多様なインドの人々をどのように把握し支配構造に組み込んでいくか」(p28)であった。「結局,宗教,カースト,トライブ(部族)などを区分基準にインドの人々を分割する公的社会観が生み出された」(p28)。そして,この公的社会観の成立を契機にコミュナルな意識が覚醒ないし形成され,時と共に拡大・深化していくことになる。
「宗教の違いに基づくムスリムとヒンドゥーの分割,『高貴な野蛮人』幻想と反ヒンドゥーとの結合が生んだトライブのヒンドゥーからの分離,および4ヴァルナの理念的分類を基礎にした階層的カースト分割は,いずれも支配という超越的な立場からの分類によるアイデンティティの付与である。しかし,いったん分類されるとその内部は均質的な一義性が仮定され,さらにそれが現実に客体化して各集団の内在的視点のうちに『想像の共同体』をつくり出すことになっていく」(p32)。
(3)理性支配としての世俗主義
イギリスのこのインド社会認識およびそれに基づくインド社会再編は,西欧世俗主義(セキュラリズム)のインドへの適用であった。つまり,世俗主義が,結果として,コミュナリズムを鬼子として生み出すことになってしまったのである。
世俗主義には,二側面がある「①近代国家機構と宗教とを厳格に分離するという原則的側面と,②近代国家が複数の宗教に対して常に中立性を保持するという現実的側面とである」(p41)。
しかし,この世俗主義は,近代的理性の内部にあるものである。関根によれば,「17世紀に西欧において教会と国家とが分離していったとき,それは必ずしも反理性としての宗教と理性としての国家という対立区分ではなかった」(p29)。
理性は,「理性対反理性の全体を見定める理性」「理性的行為と反理性的行為の間の選択も理性の仕事」(p29)となる。世俗主義は,まさにこの「理性の仕事」である。そして,もし国家がそのような「理性的判断の体現者」(p29)であるなら,その国家こそが,政教分離を可能ならしめることになる。近代国家において,宗教は理性によって規定され,支配されているのである。
近代国家は,一方で,理性により世俗主義(政教分離)を選択しつつ,「理性化による進歩」のイデオロギーにより「脱宗教」を進め,民主化と経済発展を追求してきた。
しかし,関根によれば,この理性化(近代化)による無限の進歩が不可能であることが,いまや自覚され,時代は閉塞状況にある。経済成長の限界は明らかだし,民主主義も同様だ。
「個人の自由と平等を標榜する戦後デモクラシーは,その実現を未来へと遅延する仕掛けとしての進歩観によって担保されてきたのだが,それに疑いが生じたとき自ずから現実に存在する不平等や不自由が耐えられないものとして突出してくる。それはすなわち,それまで成長,進歩という右肩上がりの相対的落差を追いかけることを生き甲斐にアイデンティティを繋ぎ止めてきた現代の人々には,その進歩神話の喪失が生活実感として行き場のない不安,不満を募らせる」(30)。
その結果,世界各地でアイデンティティが問題となり,「宗教」や「民族」が復興し,対立紛争が頻発するようになった。
「事実として,デモクラシーの実現,脱宗教といった近代化の単純な見通しは今日大いに裏切られており,理性の時代の進展がかえって非理性を呼び出し,それが宗教や民族に仮託されて混沌を引き起こしていると解釈できる構図が展開している」(p30)。
これこそ,まさしく世俗主義の逆説である。
(4)世俗主義のインド適用
イギリスは,この理性支配としての世俗主義をインドに適用した。イギリスは,理性的(科学的)にインド社会を観察し,それをムスリム,ヒンドゥー,トライブに三分割し,ヒンドゥーについてはさらにカーストに細分し,すべての人々にそれぞれの帰属(アイデンティティ)を与えた。そして,その上で,政教分離の世俗主義を採り,各宗教,各社会集団に相対的自治を認めた。
「しかし,ここに大きな矛盾が抱え込まれた。つまり,宗教集団区分を社会単位にした上で政教分離の支配構造を構築したことに発する矛盾である。宗教集団に対して相対的自立性を公的に与えておいて,それを私的領域に封じ込めるという無理な形が生まれる。そこには必然的に,可能性としての,潜在性としてのコミュナリズムが抱え込まれてしまったのである。とりなす重石がなくなれば,当然その矛盾は吹き出す。」(p32-33)
これは鮮やかな分析である。イギリスは,インド植民地に「宗教を制度的に利用した世俗国家体制」(p33)を構築した。
「こうして,人々は宗教をめぐってダブルバインド状況に陥ることになった。というのは,宗教は公の場から退くべきとするセキュラリズムの基本命題(私事化された宗教の内容に不干渉な国家)と,宗教を集団区分の基準に用いて絶対視するという命題(宗教区分に干渉する国家)との間で人々は宙吊りにされるからである。」(p33)
このような状態で「植民地支配権力の重石」がなくなれば,コミュナルな宗教紛争,民族紛争が噴出するのは当然である。しかも,皮肉なことに,コミュナルな要求をする彼らのアイデンティティは,彼ら自身のものではなく,外から与えられたものである。
「宗教を利用すれば宗教集団区分に沿って,カーストを利用すればカースト集団区分に沿って抵抗運動も組織されやすい。抵抗運動のエネルギーは,反英が反ムスリムにぶれてしまうように,上からの集団区分を受け入れてしまって身近な敵を想定しそこに『偽りの投影』を行ってしまう。」(p35)
(5)世俗主義の二つの形
ところで,世俗主義には,関根によれば,次の二つの形がある。
(a)初期ネルー型(西欧型)世俗主義
政教分離。「宗教とは関係なく国民たるものは皆,非宗教的な統一された法制下で平等な義務と権利を有することが目標となるべきだという主張」。「つまり,宗教集団よりも国民を優先する一元化,統一化である」(p42-43)。国家一元主義。
(b)ガンディー型世俗主義
国家はどの宗教も等しく支持する。「どの宗教集団(宗教共同体)もその存在が肯定されその信条を主張する権利が認められるというふうに多元化,多様化の方向を認める。これは信教の自由を保障するものだが,宗教集団が国民という属性よりも優先されうるとの解釈を生む可能性を留保する」(p43)。宗教多元主義。
インド憲法には,この国家一元主義と宗教多元主義が共存している。そして,ここから理論的にも現実的にも難しい問題が生まれてくる。
(6)「真の世俗主義」
それがBJP(インド人民党)の「真の世俗主義」の問題である。
関根によれば,「セキュラリズムもコミュナリズムも認識論的には相対主義」であり,「宗教を対象化して眺められるような近代思考としての世俗化した社会認識を共有している」(p40)。その上で,「セキュラリズムは道徳的相対主義を保持しようとし,コミュナリズムは道徳的絶対主義の態度を採る」(p42)。
「BJPの言う『真のセキュラリズム』はその『セキュラリズム』という言葉でセキュラーな認識的相対主義を告白し,『真の』という表現でヒンドゥトゥヴァという理念が示す道徳的絶対主義を主張したものであると解せる。・・・・ヒンドゥー教という一つの宗教の価値審級を他の宗教に対してあげてしまうことで普遍化させ,相対主義を踏んだ後に無化してしまうのである。それによって,一級市民と二級市民とを階層化することも可能になる。」(p41)
世俗主義,特にガンディー型によれば,国家は宗教としてのヒンドゥーを積極的に認めなければならない。ところが,ヒンドゥー多数派によれば,インドとはヒンドゥースターンのことだから,インドはヒンドゥーでなければならないことになる。あるいは,インドは「ヒンドゥー教を超えてヒンドゥー教徒が依って立つべき,より広範な意義を持つ根本原理」(p34)たる「ヒンドゥトゥヴァ(ヒンドゥーの本質)」の国であらねばならない,ということになってしまう。
このように,世俗主義は,「真の世俗主義」という形をとった場合,イスラム教やキリスト教を排除するか,下位に位置づけるヒンドゥー・コミュナリズムを根拠づけることになってしまうのである。
(7)脱近代への超出
コミュナリズムは世俗主義では解決できないとすれば,われわれはどうすればよいのか? 関根は,それを「脱近代への超出」ととらえ,次のように述べている。
「セキュラリズムという理性的空間の抑圧の周辺・縁辺でコミュナリズムという激情が噴出しているが,それは外部性(理性の他者)との遭遇をセキュラーな理性の牢獄(内閉空間)の考え方のままに性急に回収しようとする所為によって起こっている事態であり,他者犠牲を強いる暴力を結果している。しかし同時に,この問題の噴出している縁辺の場所こそ,『理性の他者』問題を考えるにふさわしい近代を革新する可能性の場所である。すなわち,コミュナリズムが起こっているその場所そのものが,人を殺す宗教から人を生かす宗教への転換の場になる可能性を秘めている。宗教の名の下に他者犠牲に向かってしまう暴力が,信仰の核心にある自己犠牲へと転換するとき,それは人をして自発的な他者受容に赴かせる力となる。そういう真の信仰が立ち上がる場所は,理性がその外部と接するこの境界(縁辺)以外にありえない。」(p48)
5.ネパールへの教訓
関根のいう「脱近代への超出」あるいは「真の信仰が立ち上がる場所」が具体的にどのようなものか,それがいったいどのような「近代の超克」なのかは,あまりにも難解であり,まだよく分からない。したがって,この部分の評価は留保せざるをえないが,少なくとも世俗主義とコミュナリズムの関係に関する彼の分析は鋭く,これは国家世俗化に着手したネパールにとっても非常に参考になる。
(1)1990年革命以前のネパール
1990年民主革命以前のネパールは,ビシュヌ神化身たる国王が統治するヒンドゥー王国であった。ヒンドゥー教は国教であったが,それは近代的宗教というよりは,伝統的な「生活宗教」,つまり前述の「生活現場で生きられている宗教」に近いものであった。ネパールは,植民地支配により近代化される以前のインドに近いヒンドゥー教社会であったといってよい。
当時のパンチャヤト政府は,そのような伝統的ヒンドゥー教社会を維持するため,本格的な科学的人口動態調査を許さなかった。人々を認識対象として措定した上で,彼らを宗教別,カースト別,民族別に分類し,帰属(アイデンティティ)を明確化させることを忌避し,ネパール全体をいわば一つの「ヒマラヤのヒンドゥトゥヴァの国」として護持しようとしたのである。
(2)1990年革命とネパールへの近代化
ところが,このパンチャヤト王制は,1990年革命により打倒され,立憲君主制の1990年憲法体制が成立した。ヒンドゥー教はまだ国教として維持されていたが,国家モデルは自由民主主義となり,国連および先進諸国が「外から」そして「上から」ネパール政府を指導し,近代化,民主化,世俗化に取り組ませることになった。
(3)科学的人口調査
そこで早速問題になったのが,ネパール社会の「科学的」認識である。近代化,民主化のためには,ネパール社会の実態を正確につかまなければならない。そのため,文化人類学者,言語学者,宗教学者,社会学者らを総動員して,ネパール社会の「科学的」実態調査を行い,人々を「民族」「カースト」「言語」等の属性ごとに分類し,それぞれの集団の相互関係を確認し確定し,その成果を政府発行の『人口調査』(1991)等で公表していった。
ネパールには,1990年革命以前にももちろんカーストやジャーティ等はあり,差別もあったが,それらが「科学的」に詳細に調査され,階層秩序の中に明確に位置づけられ,国家により権威づけられ,人々に「科学的知識」として広く知られるようになったのは,90年革命以後である。
(4)集団アイデンティティの形成と強化
90年革命以後のこの社会実態調査の進展と共に,巷にはカースト,民族,言語等の社会集団に関する研究書や啓蒙書,パンフレット等があふれ,これらにより人々は自分の帰属を確認し,集団アイデンティティを強化していった。特に被抑圧諸集団は,集団の権利を主張し,90年憲法体制を攻撃し始めた。
(5)マオイストによる社会集団の利用
この動きをうまく利用したのがマオイストである。マオイストは,普遍的「階級」ではなく,90年以降の近代化,民主化が覚醒させた「民族」「カースト」「言語」等の社会集団の権利要求を代弁する形で勢力を拡大し,それに追随した他の諸政党をも巻き込み,ついに2006年4月,民主革命によりヒンドゥー教王制を打倒し,世俗共和制を樹立することになったのである。
(6)アイデンティティ政治の拡大
これ以後,社会集団のアイデンティティ政治は,いよいよ歯止めがかからなくなった。
国連=先進諸国は,ネパール民主化のため,「科学的」調査により,ますます多くの「民族」や「言語」を発見し,それらにマオイスト政府がお墨付きを与える。そして,それに基づき,おびただしい数の「民族地図」やら「言語地図」が発行され,人々の集団アイデンティティ意識を煽り立てる。
こうして集団アイデンティティに目覚めた人々は,集団の権利主張をますます強め,議会や役所や軍隊での集団別人員割当を要求し,また民族自治,集団自治を要求し始めた。
宗教についてみると,マオイスト政府は,世俗主義により,政教分離(西欧型=ネルー型)ではなく,ガンディー型の諸宗教支援政策を推進している。政府は,キリスト教を含む各宗教の祭日を国民休日にしたし,大統領はヒンドゥー教儀式に積極的に参加している。一方,政府のいくつかの部署では,仏教を支援するような政策を採っている。
(7)コミュナリズム紛争を招かないか?
しかし,こんなことをしていて,本当に大丈夫だろうか? インドと同じように,コミュナリズムを呼び起こし,泥沼のコミュナル紛争に陥ることになるのではないだろうか? 国連=先進諸国の重石(UNMIN等)がとれたあと,ネパールはどうなるのだろう? 最後にもう一度,関根の文章を引用しておこう。
「宗教を利用すれば宗教集団区分に沿って,カーストを利用すればカースト集団区分に沿って抵抗運動も組織されやすい。抵抗運動のエネルギーは,反英が反ムスリムにぶれてしまうように,上からの集団区分を受け入れてしまって身近な敵を想定しそこに『偽りの投影』を行ってしまう。」(p35)
3/21/2009 ゴルカのキリスト教とイスラム教 谷川昌幸(C)
ゴルカの町にも,キリスト教会らしきものがあった。マオイスト・アーチから少し入った道路沿いにホサンナ・マンダリ/Hosannna Churchの看板が掛けられている。外から見ただけなので,どの会派の教会で,どのような活動をしているのかは分からない。 また,町では,イスラム教徒にもときどき出会った。カトマンズ・ムグリン間の川向かいの村にはたしかにモスクがあった。ゴルカにもあるのだろうか?
宗教は多くの人々にとってアイデンティティの核心をなしており,様々な宗教があるのは当然だ。日本にも神道,仏教,キリスト教,その他の宗教など,無数といってよいほどある。だから多宗教は自然なのだが,その一方,宗教は心情の動員力が強く,しばしば大きな社会的軋轢を生み出し,紛争をもたらす。 その解決方法として広く認められているのが政教分離だが,しかし,これはなかなか難しい。日本でも,靖国神社問題がことあるごとに表面化する。
ネパールにキリスト教やイスラム教や仏教諸派などが入ってきて布教活動をするのは自然なことだし,止められない。しかし,状況によっては,既存社会との軋轢を生み,紛争を引き起こすことも考えておかなければならない。特に先進諸国の人々は,自分たちが激しい残虐きわまりない宗教弾圧を経験してきたことを忘れてはならないだろう 。
3/18/2009 イエスはビシュヌ化身となるか? 谷川昌幸(C)
1.キリスト教ブロマイド
カトマンズでは,キリスト教が確実に勢力を拡大している。下図は,あるブロマイド屋さん。従来は,ヒンズー教の神々や仏陀や国王夫妻やダライラマが定番だった。ところが,ご覧のように,いまではキリスト教関係が他を圧するほど多くなった。
2.新宗教の受容
新しい宗教が社会に入っていく場合,先在宗教を克服し完全に取って代わるか,割拠混在するか,先在宗教を取り込むか,あるいは先在宗教に取り込まれてしまうか,そのいずれかであろう。 キリスト教の場合,西洋ではサンタクロースなどを取り込み,日本では地鎮祭などを取り込んでいった。逆に,カクレ・キリシタンは,厳しい弾圧で孤立したため,キリスト教というよりは,日本独自の信仰とする説もあるくらい,日本化されている。
3.ヒンズー教の包容力
ヒンズー教は包容力豊かな多神教的偶像宗教であり,様々な伝統宗教を取り込むことにより勢力を拡大していった。キリスト教はヒンズー教を許容できないが,ヒンズー教はキリストを自らの神々の一人として取り込むことができる。キリストが仏陀とともにビシュヌの化身としてヒンズー教の信仰世界に組み込まれ,礼拝されることは,可能なのだ。
キリスト教は日本に入ってきて,日本文化の底知れぬ「古層」により日本化された。多くの日本人にとって,イエスも神々の一人に過ぎない。ヒンズー教世界は日本社会よりもはるかに奥が深い。キリスト教はネパールに入ってきて,ネパール化され,ヒンズー教的キリスト教として定着していくことになるかもしれない。
カトマンズのブロマイド屋さん。キリスト教聖像がヒンズーの神々や仏陀を圧倒している
3/12/2009 表面化したイスラム問題谷川昌幸(c) 10日,カトマンズに着いたとたん,もう一つ気付いたのが,イスラム問題の表面化だ。これも10日付カトマンズ・ポストに出ている。
1.イスラム全国抗議運動開始 ネパール・ムスリム協会(NMCS)は,3月28日から,全国抗議運動を始めると宣言した。NMCSは,ムスリムが「マデシ」に分類されることを拒否し,全国に居住するムスリムが一つのコミュニティとして政治と社会において正当に代表されることを要求している。
2.ムスリムもタルーも正しい これは,やはり「マデシ」に分類されることを拒否し激しい反政府運動を展開しているタルー民族の要求と同じものだ。民族自決原理に従えば,タルーもムスリムも文句なしに正しい。
3.アイデンティティ政治へ 10日付カトマンズポストには,シャンギジャでデモをするムスリムの写真が出ている。イスラムらしく,進行方向に向かって右側に男性,左側に女性が列をつくり,スローガンを叫んでいる。
みなムスリム装束であり,迫力がある。タルーや山地諸民族の自治要求よりも,むしろこちらの方が,今後,ネパールの深刻な政治問題になる可能性が大だ。
4.イスラム教改革の記事 ムスリム・アイデンティティ問題と関係があるかどうかわからないが,10日付カトマンズ・ポストには大きなイスラム教改革の記事も掲載されている。
記事はMohna Ansari氏のもので,イスラム教社会における一夫多妻や女性差別を取り上げ,女性の権利を認めるよう改革すべきだ,と訴えている。ネパールへの言及もある。
「ここネパールでは,宗教的な『シャリア法』(イスラム法)を施行せよと要求する人は少ない。」 「よきムスリムであるということと,[女性の]平等と正義を信じると言うことは,決して矛盾しない。」
この記事自体は,ムスリム・アイデンティティ問題を扱ってはいない。しかし,イスラム教世界において,これは微妙な問題である。それを,この状況の下であえて紙面に掲載する。それは,やはりイスラム教問題への世間の関心が高いからであろう。
ネパールでは,イスラム教はまだ大きな政治問題とはなっていない。しかし,国連や議会諸政党やマオイストが,慎重な上にも慎重に取り扱うべき民族アイデンティティ問題に安直に手をつけたががため,それが覚醒し,取り返しのつかないことになる恐れが出てきた。これこそは,まさしく今後のネパールの取り組むべき本物の問題となるとみてよいであろう。
1/8/2009 BJPに屈したプラチャンダ首相谷川昌幸(C)
プラチャンダ首相が1月7日,BJPの圧力に屈し,ネパール人僧侶任命の決定を反故にし,インド人僧侶に宗教儀礼の続行を要請した。最高裁の裁決に従うという条件付きで,この先どうなるかまだ分からないが,今のところ全面降伏といってよい。政教分離の世俗原理を無視して宗教に介入したことへの「神罰」である。
昨日も書いたように,パシュパティ寺院の統治の詳細は私には分からないが,新聞報道によると,おおよそ次のようになっているようだ。
国家元首(首相)=PADT守護者
→パシュパティ地域開発基金(PADT)運営委員会 →パシュパティ寺院 この統治構造は,ネパールがヒンズー教国であり,国王がヒンズー教の守護者(パトロン)であったときは,原理的に,何の問題もなかった。ヒンズー教が王権(国家)を聖化し,そのかわり国王(国家)がヒンズー教を守護する。したがって,寺院人事にも,国王は当然介入できる。
ところが,国家世俗化により,ネパール国家元首には,もはやそのような宗教への介入は,原理的に,できないことになった。プラチャンダ首相は,宗教に介入する憲法上の権限を持たないのである。
ところが,7日の議会でも,プラチャンダ首相は,この政教分離原則を一顧だにせず,次のような趣旨の発言をした。
・パシュパティ寺院の新僧侶任命に当たって,PADT運営委員会に対し,適任者をPATD守護者たる首相に推薦するように依頼し,この推薦に従いネパール人僧侶を任命したのだから,この間の手続は完全に合法的であった。
・(しかし混乱を招いたので)インド人僧侶の辞任承認を取り消し,職務継続を要請した。 ・2人のネパール人僧侶の任命は取り消す。 ・ネパール人僧侶の辞任を承認する。 政教分離原則からすれば,このような宗教事項への介入自体が違憲だ。プラチャンダ首相は,自分を国王と同様の宗教の守護者と勘違いしているのではないか。世俗国家の(実質的)元首たる首相は,どのような宗教活動もしてはならないのである。
(補足) 寺院も変わらざるをえない
プラチャンダ首相のパシュパティ寺院人事介入は,拙速だったが,方向性は間違ってはいない。世俗国家では,宗教は内面的信仰の自由と引き替えに,世俗的なものは国家に返却しなければならない。パシュパティ寺院のように,慈善事業や福祉事業をするのであれば,世俗的な部分については国家規制を受けざるをえない。世俗化で国家が変わると同時に,宗教も変わらざるをえない。 「カイザルのものはカイザルに,神のものは神に返しなさい。」(マルコ福音書12・17)
* nepalnews.com, Jan.7; Kantipur, Jan.7; Kathmandu Post, Jan.6
1/7/2009 パシュパティ寺院と世俗国家の分離を谷川昌幸(C)
1
パシュパティ寺院の僧正(mul bhatta)任命問題で,ネパールが混乱している。
ネパールがヒンズー教王国であったときは,宗教と政治は一体であり,国王政府が宗教儀式を執行したり聖職者を任命しても,原理的には何ら問題はなかった。ところが,国家世俗化で状況は一変,国家は宗教の領域に,原理的には,介入できないことになった。
この国家世俗化の状況下で,マオイスト主導政府が,3世紀に及ぶ伝統を否定する形でパシュパティ寺院僧正人事を断行,従来の南インドのバッタ・ブラーマンではなく,ネパール人であるビシュヌ・プラサド・ダハール博士とサリグラム・ダカール氏を僧正に任命した。
この革命人事に対し,インドBJPや国内保守派(バンダリ一族など)が猛反発,両派の衝突となった。
両派は,最高裁に提訴し,来週には裁決が出されることになっているが,どのような裁決であれ,一件落着とは行かず,紛争は継続する可能性が高い。
2
それは,これまで祭政一致であったネパール国家が世俗化され,政教分離の原則により,政治の領域と宗教の領域を分離せざるをえなくなったことに,根本的な原因があるからである。
どこまでが政治で,どこからが宗教なのか? どれが内面的信仰にかかわる宗教活動であり,どれが社会習俗・社会儀礼なのか? 寺院の活動のうち,国家規制に服すべき経済活動や社会福祉事業・教育活動・慈善事業は,どれとどれか?
これは,日本の靖国神社や地鎮祭,あるいは寺社の様々な副業を見れば分かるように,非常に複雑な難しい問題であり,下手をすると,社会を分断する深刻な宗教紛争に発展しかねない。
3
パシュパティ寺院の運営がこれまでどうなっていたのか,詳しいことはわからない。寺院統治の任にあるのは「パシュパティ地域開発基金(PADT=Pashupati Area Development Trust)」らしい。あまり有難味のない世俗的な名称だが,「けぇがるね?」(1/5)によると,「政府系公社」で,総裁は以前は王妃だったそうだ。「政府系公社」であれば,国粋主義者マオイストの意を受け,ネパール人僧正を任命するのは,よく分かる。
この僧正人事について,プラチャンダ首相は,特別の意図はなく,単なる偶然にすぎない,と説明している。16年間在職したインド人のムル・バッタが3ヶ月半前,強引に辞任したので,PADTの要請により2人のネパール人僧正を任命したのだという。しかし,この説明には説得力はほとんどない。
これに対し,2日後,KB.マハラ情報通信相(マオイスト)が,あっけらかんと,こう説明した。ネパール人僧正を任命したのは,政府(PADT)が寺への「奉納金(Bheti)」を管理するためだ。つまり,寺への巨額の奉納金を透明化し,きちんと管理し,社会福祉事業のために使うようにする,ということのようだ。
4
プラチャンダ首相の説明は政治的ごまかしであり,本当のねらいはマハラ情報通信相のいうとおりであろう。
パシュパティ寺院がインド支配下にある限り,ネパールの真の独立は叶わない。イギリス国家国民の独立がイギリス教会のローマ教会からの分離独立を要求したように,ネパールの真の独立のためには,パシュパティ寺院のインドからの分離独立が必要となってきたのだろう。国粋主義者マオイストらしい考え方だ。しかも,マオイストの勢力拡大にもなる。
5
今回のパシュパティ寺院問題は,国際的なインドからの分離独立(ナショナリズム)問題と国内的な政教分離問題とが絡んでおり,解決は容易ではない。
しかし,ネパールは,世俗国家化した以上,もはやこの問題を避けて通ることはできない。できるだけ犠牲の少ない形での軟着陸を願っている。
* Kantipur, Jan.5; Nepalnews.com, Jan.3,4,5,6; The Himalayan, Jan.5. 12/26/2008 大統領・首相のクリスマス祝辞谷川昌幸(C) 唯一全能の神の御子イエス・キリスト生誕日を国定祭日にしてしまったので,当然といえば当然だが,ヤダブ大統領とプラチャンダ首相がクリスマス祝辞を述べた。カンチプルの報道する限りでは,両者の祝辞は抑制されたもので,特にキリスト教の神を讃えたものではない。 しかし,ヤダブ大統領はネワン制憲議会議長とともにクリスマス集会(カトマンズ)に出席し,唯一全能の神の御子イエス・キリストの生誕を祝った。(プラチャンダ首相は出席していない。) 世俗国家ネパールは,唯一全能の神の軍門に下ったのか? 「ザ・ヒマラヤン」の紙面を見ると,「アメリカ国会議事堂とクリスマスツリー」写真とあわせて大統領・議長クリスマス集会参加写真が掲載されている。これは意味深だ。 世俗国家政府や「ザ・ヒマラヤン」「ゴルカパトラ」がキリスト教寄りなのに対し,「カンチプル」や「ネパールニューズコム(マーカンタイル)」のクリスマス報道は地味だ。冷淡とさえいってよい。これは何を意味するか? 街はどうだったのだろう? クリスマス・デコレーションを飾り立て,乱痴気騒ぎをやっていたのだろうか? 米国会議事堂とクリスマス集会の大統領・議長/クリスマス集会の大統領と議長 |
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