ネパール評論

ネパール研究会

ネパール憲法AI探訪(23): 国旗の図像学(10)

5.ネパールの3角形国旗[続]
(7)独立堅持の誇りとしての二重3角形国旗
ネパール国旗は,具体的な解釈には揺れがあるにせよ,3角形であるという点では,現在では世界唯一の国旗である。

前述のように,南アジアには3角旗を国旗とする「国」は多数あった。たとえば,WIKI, “Flags of Indian princely states”を見ると,二重3角旗もあれば,顔面つきの太陽を描いた国旗もある。特に,デワ国(DewaJunior)の国旗は,図形的に,外形はネパール国旗とそっくりである。

そうした多くの国々のうち,ネパールだけが,現在に至るまで3角旗を「国旗」として堅持してきた。ネパール国民が国旗を誇りに思うのは当然であろう。

240421e 240421f240421g ■Dewas State (Junior Branch) / Ajaigarh State / Benares State (WIKI)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2024/04/25 at 09:34

カテゴリー: インド, 宗教, 憲法, 政治, 文化, 歴史

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ネパール憲法AI探訪(22): 国旗の図像学(9)

5.ネパールの3角形国旗[続]
(6)ネパール国旗:2015年憲法
ところが,ネパールが,マオイスト人民戦争とそれに続く民主化運動を経て,王制を廃止し連邦共和制に大きく革命的に体制変換すると,国旗をどう変えるかが重要問題の一つとなった。

たとえば,2009年9月の制憲議会において,デブ・グルン議員(UCPN-M)は,「月と太陽を描いた旗は王制を表しており,多民族共和国の象徴たりえない。国旗は,包摂比例民主共和国に相応しいものに変えるべきだ」と主張した。*Maoist want Nepal’s national flag changed, Reuters, 2009/09/17

また,国民戦線,サドバーバナ党などからも,新憲法を制定するのだから国旗も新国家を象徴する図形にすべきだなどと,様々な国旗変更要求が出された。*Nepal: Proposals to change the flag (Kathmandu Post, 2009/09/17)

これに対し,現国旗維持を主張したのが,NC,UMLなど保守ないし穏健派諸党。たとえば,UMLのアグニ・カレル議員は,こう主張した:
「わが国の国旗はユニークだ。それ自体,アイデンティティを有し受容されている。国旗を変えてネパールが新しくなるわけがない。太陽と月は,わが国がそれらと同様,永遠たることを意味しているのだ。」*Nepal: Proposals to change the flag (Kathmandu Post, 2009/09/17)

また,NCのB・ニディ議員も,こう主張した:
「わが国旗はユニークであり,唯物論や宗教を持ち出して論じるべきものではない。国旗問題には,[図形の意味の]再定義で対応すべきだ。・・・・太陽と月は,ヒンドゥーだけの象徴ではない。他の宗教もそれらを敬愛している。」*Nepal: Proposals to change the flag (Kathmandu Post, 2009/10/15)

国旗変更を主張していたUCPN-Mは,当時,議会最大政党だったが,その国旗変更案は,NC,UMLなどの反対多数で否決され,結局,国旗問題は,国旗解釈の変更で決着することになった。

その結果,1990年憲法第5条の文言のうち,「伝統的に継承されてきた」の部分だけが削除された。強硬な国旗変更要求に,一部,譲歩したわけだ。

では,これにより国旗の意味(解釈)は,どうなったのか?

憲法規定の変更なのだから,当然,ネパール政府の公式解釈が出されているはずなのだが,いくら探しても見つからない。そこで,仕方なく,久し振りにAI先生にお伺いを立てた。

回答は,明快そのもの。たとえば,perplexity英語版によれば,ネパール政府は次のように説明しているそうだ:
質問】ネパール国旗の公式解釈は?
回答】・二重の3角形=ヒマラヤの象徴,ヒンドゥー教と仏教の象徴
・月=ネパール人民の冷静にして平和的な国民性の象徴,寒冷なヒマラヤ高地の象徴
・太陽=ネパール人民の決断力と実行力の象徴,タライなど高温地域の象徴
・深紅色=ネパール人民の勇敢の象徴,国花シャクナゲの色
・濃青色の縁取り=仏陀の頃から享受されてきた平和と調和の象徴
・国旗の起源=マハバラータと,プリトビ・ナラヤン・シャハによる国家統一

これは確かに明快な回答だが,参照先に政府機関は一切なく,少々,勇み足のような気がする。が,「政府公式解釈」と断言しなければ,上記のような国旗解釈が,現在,広く認められていることは確かである。政府自身も,おそらくこのような国旗解釈を,事実上,容認し,国政にあたっているのではないかと思われる。

むろん,政府の国旗解釈がはっきりしないので,今後,国旗の意味付けが大きくぶれ,紛争を引き起こす恐れが,あるにはあるのだか・・・・。

150730b■カーラバイラブ前の国旗(2015/07/30)

【参照】国旗の変更 ヒンズー教王国象徴としてのネパール国旗

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2024/04/24 at 17:13

カテゴリー: 宗教, 憲法, 政党, 政治, 文化, 歴史

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ネパール憲法AI探訪(21): 国旗の図像学(8)

5.ネパールの3角形国旗[続]
(4)ネパール国旗:1962年以前
ネパール国家そのものの国旗を誰が,いつ定めたかは,前述のように判然とはしない。「ネパールの旗の歴史」などによれば,二重3角旗を国旗にしたのはプリトビ・ナラヤン・シャハ国王であり,その後,ジャンガ・バハドゥル・ラナが月と太陽をそれぞれのラージプートをより具象的に象徴する顔面に変えたとされる。参照:A Flag history of Nepal; Flag of Nepal

また,当初,2つの3角図形が上下に並べてあったのが20世紀前期に現行の一部重なった二重3角旗に変更され,さらに旗に描かれている顔も,幾度か,部分的に変更されたという。これらの変更理由は不明。おそらく,1962年憲法制定までは,国旗規定も明確ではなかったのであろう。
240421dList of flags of Nepal

(5)ネパール国旗:1962年憲法~1990年憲法
ネパール国旗が憲法で明文規定されたのは,1962年憲法においてである。

1960年,マヘンドラ国王は議会を解散して全権を掌握,自ら非政党パンチャヤト制の新憲法制定に着手した。その一環として,国王は国旗をも改めることにし,図案作成を著名図案家シャンカー・N・リマールに命じた。

命を受けたリマールは,既存の二重3角形国旗から顔を削除し月と太陽のデザインを一部修正した図案を作成し,国王に答申した。国王は,この図案を採用,1962年憲法(パンチャヤト憲法)の第5条と付則1で,これを国旗として詳細に明文規定したのである。
240103-1■ネパール国旗(1962-)

ここで注目すべきは,たしかに国旗の月と太陽から目・鼻・口など顔の部分は削除されたものの,二重3角形も配色もほぼそのまま継承された上に,憲法本文で「ネパール国旗は伝統的に継承されてきた(as handed down by tradition)」と明言したこと。1962年憲法規定の国旗も,より抽象化されたとはいえ,依然としてヒンドゥー教伝統文化の図形化に他ならなかったのである。

この国旗は,民主化運動成功により成立した立憲君主制の1990年憲法にも,そのまま継承されることになる。

【参照】国旗の変更 ヒンズー教王国象徴としてのネパール国旗

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2024/04/23 at 11:20

ネパール憲法AI探訪(20): 国旗の図像学(7)

5.ネパールの3角形国旗[続]
(2)シャハ王家の旗
ネパールが「国旗」を必要とするようになったのは,当然ながら,プリトビ・ナラヤン・シャハが国家統一し「ネパール国家」が成立して以降のことである。

シャハ家は,16世紀半ば以降,王家としてゴルカを統治してきた。王家はもともと「月のラージプート(chandravanshi, 月種族)」であったが,ゴルカ王国の旗は,宝剣を挟んで三日月と太陽が描かれた単一の三角旗であった。したがって,おそらく,この王国の旗とは別に,月だけを描いた王家の旗も早くからあったのであろうが,いまのところ詳細不明(王家3角旗の作成使用は,後述のラナ家3角旗とセットかもしれない?)。

240421aゴルカ王国旗 240421bシャハ家旗

いずれにせよ,このシャハ家のプリトビ・ナラヤン・シャハが1768年,国家統一すると,当然ながら,新生ネパール国家そのものの旗,つまり「ネパール国旗」が必要になる。

が,残念ながら,「ネパール国旗を誰が創ったかを知る人は一人もいない」(Dan Nosowitz, “Decoding the Unusual Shape of the Nepali Flag,” 2018/09/03)。

(3)ラナ宰相家の旗
シャハ王家の「月」に対し,ラナ家の方は,「太陽のラージプート(suryavamshi,日種族)」として,「太陽」を自らのシンボルとしていた。

ラナ家の先祖はクンワル家で,ゴルカ王国でシャハ王家に軍人として仕えていたが,シャハ王家によるネパール統一後,首都となったカトマンズに王家とともに移った。

ところが,シャハ王家は,国家統一したものの,統治が安定せず,権力争いが激化した。その中で頭角を現したのが,クンワル家。ライバルを次々と排除していき,ついに1846年,ジャンガ・バハドゥル・クンワルが宰相(首相)に任命され,実権を掌握した。そして同年,国王より「ラナ」姓をも授けられ,名実ともに「ラナ宰相家統治」を始めた。このラナ宰相家統治は,「ラナ家専制」などとも呼ばれ,1951年まで1世紀余も続く。

このラナ宰相家の旗が,太陽を描いた3角旗だが,この旗も起源不明。宰相家統治開始前後に,王家3角旗と対で定められ使われ始めたのかもしれない。
240421cラナ宰相家旗

いずれにせよ,この種の太陽や月を描いた3角旗そのものは,インド大陸で古くから多数見られるので,シャハ王家もラナ宰相家もその古来の伝統にのっとって自家の旗を決め,早くから使用していたのかもしれないが,詳細は不明。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2024/04/22 at 08:45

寺院の花まつり

今日は,近くのギャラリーでハープ演奏を聴いた後,隣の森の中にある平林寺に行ってきた。花まつりが行われており,寺は多くの参詣者でにぎわっていた。*参道横切るマルーン色 宝塚の平林寺

240407

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2024/04/07 at 17:14

カテゴリー: 社会, 宗教, 文化

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活気あふれる古寺

近くの中山寺に花見に行ってきた。桜だけでなく,馬酔木やマンサクなども満開。春爛漫であった。

この寺は,西国24番札所。由緒ある古寺だが,五重塔など比較的新しい建物が多い。そのこともあってか,境内は近現代的に美しく整備・管理され,安産祈願,初参り,七五三など,葬式や墓参り以外の様々な行事も,あれこれ工夫し,多数,執り行われているようだった。境内は様々な参詣者で活気に満ちていた。

伝統に拘泥しすぎない――これも仏教寺院のこれからの行き方の一つであろう。

240406

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2024/04/06 at 18:33

カテゴリー: 宗教, 文化, 歴史

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ネパール憲法AI探訪(19): 国旗の図像学(6)

5.ネパールの3角形国旗
(1)ヒンドゥー教の3角旗
ネパールの3角形国旗が「3」や「3角形」の神秘的魅力をバックにしていることは明らかだが,より具体的・直接的には,いうまでもなく,それはヒンドゥー教の3角図形や3角旗の伝統を正統に継承するものに他ならない。

たとえば,古典「バガヴァッド・ギーター」(マハーバーラタ)の周知の場面を描いたこの水彩画(1830年頃制作,大英博物館所蔵)。

240404a 240404bGouache painting on paper, part of an album of seventy paintings of Indian deities

ここでは,馬車に乗ったアルジュナに御者を務めるクリシュナが教えを説いているが,その馬車の上には2棹の3角旗がはためいている。クリシュナ側の旗に描かれているのは神猿ハヌマーンだが,アルジュナ側の旗には,そのものずばり「太陽」と「月」が描かれている。

「太陽」と「月」の配置が上と下,逆ではあるが,それを除けば,このバガヴァッド・ギータ画の二重3角旗は,現在のネパール国旗と瓜二つではないか!

「バガヴァッド・ギーター」は古典中の古典だし,クリシュナとアルジュナも人気の高い神々である。むろん,この大英博物館所蔵画そのものは1830年頃の作だが,このような場面を描いた絵そのものは昔から他にもたくさんあったであろうし,また,それらに描かれた二重3角旗もネパール各地にあったにちがいない。

たとえば,いまでもネパール各地の寺院には,金属製の二重3角旗(Dhoja)が掲げられている。いつからか判然とはしないが,相当古いものが多いことは確かだ。(撮影寺院名失念。同様の旗はパシュパティナートなど他にも多数ある。)

240404d 240404f ■カトマンズ(2013/11&2015/07)

240404c ■バクタプル

240404e 240404i ■ブンガマティ(2013/11)

ネパールが「国家の旗」として国旗を定めたのは,18世紀末に国家統一されて以降のことだが,二重3角旗そのものは,ネパール各地の寺院に古くからあり,その地域の目印ないし象徴となっていたにちがいない。もしそうだとすると,ネパール古来の二重3角旗を継承するネパール国旗は,世界最古の歴史を有する国旗の一つということになるであろう。

【参照】国旗の変更 ヒンズー教王国象徴としてのネパール国旗

【本頁,AI不使用】

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2024/04/05 at 11:27

ジリ貧新聞の校正不足

部数減でジリ貧の新聞に,このところ木材パルプ浪費・自然環境破壊の巨大全面広告が増加しているのに加え,伝統的な言語文化環境の破壊と思われるような記事も目立ち始めた。

たとえば,この新聞の1面トップ記事。これを目にしたとたん,どこか居心地の悪いような,むずかゆいような,感じがするのを禁じえない。政官財界の英語帝国主義拝跪の時流に棹さすなら,いっそのこと,こう校正すべきではないか?

むろん,以上は,あくまでも日本語表記の問題であって,記事内容にかかわることでは一切ない。念のため。(参照:英語帝国主義

追補】3月25日付朝日新聞朝刊の場合,大阪本社兵庫版は,全28頁のうち8頁が全面広告。これらに加え,紙面下部1/3~1/5程度の広告もほぼ全頁に掲載されている。まるで広告を購読しているみたいだ。
ちなみに,東京本社ネットビューアー版では,全24頁のうち全面広告は4頁のみ。環境保護と精神衛生のため,宅配新聞はやめ,ネット版に切り替えた方がよいかもしれない。
ネット版は,PDFなので目に優しく,読みやすい。印刷すれば,紙面は宅配版とほぼ同じで,しかも広告面は自在にカットできる。
さらに加えて,購読料も,宅配より,実質的には,はるかに安い。宅配新聞は,存在意義を失いつつある。

【追補2】朝日4月1日朝刊は,全26頁のうち5頁が全面広告。特に,新聞広告としてスゴイのが,この見開き2頁全面広告。衝撃的!

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2024/03/21 at 10:20

ネパール憲法AI探訪(18): 国旗の図像学(5)

4.神秘の「3」と「3角形」
ネパールは,1990年以降の2回の人民運動(民主革命)により専制君主制を連邦民主共和制に変え,国歌も変えてしまったのに,国旗だけは変えなかった。なぜか?

理由はいくつか考えられるが,最も根本的なのは,ネパール国旗それ自体の持つ特異な魅力と,それに象徴される独立国家ネパールへの誇りであろう。ネパール国民は,立場を超え,3角形国旗の神秘的シンボリズムに魅了され,それを掲げることに誇りを感じてきたのだ。

(1)数「3」の神秘
ネパール国旗の根幹をなすのは,「3」と「3角形」。古来,この数と図形は,他には無い特別な意味を持つものと考えられてきた。ここでは,まず数「3」から見ていくことにしよう。

数の「3」は,敬愛する『新明解国語辞典』によると,「2より1つだけ多い数」とのこと。あれあれ,それだけ! たしかにそうには違いないが,これでは実質的な語釈にはなっていない。親切・明解な辞典だが,「3」については,語釈に手を付け「神秘」の深みに引き込まれるのを恐れたのかもしれない。ことさほどに,「3」は神秘的な数なのだ。

この「3」という数は,いうまでもなく1,2の次に来る正の自然数。これは,ごく素朴に考えるならば,まず初めに「1」が現れ,次にそれとは別の「2」が現れ――あるいは,それに別の何かが加わって「2」となり――,そして最後に,これら「1」と「2」が総合されて「3」となる,ということである。

この「1」,「2」,「3」の組み合わせや,「3」特別視の事例は,古今東西,無数にある。たとえば――
キリスト教:三位一体(父・子・精霊)
ヒンドゥー教:三神一体(ブラフマ・ヴィシュヌ・シヴァ)
仏教:三宝(仏・法・僧),釈迦三尊
中国:三才(天・地・人)
日本:三貴神(アマテラス・スサノオ・ツクヨミ)
プラトン:魂3分説(理性・気概・欲望)
ヘーゲル・正反合(定立・反定立・総合)
時間:過去・現在・未来,朝・昼・夜
空間:縦・横・高さ
自然:物質三態(個体・液体・気体),光3原色(赤・緑・青)
統治:3権(立法・行政・司法),3審制
社会:三が日,三々九度,3本の矢,三役,日本三景

以上は,「3」特別視のほんの一部にすぎないが,これらを見ただけでも,「3」が,古来,いたるところで神秘的にして神聖な数と見られてきたことは,明らかである。

(2)3角形の神秘
この「3」を最も直截的に図形化したのが,3点を3直線で結ぶ「3角形」であり,これも,古来,いたるところで神秘的にして神聖な図形として使用されてきた。たとえば――
エジプト:ギザの三大ピラミッド
古代ギリシャ:ピタゴラスの3角形
ユダヤ教:ダビデの星(二重3角形)
キリスト教:三位一体象徴としての様々な3角形図形
ヒンドゥー教:寺院の3角旗,スリヤントラ(9個の3角形)
フランス:ナポレオンの3角形,ルーブル美術館ピラミッド
日本:神社3柱鳥居,寺院3角破風,「麻の葉」模様

たしかに,「三角形について不思議なことは山ほどある」(細谷治夫『三角形の七不思議』講談社,2013,p.3)。

 ■Hindu symbols triangle (Google)
 ■Christian symbols triangle (Google)

(3)象徴としての3角旗へ
「3」や「3角形」にこのような神秘的な魅力があるとすれば,個人や集団などを象徴する旗として3角旗が多用されるようになったのも当然といえる。たとえば――
南アジア:ヒンドゥー教寺院や仏教寺院の3角旗,植民地化以前の諸王国の3角形国旗
ヨーロッパ:騎士や船舶が3角旗(ペナン,ペナント)多用
中国:春節3角旗,墓参用3角形白紙・白布
日本:寺院の3角旗,葬儀での三角形白紙・白布
現代:野球などのペナントレースで争奪される3角旗(ペナント)
*参照:井本英一「三角表象の前史(1)」大阪外大論集,No.7;須田武郎『騎士団』新紀元社,2007

【本頁,AI不使用】

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2024/03/18 at 14:49

「無としての死」の疑似体験

全身麻酔を,先日,初めて体験した。

生来,小柄・痩身ながらも健康で大病知らず,麻酔とは無縁であったが,昨年,喜寿を過ぎたころから,身体に故障が出始めた。耐用年数を超えたらしい。

先日も,胃腸の調子が悪くなった。やむなく病院に行くと,内視鏡検査が必要といわれ,麻酔をかけられてしまった。初の全身麻酔!

この全身麻酔は,不思議な体験であった。これまで麻酔は,夜,眠るようなものだと,なんとなく思っていた。睡眠であれば,眠くなり,時々は夢を見たりしながら寝入り,やがて目が覚める。このような睡眠であれば,「夢現(ゆめうつつ)」のときがあるからか,多かれ少なかれ覚えており,後から思い出すことができる。

ところが,先日の全身麻酔では,突然,何の予兆もなくスパッと意識が消え,「ハイッ,終わりましたよ!」という看護師さんの声で目が覚めた。その間のことは,まったく何一つ記憶にない。完全な無,「絶対無」なのだ!

これはいったい何だろう? 全くの「無」ーーもし目覚めなければ,永遠に,そのままだったはずだ。このようなもの,いや,この「無」こそが人の「死」ではないのか?

人の死については,生死の間にあるとされる「臨死体験」などを根拠として,身体は滅しても,魂は天に昇ったり輪廻転生したりして何らかの形で永続するのだから,決して人の「死」は「無」となることではないと,古来,多くの人々が信じてきた。

が,本当だろうか? 魂ではなく,身体の方であれば,死後,有機分解されて自然に帰り,再び,他の生物へと再生する。巡り巡って他の人の身体となるかもしれない。その意味では,身体は死によって「無」にはならない。これは明白。

これに対し,「私」という自己意識や魂の方は,残念ながら,「身体」の場合のような形では,残らないはずだ。

むろん,人の様々な行動の成果が,文化・文明の一部として,あるいは子孫として,死後も後世に残ることは確かである。しかしながら,それは,自分を自分として意識する当の「私」,自己意識としての「自我」そのものが,自分の死後も残ったり再生したりすることを,決して意味しはしない。

「私」,すなわち「私」という自己意識ないし魂そのものは,麻酔でスパッと意識が消えてしまったように,死により消滅し「無」となってしまう。人は,誰であれ,「1回限りの自己」を,宿命として,生きざるをえない。それは奇跡であり,だからこそ無限に尊いのだ。

先日の全身麻酔は,私にとって,死の疑似体験であった。もし本物の死であったならば,それについては,もはや永遠に何も語ることは出来なかったはずだ。死は,本人にとっては,何もなくなる「絶対無」だから・・・・

 ■「死」直視を迫る墓じまい(2023)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2024/02/24 at 18:26

カテゴリー: 健康, 宗教, 文化

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